2年生部員は3名で、いずれもそれなりのレベルにあったので、個人戦にも団体戦にも出場させることに決めた。部内戦を定期的に行っていたが、卒業した部員に聞くと、こちらの方が苦しかったそうである。実力を認めてもらいたい気持ちも強いが、先輩に勝ったら悪いという気持ちも生まれたそうだ。公明正大でいいのかと思っていたら、「先生に決めてもらっていたら、先生の悪口を言っていればいいので気持ちは楽だ」と言っていた。忖度もあったが、プレッシャーもすごかったらしい。3年生の大将ペアも、ぺアを崩して部内戦で戦わせると、意外にも1番2番になるかと思いきや、4番落ちになったりする。絶対勝たなきゃと思ったら、実力差があれば克服できるのであろうが、僅差の場合はプレッシャーが大きい方が負けるようだ。余程ゲームの入りを良くしないと、悪い流れは引き戻せない。戦っているのは女子高校生なのだから、メンタル面が大きいのはわかり切ったことである。2年生は3名だから1人は1年生と組む。大将後衛が1年生だったから少し困った。2年生は後衛が2名で前衛が1名だった。勝ち負けは別として、2年生は出場させると決めていたので、前衛をどのようにつけるかだった。結局大将ペアを1年生ペアにした。2番手を2年生ペアにした。3番手の2年生に1年生前衛を付けた。オーダーは3,1,2の順に出すと決めた。3番手の後衛は2年生だが、一本調子の試合運びしかできなかった。まともに打ち合えば結構勝ちやすかったが、粘られるとあまり勝てなかった。しかし初めての相手だと大将後衛かと思ってもらえるかもしれないと思った。このオーダーの欠点は2番手に登場する大将ペアが1年生ということだった。プレッシャーがかかり過ぎる傾向にあった。大将後衛は中学時代からプレッシャーに弱いと聞いていたが、強くなってもらわないと困ると思い起用した。結果は個人戦では県決めまで進んだが皆敗れた。団体戦はシードを落としたと思う。記憶がこの辺は曖昧である。準々決勝まで進むと次の大会ではシード権が与えられるという形だったので、先ずはベスト8に残ることは大きかったのだが。

 J高の3年目には練習試合も数多くしていたので、強豪校との差もわかっていたつもりである。個人戦で県大会出場を果たしたので次は団体戦での県大会出場が目標になったが、現在の実力では少し難しいと思っていた。流れもあるし、幸運もあるかもしれないと思うと諦めるわけではないが、どちらかと言うと来年以降を見据えるという感じにはなっていたかな。中学生の有望選手でJ高に行きたいという選手が増えてきた。ソフトテニス部枠というものがあるわけではないので、他の部活動とも競合するし、男子部とも競合する。ソフトテニス部全体で見られるので、どうしても不利である。男子部の方が大会成績は良かった。インターハイや九州大会出場を決めたりしていた。

 J高に赴任して3年経ったので、転勤ということもある。S高の17年がああったので、すぐの転勤は無かろうと高をくくっていたが、一応中学生の顧問の先生には、入学しても最後まで面倒を見ることは出来ないかもしれませんよということは、伝えていた。実際にS高の時は新人戦では団体3位になったが、春は転勤で団体戦も個人戦も県大会出場は出来なかったようだ。J高ではあんな思いをするのは嫌だなと思っていた。J高は市内中心部に近かったので、進学熱も高かった。選手の保護者もJ高だったらということだったらしい。思いがけない有望選手が希望してくれた。新1年生に期待することになってしまった。絶対勝てと言うような雰囲気は少し薄れたかもしれない。(つづく)