久しぶりにブログを更新する。「将棋」で書くには藤井二冠の対局がなく、「ロンちゃんノート」では安倍首相辞任後のドタバタに触れないわけにはいかないので、自粛していた。「ソフトテニスの想い出」はちょっと思い出すのがしんどくなってきた。もう20年以上前のことだが、ソフトテニス以外でもああしていれば人生変わったかもしれないなどと、後悔することが多い。ある意味大事な40代だったかもしれない。ということで、一週間ほどブログを休んでしまった。

 久しぶりの谷川九段対藤井二冠の対局で、公式戦では2局目である。中盤まではほぼ互角の戦いで、谷川九段は前回の敗戦を生かしてかなり研究したものと思われる。強い棋士は終盤は皆強い。「高速の寄せ」も序中盤の戦いがあっての事である。加藤九段も中原十六世名人に20連敗した後、序盤研究に力を入れて、その後はほぼ互角の勝負になった。タイトル奪取も中原十六世名人からが多い。戦前では修業時代の升田対大山戦の大山十五世名人の思い出が有名だと思う。攻めの強い大山少年は果敢にも升田青年に攻めかかっていくが、いつも升田青年はよく受けて勝っていたそうだ。大山少年はいつの間にか受けが強くなり、後に名人挑戦を争ったときは、受けの大山対攻めの升田と言われ、名人挑戦を獲得した。木村十四世名人は、「序盤の金子、中盤の木村、終盤の花田」と言われ、中盤が強かったと言われている。大山八段の挑戦を受けたが最初は木村十四名人が防衛した。後に二上九段が大山升田の違いを尋ねられて、「よく受けの大山攻めの升田と言われるが二人は同じだと思いますよ」と答えたそうだ。確かに二人の兄弟弟子の兄弟子は「振り飛車名人」と呼ばれた大野源一九段である。攻めにも受けにも強く、奔放な指し手は木見金治郎九段門下の秀才に共通するものなのかもしれない。木見九段は商売をしていて人手がいるせいか、多くの弟子を育てた。と言うよりも弟子が勝手に強くなっていったようだ。将棋に関しては放任が良いようだ。

 さて谷川対藤井戦は前回同様谷川九段の早い投了で終わった。中盤の攻防で優位に立った藤井二冠はいつものように着実に差を拡げていく。藤井二冠の終盤力を認める谷川九段は、棋譜を汚すのを嫌ったのか、いよいよ終盤というところで投げた。目の前には木村、大山、中原、谷川の四人の永世名人の掛け軸があったわけである。永世名人がB級2組で対局するのは初めての事である。実力制になってからの永世名人の引退時期は難しくなった。十八世名人の森内九段はフリークラスの選択をした。中原十六世名人はB級1組で戦った後、フリークラス宣言をした。名人経験者では加藤九段がC級2組まで戦い、とうとう陥落して引退になった。史上最多敗戦置き土産に。70代での勝利数では最多勝だそうである。なんとなく名人経験者はB級1組までといういう感じであったが、それを打破したのは棋士年齢が高くなった現代では、良かったかもしれない。谷川九段のファンとしては見るに忍びないという気持ちにさせる。