第73期王将戦第1局は1月7日8日の両日栃木県大田原市で開催された。挑戦者が菅井竜也八段で振り飛車の現役第一人者ということで、解説が1日目が戸辺誠七段、2日目が藤井猛九段という振り飛車が得意な棋士が選ばれていた。特に藤井猛九段は振り飛車側に立って解説していたが、8七との局面では菅井八段の苦戦を認めていた。振り飛車の評価値は、飛車を振った途端に約3%下がる。頼みの綱は対抗形に対する経験値の差である。現在は圧倒的に居飛車党が多く、相居飛車になることが多い。当然居飛車対振り飛車の対抗形は少なくなるわけである。アマチュア間では圧倒的に振り飛車が多く、相振り飛車が主流である。アマ強豪になると居飛車も多くなるが、へぼ将棋同士の対局は大体相振り飛車になっていることが多い。女流棋士間では相振り飛車が多いということで、アマチュアには女性ということでだけではなくその将棋のスタイルも人気の高い理由だと思われる。解説者二人も挑戦者も、人気のある棋士である。今回振り飛車が2日制の7番勝負でどれほど勝負できるかが、期待されている。

 プロ棋士は奨励会員の時は振り飛車だった者が多く、三段時代やプロ棋士に成ってしばらくして居飛車に転向する者も多いそうである。例外的な棋士として、振り飛車穴熊でタイトルを取った広瀬章人九段かな。現在はほとんど振り飛車は指さない。永瀬拓矢九段も振り飛車党だったがC級2組時代に居飛車党に転じた。今でも時々振り飛車を指すこともあるが、ごくたまにである。

 升田大山時代は振り飛車全盛であった。しかし升田、大山共に元々は居飛車党である。大山康晴十五世名人は相手が振ってくると居飛車で対抗して勝ってしまうという有様であった。どこかで居飛車の方が勝ちやすいことを語っていたようだ。大山少年は攻め将棋だったらしいが、兄弟子の升田幸三青年に受け潰されていたそうだ。そこで受け将棋に変貌したと語っていたようだ。大山名人は中年以降に居飛車から振り飛車に転向した例である。振り飛車に転向した理由を、忙しくなったから、相手に対応すればよい振り飛車の方が時間の節約になるというようなことを言っていたそうだ。いずれも本から得た情報なので真偽のほどはわからないが、居飛車がやはり正当という意識はあったのかなと思う。しかし振り飛車に転向したことにより棋士寿命は延びたことは確かである。言葉は悪いが、考えないで済むようになった。事前の研究が余り必要で無くなったことは多忙を極める大山名人にとっては良かったことだろう。しかし将棋の研究面では残念なことになったのかもしれない。晩年になっても中原誠十六世名人を倒すのは私だと言っていたらしいからな。失礼ながら中原名人の天分は、二上達也九段や加藤一二三九段とはやや劣るのではなかろうか。二上加藤を圧倒した大山名人が「中原何するものぞ」と奮い立ったら、やはり勝てたかもしれないと思うのは過大評価であろうか。2回り違いを埋めるのは難しいという見方もあるが、中原名人より年少の棋士にも随分と勝っている。実力は年齢だけではないと思う。

 やはり相性の良い悪いはあると思う。藤井王将も豊島将之九段や菅井竜也八段は相性の悪い相手であろう。しかし藤井王将は相性のせいにすることはなく、単に実力不足と思うことによって、実力向上を図り、苦手を克服してきたのであろう。一番長くかかったのが豊島将之九段ということかなと思う。菅井竜也八段は今回の王将戦で、藤井王将が苦手になるのではないだろうか。渡辺明九段も豊島将之九段も通った7番勝負ストレート負けが現実のものになるかもしれない。次局が菅井八段に取って棋士人生の正念場になるかもしれない。藤井王将以外には勝つようになるか、勝率を落とすようになるか。