年末に放送された「箱根駅伝100年分の名場面」おを見た。録画したものを元日になって見たのである。本当に涙腺が緩くなっていると感じた。良かったのは名場面のシーンを流した後、その時の気持ちを当人に聞いていることだった。それで現在どうなっているのかが知ることが出来て、大変参考になった。今年数えで74歳になった身としては遅すぎると思うが、指導者の在り方や、団体競技においての日本人の強さを知ることが出来て、まだまだ日本は捨てたものではないぞと思わせてくれた。

 元ランナーとして瀬古利彦氏や増田明美さん、和田正人や柏原竜二などが出演していた。約3時間の特番だったので、豊富なビデオ出演があって、感動するものが多かった。東洋大学出身の柏原竜二を久しぶりに見て、ちょっと安心した。私は東洋大学文学部二部出身で、同窓会から会報みたいなものが送られてくる。柏原竜二や五輪に出たりした卒業生の情報は流れてくることが多いが、最近あまり駅伝関係の情報が少なくなった。少し心配していた。

 名場面は日本テレビが取材しているので、少しNHKとは違った切り口になっている。しかし多くの名場面が襷が繋がるか繋がらないかの話に終始していたのは、ちょっと頂けないかなと思った。何かの駅伝では繋がらなかった場合は棄権ではなく、棄権した選手の記録を、その区間の一番悪い記録に5分だったと思うが、上乗せして大会には参加させるという処置を取っているそうだ。後に走る選手の記録も残ってなかなかいいアイデアと思った。棄権する選手の健康状態などを考えると、そして監督コーチの責任を減免する上でも良いアイデアと思うが、あまり検討されていないようだ。あのフラフラした状態で頑張るのが好きなのであろうか。死者が出てからは遅いと思うのだが。箱根駅伝は低血糖や脱水状態の他、低体温症もあるので危険だと思うのだが。何か今の制度は連帯責任を思わせるところがある。1区で棄権したら残りの9人は走っても記録に残らないのでは、切な過ぎる。

 「プリンセス駅伝」で四つん這いになって襷を繫いだのは、称賛されてはいけないのだ。感動的ではあったが、お涙頂戴にしてはいけないのだ。大東亜戦争で「玉砕」が賛美されたような所があったが、賛美されてはいけないのだ。生き残って働かないといけないのだ。成功よりも失敗の方が学ぶべきところは多い。先の大東亜戦争は、単に「負けたのがいけなかったのだ」とならないようにしないといけない。何故負けたかの反省もしなければならないが、なぜ開戦に踏み切ったのかも検証しなければならない。日清日露の戦いは2年以内に終わっている。何故足かけ5年もかかったのか。ヨーロッパでも近代の国民国家同士の戦争は、国民全体が戦争に参加して、結局は殲滅戦に近いものになっている。21世紀のウクライナ紛争もイスラエルとハマスの戦争も殲滅戦の様相を呈している。死んでからでは遅いのである。人類の知恵はこんな時に発揮されるべきではないだろうか。

 箱根駅伝からだいぶ離れてしまったが、北陸では地震が起きたようだ。令和6年の冒頭でなんだか不吉な感じがする。杞憂に終わればいいのだが。