全国高校駅伝を見た。女子は35回の記念大会で、男子は74回大会である。以前にも書いたが、九州は九州一周駅伝があり、実業団も高校も駅伝に力を入れていた。九州一周駅伝は7県対抗(後に沖縄・山口も参加で9県になる)で、確か10日間で九州を一周することになっている。1000キロ超だったと思うが、1日に100キロ前後走ることになっていた。優勝候補は福岡と宮崎で、宮崎は旭化成を中心とした選手が強く、10日間で3回走る選手も多かった。身近に駅伝を感じて高校で長距離走を選ぶ選手が多かった。高校駅伝は全国大会より、九州大会を制覇するのが難しいと言われたものである。ある全国大会では10位以内に九州7県が全部入り、上位5位までが九州勢だった記憶がある。全国優勝は九州勢の持ち回りみたいな感じであった。それが様子が変わってきたのは、NHKで全国高校駅伝が生中継されてからである。九州山口が強かったのに、兵庫勢や千葉勢が優勝をするようになった。報徳学園と西脇工業は県大会の記録が全国1位2位を分け合うとい熾烈な争いになった。記念大会では両校が参加して県大会で負けた方が優勝するようなことが起きたのではなかったかな。記憶違いでなければよいが。

 女子は39年遅れで始まった。5区間でハーフマラソンの距離であった。長距離選手を5人も集めるのは普通の高校では難しかったからであろう。おそらく近いうちに女子も男子同様7区間でマラソンの距離になるであろう。9区間かもしれないが。今回の女子の解説者は鯉川なつえ(元筑紫女学園の選手である)氏であった。女子が始まった頃はやはり九州勢が強かった。対抗は千葉勢だったと思うが、そのうち京都の立命館宇治の独壇場になってしまった。地元でよく見ているのは強い。

 男女とも問題点が色々出てきたりするものである。一番大きかったのは留学生の問題だったかな。今は少しバラついているようだが、ケニア人留学生の走力は半端ではなかった。記憶間違いだったらごめんなさいだが、確か仙台育英高校が最初だったように思う。青森山田高校も早かったかな。そこで制限するようになったと思う。出場制限は1校1名と言うやつだったと思う。1名だけならば長い距離を走ってもらおうということで、最長距離区間を走ったら、順位の変動が激しすぎた。そこで今のように最長距離区間は駄目となった。その前に留学生が走ってもいいという、区間限定の時期があったかな。今では高校駅伝だけでなく大学駅伝、実業団駅伝などに留学生などが走っている。長距離走はアフリカ勢が強いということは証明されているからな。ホモ・サピエンス発祥の地アフリカにグレートジャーニーで出ていかず、アフリカの地に残ったのは、肉体的に最強の遺伝子を持った部族なんだろうと、漠然と思ったものである。ホモ・サピエンスは獲物をしとめるために、動物よりも長い距離を走るようになったという。獲物を追いかけて、追い詰めていくというわけである。サルと異なり、毛が無くなったのは発汗による体温調整の為と聞いたことがある。

 今回の女子の部は競技場内での大逆転であった。神村学園は最終区間で1分20秒差を逆転した。途中では無理だと思ったが、競技場に入ってからのスピードが違っていた。神村学園のアンカーは唯一の3年生で、キャプテンで、留学生であった。すごい選手であった。仙台育英は2年連続最終区間での逆転を許してしまった。神村学園は初優勝後2位が2回、3位が2回と残念な結果になっている。5年ぶりの優勝である。来年も優勝候補になるであろう。

 男子は5000m13分台を6人擁していた佐久長聖が優勝した。留学生不在の高校であった。3年連続だったかな大会記録更新らしい。見ていたら、優勝を決定づけた走りは、唯一の14分台の選手が50数年ぶりに区間記録を更新した5区での走りではなかったかな。2年生だったので、来年は13分台の仲間入りだと思う。解説の方も言っていたが、一人だけだと特別視してしまうが、6人もいると13分台で走るのが当然のようになってくる。意識していなくてもいつの間にか、13分台で走っているのだろう。短距離走だと高校生でも日本記録に近い記録を出すことも、時々あっていたが、長距離走は高校生と大学生や実業団の選手とは差が歴然とあった。アフリカ勢では20歳前の五輪選手が出ているようだから、日本でもそれに近いようになるかもしれない。遺伝子の関係を無視はできないのであろうが、やはり努力と環境は大きいのではなかろうか。佐久長聖の優勝を喜ばしく感じたのは、反省すべきなのか、当然のことなのか、私にとってはちょっと問題かな。