マーガレット・サッチャーの「鉄の女」を見た。邦題は「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」になっていた。2,3日前に「ザ・プロファイラー」でマーガレット・サッチャーの事を、予備知識として入れていたので良かった。映画は見始めて10分も経たないうちに嫌になった。しかし最後まで見ないと何も語れないなと思い直し、最後まで見ることにした。

 「ザ・プロファイラー」は日本でのサッチャーの評価を反映していて、「鉄の女の涙」に関しても好意的な解釈がなされていた。しかしそれにしても酷い映画だった。一女性の生き方を描いたとしたら、それなりに評価されるのだろうが、「マーガレット・サッチャー」という英国首相を描いたとしたら、最悪に近いのではないだろうか。それとも英国民の21世紀における「マーガレット・サッチャー」の評価というのだろうか。だとしたら英国民は酷き国民と言わねばならない。

 映画の設定は70代のサッチャー元首相で、認知症を患っている女性であった。もうこの段階でひどい扱いである。認知症があまり知れ渡っていない段階で、認知症の症状を描くと、その人の人格はどこに行ったとなる。監督はフイリダ・ロイドだそうである。調べる気にもなれなかったの、全く知らない。認知症を患った晩年でもって、その人の一生を判断するならば、大抵は不幸な人生だったとなるであろう。認知症を患っている現在のサッチャー女史と回想と幻想のシーンが続く。「ザ・プロファイラー」では夫婦仲は良くて、最後まで夫が妻の支えになっていたと描かれていた。家族が犠牲になったことは少し触れられてあった。

 映画を見ているうちに、暗殺された日本の安倍元首相のことを思い出した。マスメディアでは安倍晋三首相はとんでもない首相となっている。その情報を信じている国民も相当数いるそうである。日本同様イギリスでもマスメディアは左翼化しているのであろうか。以前学校でイギリスは「揺り籠から墓場まで」という福祉国家だったと聞かされた。今でもそうだが「福祉」と名がつくと無条件で良いことのように言う。教壇の教師も理想的な国家のように言っていた。1960年代なので「労働党」が政権を握っていた頃である。「社会主義」が「絶対善」と言われていた時代である。そのうち「イギリス病」と言われるようなことになり、沈みゆく太陽になってしまった。「大英帝国滅亡」の原因になった日本が英国民に嫌われていたという話も聞いたことがある。「揺り籠から墓場まで」の福祉国家になることが出来たのは、「大英帝国」として、植民地から搾取と収奪の限りを尽くしたからである。「働かざる者食うべからず」はやはり真理をついていると思うのだが。働かない英国民が福祉を享受できたのは「大英帝国」の遺産である。今でも英国貴族は働かないで優雅に暮らしているそうだ。投資や利息収入で悠々と暮らせるらしい。伝聞で批判してはいけないらしいが、伝聞以外の材料を持ち合わせていない。「ザ・プロファイラー」ではマーガレット・サッチャーの評価は毀誉褒貶相半ばしているという紹介であった。労働組合やストライキには何とか勝利できたが、保守党内部の偏見、裏切りによって梯子を外された感じである。失業者のデモには揺らがなかったサッチャー首相も、貴族も含めた富裕層をバックに持つ保守党の支持層にはやられたのかな。2期8年を経て3期目に入って、ようやくやりたいことをやったのかなとも思う。頑固で強引な手法が目立ったそうだが、元々若い時は女性差別も含めて、敵は保守党内にいた感じである。今だったらセクハラ、パワハラのオンパレードである。今の方が一律良いとは思わないが、「議員」と書かれた部屋と「女性議員」と書かれた部屋があって、椅子が一つだけあったのは印象深かった。

 昔会社で働く女性社員の事を「BG」と言っていた。ビジネスガールの略であるが、英語圏ではビジネスガールは「商売女」であって、「売春婦」の事であるそうだ。そこで現在でも使われている「OL」が登場した。男性社会の中では、ビジネスガールは意識下ではやはり売春婦だったのであろうか。1925年生まれのマーガレット・サッチャーが差別意識や偏見に苦しめられたことは想像に難くないが、21世紀でもそうなのであろうか。