明日棋聖戦の挑戦者決定戦がある。明日はブログが書けないかもしれないので、今日書いておこうと思う。

棋聖戦は産経新聞主催で昭和37年から始まったタイトル戦で5番目のタイトル戦であった。昭和35年から始まった王位戦までは、タイトル挑戦するには挑戦者決定リーグを勝ち抜かないといけなかった。5人(竜王戦の前身の十段戦)から10人(順位戦)のリーグで勝ち抜くのは、やはり実力者になって、タイトル戦の常連者は決まっていた。タイトル獲得者も木村義雄十四世名人、塚田正夫名誉十段、大山康晴十五世名人、升田実力制第四代名人の4人だけで、昭和37年になって二上達也王将が誕生した。30歳のタイトル獲得者で5人目である。5番目のタイトルということで、他のタイトルとの差を出そうとしたのか、年2期制と挑戦者決定トーナメントという特色を出してきた。この年2期制で挑戦者決定トーナメントという方式はその後沢山の初タイトル獲得者を出した。タイトル戦も5番勝負の短期戦である。7番勝負が当たり前のタイトル戦の中で、5番勝負では番狂わせが多くなった。欠点としては他のタイトルよりも軽い感じになったのは否めない。

 6人目のタイトル保持者になったのは、昭和42年の山田道美棋聖の誕生である。大山康晴棋聖からの奪取であった。7人目のタイトル保持者になったのは中原誠棋聖である。昭和43年の事である。20歳のタイトル保持者になった。当時の最年少記録である。

 8人目のタイトル保持者になったのは加藤一二三十段であった。同じ昭和43年の事である。大山名人の不調の年になったのか、中原誠棋聖の台頭の年になったのか、わからないが多忙を極めていたのは確かである。

 その後棋聖戦で初タイトルを獲得した棋士の名を挙げていく。昭和44年内藤国雄棋聖。昭和47年有吉道夫棋聖。昭和48年米長邦雄棋聖。昭和57年森雞二棋聖。昭和58年森安秀光棋聖。昭和61年桐山清澄棋聖。昭和63年南芳一棋聖。昭和63年田中寅彦棋聖。平成2年屋敷伸之棋聖(18歳6カ月史上最年少)。平成8年三浦弘行棋聖。平成30年豊島将之棋聖。

  木村一基王位までタイトル獲得者は全部で44人である。「花の55年組」の活躍もあり、タイトル獲得者が増えた。その後羽生世代が沢山のタイトル獲得者を出した。森安棋聖が私の数えたところ15人目のタイトル獲得者であると思う。初タイトルが棋聖位というのは、13人いるようだ。当時の最年少記録も中原棋聖、屋敷棋聖(現在も)といる。藤井七段が史上最年少タイトル挑戦だけでなく、タイトル獲得も史上最年少を更新してほしい。藤井七段がタイトル戦の番勝負で敗れるというのは想像しにくい。必ずや獲得まで突き進むと信じている。