ネットニュースで俳優の柳葉敏郎に異母姉がいたことが判明したと。義理の姉と表現としていたことに違和感を持った。私には腹違いの姉もいたし、父親違いの兄もいた。兄とは同居だったし、義理の兄弟だと思ったことはなかった。義理の関係は父と兄の間の事だと思っていた。義理の親子は婚姻関係にて生じたものだと思っていた。姉の配偶者が義理の兄で、異父兄弟を義理の兄弟とは考えていなかったし、感じてもいなかった。小学校3年生の時、異母姉と会った。父の娘ということはわかっていたので、義理の姉とは思わなかった。ただ別居だったので、感情的には異父兄のような感情は持てなかった。そのことを異母姉に対してすまなく感じていた。更に複雑したのは一番上の姉の存在だった。父の娘ということだったが、父親は違うということだった。父の言葉を信じて義理の父と子と思っていたが、長じて冷静に考えてみると、何故子持ちの女性のもとに婿入りしなければならないのか。当時30歳だった僧侶の父が、お寺の娘と結婚するというのはわかる。しかし農家の娘だったと聞く。24歳の腹が大きくなった娘の父親になってやったという話しは、いかにも作り話めいている。今でいう「できちゃった婚」ではなかったろうか。娘の両親も仕方なく二人の結婚を婿入りという形で認めたのかな。後に異母姉の戸籍謄本を見たことがあるが、一番上の姉は、母親の妹になっていた。父とは養父子の関係になっていた。しかし生まれた時はもう結婚していたらしいから、どう考えても「できちゃった婚」だろうと今になって思う。三人とも亡くなっているので、確かめようがない。ひょっとしたら父も知らなかった可能性がある。

 最近「若貴異父兄弟説」があることを知った。初代若乃花の息子が三代目若乃花で、二代目貴乃花の父は何と輪島だというとてつもない話である。病床にあった初代貴ノ花が、息子に「お前は俺の子ではない」と言ったとか言わないとかで、花田家の大騒動になったという。火元は有名な野球解説者の冗談だったらしいが、花田家に騒動が起きるたびに、この話は蒸し返されて、次第に初代貴ノ花が疑うようになったという話しである。現在はDNA鑑定というものがあるが、父親はこの子は私の子に違いないと信じるしかないのが、普通の父と子の関係である。古くは豊臣秀頼は秀吉の子かどうかという、歴史を動かすような父子関係もあるが、母子関係と違って父子関係は立証しがたい面があるのは事実であった。DNA鑑定はそんなに実施されるものでもないし、昔は怪しかった点もある。冤罪も生んだらしい。「若貴異父兄弟説」はマスコミも絡んで、売らんかなという週刊誌の餌食にされたということだろう。私たちの世代だと初代貴乃花は初代若乃花の息子と言うのが信じられやすいデマだったが、母親が若乃花の母だから兄弟には違いない。随分と年の離れた兄弟だが、早婚だった昔は年上の甥や姪は珍しくなかったらしい。私も生まれた時から姪はいた。ただし一番上の姉は義理だと聞いていたので、実感は薄かった。しかしすぐ上の姉と同学年の女の子が、私の父を「おじいちゃん」と呼んでいたのには違和感を覚えたものである。一番上の姉は、すぐ上の姉に自分の乳を飲ませたことがあると言っていた。「ヤギの乳」と聞いていたが、恐らくそうなんだろう。3カ月も違わないから、乳の出が悪かった母の代わりに、一番上の姉の乳を飲ませたことはよくわかる。若い母親の方がよく乳が出たことだろう。因みにすぐ上の姉は、異母姉の事はかなり大きくなるまで、親戚のお姉さんと思っていたらしい。高校卒業してから知ったそうだ。

 血縁関係について記そうと思ったのは、最近友人から相談があって、生きる希望が失われたのでどうしようと言うやつだ。70歳を過ぎると、どのようにして死ぬかは身近な問題になる。結構親しい友人知人も死んでいく。最初に結婚した妻とは離婚して息子が二人いる。再婚した相手は数年前に亡くなって現在は1人暮らしである。足が不自由になって歩きにくくなったらしい。ダブルワークで働いていたが、今仕事を休んでいる。死にたくなるよ、ということらしい。

 話しているうちに知ったのは、離婚して籍を抜いているので息子たちとも縁が切れていると思っているようだった。息子とは籍を抜いて音信不通になっていたとしても、血縁関係は切れていないよ、と伝えた。もし孤独死などしたら子どもに迷惑かけるよという話しをした。日本の警察をなめたらいかんよ、必ず息子たちを探し当てるからと言った。これ以上息子たちに迷惑かけるなよと伝えた。簡単に死んでもらっては困ると思ったから、故意に子どもに迷惑かけるんじゃないよと強調した。

 何年前になるだろうか、姪の口から父親が亡くなったことを知らされた。私にとっては義兄に当たるが二人は離婚しているので、義兄弟では無くなった。しかし姪とは実の父子なので、病院で亡くなったらしいが、警察から連絡が来たそうである。一人娘だったので、探し当てられたのであろう。身元確認も含め葬儀などをどうするかということだったらしい。結局のところそちらで処分してくださいということにしたらしい。地理的な距離も離れていたが、心情的にも随分と距離があったのであろう。警察は勝手に処分は出来ないから、意思確認もあったのだろう。遺産相続も含め日本は血縁関係を重視する。同腹の兄弟姉妹を重視することはするが、異母兄弟姉妹を血縁関係から外すことはなかった。天皇家が男系重視だからかもしれないが、異父兄弟姉妹に関しては時代で少し取り扱いが異なっていたらしい。貴族と庶民の婚姻関係を一律に論じてはいけないだろうが、基本は子どもは母の下で育てられるのは、普通のことだったのかもしれない。母親から子どもを取り上げられるのは無慈悲なこととされたと聞く。逆に父親を世話するという方向になったのではないかな。

