6月に入り対局が再開されたのは良かったが、藤井七段は対局過多のようだ。2日、4日、8日、そして10日と9日間で4局である。今日13日も対局があり、勝ったために23日も対局が組まれた。6月は結局9局である。四段の時、月10局という月もあったが1日3局とか2局の日があり、週に2日の対局が最多であった。持ち時間も短いものが多く、何とかしのげたが夏の時期は少し負けが込んだ。今回は当たる相手が3年前とは違う。時間も4時間、5時間である。タイトル戦も2局ある。挑戦者決定戦も2局である。

 藤井七段の対局日程を記しておこう。2日棋聖戦で佐藤天彦九段戦。4日棋聖戦挑戦者決定戦で永瀬拓矢二冠戦。8日棋聖戦第1局で渡辺明棋聖戦。10日王座戦2次予選決勝で大橋貴洸六段戦。残念ながら負けてしまった。やはり敗戦局には力が入らず、ブログはアップしなかった。気の毒なぐらい不調であった。やはり高校卒業したら、上京した方がいいかなと思わせた。中一日で東京と関西の将棋会館移動は酷だな。名古屋ではなく、瀬戸市在住だからな。名古屋まで出て、東京なり大阪なりに行かなくてはいけない。8日はタイトル戦初勝利ということで記者会見などがあった。みんなそんな道を通って強くなったんだと、見当違いな事をいう人がいるが、羽生九段は関東在住で、谷川九段は関西在住である。同じ中学生棋士でもちょっと違う。加藤九段の頃はまだ棋戦が少なく、対局過多にはならなかったと思う。対局が多かったのは中原誠十六世名人も多かったようだが、18歳になっての四段昇段だったので、こなせたのであろう。中原四段も関東在住である。

 今日13日は王位戦リーグ一斉対局である。阿部健治郎七段戦は角交換の相居飛車で、中盤で藤井七段がリードを奪い、そのまま勝ち切った。白組5戦全勝で挑戦者決定戦に進出した。残留は4勝1敗の羽生九段である。紅組は5戦全勝で永瀬拓矢二冠である。残留は4勝1敗で豊島竜王名人である。解説の三浦九段が言っていた。4勝1敗ならばリーグ優勝かプレーオフになっている成績だ。5戦全勝同士の挑戦者決定戦は珍しいようだ。渡辺三冠、豊島竜王名人、永瀬二冠そして藤井七段の4人がレーティング1900台である。1962の藤井七段が1位で渡辺、永瀬、豊島と続く。5位は羽生九段で1860である。今は強い棋士はなかなか負けなくなった。逆に負けると隙があると思われるのであろう。粘られて逆転負けすることが多いようである。一番勝負なら強いという棋士は昔からいたが、今はあまり評価されないようである。いろんな形で将棋が見られるようになり、人気とは別に実力を可視化して評価するファンもいるので、やりにくくなったと思う。阿部七段の負けを認めなければなくなっての様子が、かわいそうであった。もちろん勝負師として同情されるようになったらおしまいなのだが。