先日S高校とJ高校の同窓会の中止の知らせが届いた。新型コロナの影響である。これで私の関係する同窓会はすべて中止になった。昨年は母が亡くなったので、全ての同窓会に欠席した。二年連続の出席無しになったので、少しばかり寂しいが仕方のないことだろう。お盆の帰省も自粛ムードが広がっている中である。

 同窓会の中止の知らせと同封してあったのが、同窓会報である。昨年欠席したので、いつもより丁寧に読んだ。S高校の当番幹事は、私が3年間担任をした学年であった。出席された先生方の名前にも懐かしい名前が多く、無理して出席したかったなあと思ったが、詮無いことである。当番幹事は卒業後30年して回ってくるシステムである。写真は小さいので顔がよく分からない。幹事長の名前などしかわからなかったが80名近くの卒業生が集まったらしい。随分見知った顔があったと思う。

 J高校の会報には新任の校長と教頭の挨拶が載っていた。どちらも昔の同僚であった。生徒と違って先生方の写真は若い。やはり大半を若い高校生と接していると、気分も見かけも若々しくいられるのかなと感じた。昨年のNHKの朝ドラに卒業生の声が流れていた事に触れてあった。J高校には軽音楽部があるせいか、結構有名なミュージシャンが誕生している。他の高校でも有名な歌手が誕生しているので、軽音楽部の存在はあまり関係しないのかもしれないが、今ではむしろ吹奏楽部の方が有名になっているようだ。

 J高校のソフトテニス部の話に戻そう。S高校で顧問歴16年があったので、J高校での顧問としてのスタートはS高校の時よりもスムーズに進んだ。部員は少なく使用できるコートは3面もあるので、乱打を主体とした練習であったが、やはりあげボールによる練習も数多く取り入れるようにした。午後7時半が完全下校になるので、7時過ぎには練習は終わりである。放課後課外もあったので、全員がそろうのは5時近くになった。こちらもすぐにコートに顔を出せるわけにはいかないので、始めは乱打中心の練習にして、大体揃ったところでボールをあげての練習に切り替えた。球拾いが大変だったが、これは口酸っぱく言って、フェンスに届く前にキャッチしろと。後に中学校との合同練習の時顧問の先生が一番ほめてくれたのが球拾いのことだった。上手な選手ほど球拾いが上手だと感心されていた。私の記憶に残る練習も球拾いとコートを回るランニングであった。皆足が速くなった。(つづく)