 戦後GHQの政策により、日本の家族形態を破壊する方向に動いた。憲法も「結婚は両性の合意のみによる」としている。明治憲法はヨーロッパの影響を強く受けた。むしろそうしなければ「立憲君主国」としての近代国家に認められないと思ったのであろう。しかししかし日本人に手による「欽定憲法」であった。日本国憲法はGHQの占領政策上の臨時憲法だったはずである。それがいつの間にか憲法制定に反対だった野党が護憲派に回って、改憲派だったはずの自民党が改憲に動き出さないことになっている。「同性婚合法化」などは違憲だと思うのだが、「欧米が云々」という。欧米追従はいい加減やめてほしいものである。欧米にとって利の有ることであっても、日本人に幸福をもたらせるものはでない。男尊女卑型の欧米の価値観と女尊男卑型の日本では価値観が違い過ぎる。武家社会になって、儒教文化が入って来て、男尊女卑化が進んだが、女性尊重の理念ではなく風潮は幕末まで消えることはなかった。江戸時代男の子が生まれないと、大名だと改易に成ったり、武家ではお家断絶になった。しかし上方の商家では娘に優秀な手代などを付けたり、他家から養子を取ったりしていた。優秀かそうでないかは婿養子の方が分かりやすい。仮に男の子がいても娘に婿養子をあてがって商売をうまく切り盛りしてもらうことが当たり前だった。俸禄が家に支給される武家とは違って、商家の場合は商売が上手くいかないと、大店の場合は何十人も路頭に迷うことになる。男尊女卑では上手くいかないのである。農業の場合もごく潰しの男よりも働き者の女の方が重宝されるのである。略奪しないと生計が維持されない遊牧民族とは生活の基本が違うのである。勤労は尊ぶべきものであって、キリスト教国のように苦役ではない。日本には適さない価値観や主義主張を持ち出して、恬として恥じない欧米追従型の政治家や財界にはうんざりである。

 家族形態の根幹に関わる婚姻制度と相続制度を改正しなければ、日本に未来はないであろう。核家族を当たり前と思わせられた団塊の世代以降は、未来がないのが当たり前である。断捨離とか、墓仕舞いとか、終活などいい加減にしてほしい。「恋愛至上主義」は離婚を生む。家族をバラバラにする。それなのに「不倫」を叩く。既婚者は自由に恋愛をすることは叶わないのか。若者が「結婚」に魅力を感じないのは当たり前である。魅力のある男性女性は既婚者であることが多い。当たり前のことである。魅力があるので、かなり不利な「結婚制度」を受け入れて結婚しているのだから、魅力が無くなる訳ではない。「嫁」と言うのを嫌う女性がいると聞く。女を家に結び付けると。しかし女は家にいて、家事と育児をしていれば、男が外で必死で稼いでくるのである。欧米では信じられないそうであるが、稼いだお金を全額妻に渡し、そのお金から妻にお小遣いをもらうというのは、クレイジーということであろう。子どもたちは母親のものだし、男は何の楽しみもないことが多い。夫婦生活もセックスレスが多いとなると、男は結婚に何のメリットがあるというのか。結局は男は暴力か騙すしか方法が無くなってくるのである。

 男性にとって「俺の子どもを生んでくれ」というのは、切実な願いなんだろうと思う。70歳を過ぎて子どもがいないことに忸怩たる思いがする。親孝行をしてきたつもりだが、結婚もせずに子どもも持たなかった私は、結局は親不孝な息子だったのかなと反省している。「恋愛至上主義的な結婚」を夢見て、まだまだと思っているうちに時は過ぎ去ってしまった。

 先日姉に何故「お見合いを断ったの」と聞かれた。「見合い話を持って行ったらひどく怒られた」とお母さんが嘆いていたよと。結婚する気は有ったのよね、と尋ねられて困ってしまった。本気で結婚する気はあったのかと尋ねられると、恋愛結婚をしたかったということだろう。恋愛の後に結婚と進むのが普通だろうと信じてしまっていたことが、間違いの下であった。恋愛と結婚は別物という認識を持つのが遅すぎた。ミッチーブームになんか乗るものじゃない。マスメディアにはめられたのかな。これもGHQの陰謀とはしたくないが、欧米でも上流階級は見合い結婚らしい。存続というものを第一に考えると、どうやら見合い結婚がいいらしい。恋愛から結婚というのは破滅の道に近づくことらしい。利己主義に徹するならば、平和とか人類の未来などどうでもいいことである。秦の始皇帝もほぼ一代で終わっている。ナポレオンもほぼ一代である。ヒトラーやスターリンも一代である。さてプーチンや毛沢東はどうなるのであろうか。個人主義は往々にして利己主義で終わる。皇帝1人の為に何千万人と粛清される。皇帝の猜疑心の為である。スターリンを追ってプーチンはどこに行くのであろうか。