先日第42回全国都道府県対抗女子駅伝を録画して見た。男子が21日にあるのでそれを見てからにしようかなとも思ったが、印象が強いうちにと思ってPCに向かった。能登半島地震の被害が大きい石川県も参加していた。高校駅伝で走るマラソンコースを9区間に分けて、中学生から社会人まで走るのが都道府県対抗駅伝の女子の部である。京都がダントツの優勝18回である。大阪兵庫も各4回と京阪神で6割の優勝回数を誇る。開催地が京都ということも大きいが、高校駅伝が強いところが優勝しやすい。選手は出身地の他出身高校や出身大学そして勤務先の土地など様々な形で出場することが出来る。「ふるさと選手」という言葉もある。3区と8区に3キロ区間があり、地元の中学生が走ることになっている。この都道府県対抗で注目を集めて、その後マラソンや長距離走で五輪や世界大会で日本代表選手になる中学生がいる。未来の日本代表である。昨年は岡山のドルーリー選手が17人抜きだったかなで一躍有名になった。高校1年生になった今年は2区4キロを走ることになった。同じ2区にはドルーリー選手が目標とする田中希実選手が兵庫代表で走る。9区は10キロなので、東京代表で新谷仁美選手が、秋田代表で鈴木優花選手が走る。鈴木選手はすでにパリ五輪のマラソン代表に内定している。女子駅伝の場合高校や大学、実業団の全国大会が12月に集中しているので、コンディション的には難しい筈だが喜んで出ているようである。1区は石川県代表として五島莉乃選手が走った。世界選手権出場の選手であるが6キロの1区を走って、石川県に勢いをつけようと走っている。見事区間賞を取って、インタビューの時涙ぐんでいた。「石川県頑張れ」の声援が嬉しかったそうである。一部には辞退した方が良いのではという意見もあったそうだが、石川県を元気づけられるならばと走ったそうである。思わず私もTVを見ながら涙が出てしまった。本当に年寄りは涙もろくなるとはこのことだなと思った。

 2区では20番目に襷を貰った兵庫代表の田中選手があっさり19人抜きで首位に立った。中学生以来の区間賞で後4秒で区間記録に並んだが残念ながら及ばなかった。解説は福士加代子選手と小林祐梨子選手である。引退しているので元ではあるが区間記録は残している。2区の区間記録は小林選手のものである。インタビューで田中選手は小林選手の事を「偉大だな」と言って、解説席の小林選手が照れていた。兵庫は8位入賞狙いのチームだったが、3区以降8区まで首位で襷渡しをした。最終的には7位に沈んだが、実力以上の走りをしたようだ。首位になるとプレッシャーも半端ないが、チームの為に頑張る力はそれ以上になることが多い。

 高校駅伝は仙台育英が競技場で大逆転されてしまったが、この大会では9区で兵庫を逆転して宮城が29年ぶりの2回目の優勝をした。京都が7位から2位に駆け上がった。宮城は8区の中学生が区間賞で2位に押し上げた。前評判通りにならないことも多いが前評判はでたらめではない。宮城は優勝候補の一角であった。兵庫は8区までは前評判以上だったが、最後は前評判通りの7位であった。福岡も途中だいぶ沈んでいたが、9区が3人抜きで8位入賞を果たした。高校生が速いのが揃っているのが特徴である。9区を走る実業団の選手が育つと優勝候補になるであろう。3位入賞の広島の9区は谷本七星選手である。6位からの3人抜きである。

 区間賞は8府県で分け合った。京都が7区と9区で区間賞で、後は石川、兵庫、静岡、福島、千葉、岡山、宮城の7県であった。女子は男子よりはばらつくことが多い。故郷の代表選手で走るといつも以上の頑張りが出るのかな。

 地域対抗と言うと将棋の方も地域対抗戦が生まれた。それだけ広がったという訳である。甲子園は学校対抗で始まるが代表になると地域代表である。高校サッカーは青森山田が優勝したが、県外勢も多いが、次第に青森の県内勢も増えているらしい。地元の活性化にもつながるので、以前は寮完備の私立高校を羨んだものであるが、今ではそれも良いかと思うようになった。当然デメリットも有るはずだが、メリットを過小評価するのはどうだったかなと思う。最近の風潮としては一つのデメリットで、全部を否定しまいがちである。「田舎の嫌らしさは蜘蛛の巣のようで」と謳われたことがあるが、今では田舎の蜘蛛の巣も、セーフティーネットみたいに機能することもあるので見直されている。昔は消防団などは毛嫌いされたものであるが、消防団の活躍が見直されて、消防団への入団希望者も増えているそうである。地域の事は地元民の手で守るという意識が育ち始めたのかもしれない。「団塊の世代」は何でも反対の人が多かったように思う。義務を果たさず、権利ばかり主張するような所があった。以前歌番組で「家族対抗歌合戦」と言うようなものがあった。今は個人の争いになっている。自分が年を取ってしまったせいか、学校対抗や地域対抗に抵抗感を持たなくなってきている。以前マンガで読んだことがあったが、「特攻隊が御国の為にと言ったクニは故郷などの市町村ではなかったか、せいぜい都道府県単位ではなかったか、決して国家ではなかったであろう」と。やはり帰属意識は大事である。どこどこに所属しているという意識は個人に安心感を与える。個人の能力を最大限に伸ばして発揮させるものではなかろうか。その核になっているものが「家族」である。GHQが「家族制度解体」を図ったはずである。随分と日本研究が進んでいたのであろう。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」である。最近のアメリカは敵を知ろうともしないし、自分自身のこともあまり知ろうとしないように見える。亡国の道を歩んでいるのかな。