現在はおそらく空前の「将棋ブーム」なんだろう。加藤一二三九段が出て来た時も、谷川浩司十七世名人や羽生善治九段も出て来た時も「将棋ブーム」は起きた。特に羽生善治九段の時は、将棋を指さない人までも関心を持った。そしてそのブームは長く続いた。一過性のものでなかったのは、羽生九段が30年以上活躍したおかげかもしれない。藤井聡太竜王名人の登場でブームが起きたが、どうやら将棋界だけでなく幅広い層に浸透したブームになっているようだ。

 今日「ヒカルの碁」という漫画本を読み終えた。よく知らなかったが大層な「囲碁ブーム」を巻き起こしたようだ。名前は知っていたが、将棋の「5五の竜」みたいなものかなと思っていた。藤井聡太竜王名人が登場する少し前に「3月のライオン」という漫画が大ヒットしたようだ。私はアニメで見たのだが、5人目の中学生棋士の物語である。映画で実写化もされて、これもヒットしたらしい。将棋指しを主人公としたTVドラマではその昔「王将」があった。坂田三吉を長門裕之が演じて、小春役は藤純子ではなかったかな。木村義雄は丹波哲郎が演じたように思う。ヒットしたのは良かったが、将棋界が間違った形で受け取られたという話しも有った。特に坂田三吉は長門裕之が演じたような人物ではなかったという話しである。村田英雄が歌う「王将」も大ヒットした。後に将棋関連の本をたくさん読んだが、小学校の頃のイメージはドラマの「王将」のイメージであった。

 実は小学校3年生の頃、父親に「囲碁」の方を習った。父は将棋ほど囲碁は強くなかったようで、数カ月で私の方が強くなった。将棋は子どもでも指す人は多かったが、囲碁は周りでは誰もいなかった。私は将棋より囲碁の方が好きになり、囲碁を打つ相手を探したが、五目並べはしても囲碁を打つ友達を見つけることは出来なかった。中学2年生の時、叔父の結婚式に出席するために上京した折、ホテルの休憩室みたいなところで囲碁を打っていた。プロの八段とかいう人が指導に来ていて、父が打ってもらいなさいと勧めた。井目置いて対局したが完敗であった。悔しかったので将棋で挑んで、平手で勝った。大したことはないなと腹の内では思っていた。大人を馬鹿にする傾向がこの頃は顕著であった。学校の先生を馬鹿にしていたからな。いい指導者と出会えていたらと後悔するが、「後悔先に立たず」である。囲碁の方は大人になり、教職に就くころから打てる人と出会うようになり、たまに碁を打つことが出来るようになった。父から習った喧嘩碁で、石と石がぶつかってから本領を発揮するというような碁であった。今思うと将棋で培った読みの力で、石の殺し合いには強かったのであろう。布石はでたらめであった。でたらめの布石で相手は油断するのであろう。大石を殺されてぼやかれることが多かった。

 さて「ヒカルの碁」に話を戻そう。藤原佐為という元囲碁指南役が亡霊となって後世の人に乗り移る訳であるが、現代の進藤ヒカルの前は江戸時代の本因坊秀策に乗り移っていて、ほとんどの対局を藤原佐為が打っていたことになっている。最近増田康宏七段が江戸時代の棋士の棋力を奨励会の級位者レベルと言って評判になっているが、「ヒカルの碁」では、藤原佐為も本因坊秀策も進化することになっている。囲碁も将棋も相手有ってのゲームだから、相手が強くなれば自分も強くなるのが当たり前である。才能が無い場合は、いつまでも同じ所に留まっているが、才能がある者は相手によってどんどん強くなっていく。大山升田の例が一番かな。大山は升田を倒すために強くなり、升田は木村を倒すために強くなった。升田は木村を倒して大山に倒されたが、すぐに対大山戦の対策を練って、一時期完膚なきまでに叩きのめした。初の三冠に輝いたのは升田幸三名人王将九段である。その升田を破っていったのは大山である。10度の名人戦は大山の8勝2敗である。一時期、「大山の牙城を守っているのは升田である」と言われていた。後に大山も「中原名人を倒すのは私だ」と周囲に語っていたらしい。

 加藤一二三九段は中原名人に20連敗していた時があるが、別に自分の方が弱いと思っていなかったらしい。名人戦で中原名人から名人位を奪取した後も王将位なども奪取して、対中原とのタイトル戦は3連敗後は4勝2敗と勝ち越している。通算成績でも20連敗後はほぼ互角の成績となっている。当初は中原誠十六世名人の事を強いと思っていなかったらしい。目指すは打倒大山であったのだから。対大山戦はこっぴどく負けている。二上達也九段も対大山戦を除けばほとんどの棋士に分が良かったのではないかな。2番手の在り方は面白い。あくまでも打倒一番手を目指して、他には目もくれないか。それとも先ずは2番手をキープして、打倒一番手の挑戦権を得るのが先だと考えるかである。

 「ヒカルの碁」で気になったのは、本因坊秀策が今でも一番強いのか、韓国棋院が今でも一番強いのかだった。女流棋聖の仲邑菫女流棋聖が韓国棋院に移籍することになった。強い相手を求めてのことらしい。囲碁将棋は自分よりは少し強い相手と対局するのが一番伸びるらしい。14歳の女流棋聖に17歳の挑戦者ということらしい。囲碁界は初段からプロなので中学生棋士は珍しくないらしい。初段になるのには「女流枠」があるらしい。一般棋戦は男女混合らしい。ただ女流棋戦は女性棋士のみの参加だということらしい。ある意味女性棋士が優遇されているということだ。将棋界は逆に差別されている感じである。新四段はすぐに先生と呼ばれるが、先輩の女流棋士が後輩の男性棋士に先生と呼んでいるのは、何となく違和感がある。同じプロなのでアマチュアからしたら、どちらも先生だが、男性棋士だけが威張っているように見える。敬称をつけるの実力のせいだけではないはずである。女流のタイトル保持者が、フリークラスの男性棋士の下座に座るのはいかがなものか。女流棋戦の主催者はどう思うだろうか。タイトルの賞金額で言ったら、「白玲」は男性のタイトル並みかそれ以上である。実力だけを「錦の御旗」にするのであれば、フリークラスは廃止して、降級点もなくせばいい。昔のように将棋の実力だけを「価値基準」とするのであれば順位戦から陥落したら対局料なしで、三段リーグで対局すればいい。順位戦から陥落するような実力では、再び三段リーグを突破するのは至難の業であろう。なんだかまたもや脱線したな。