しばらく中学校訪問の話が続いた。本当は具体的に中学校名をあげて、お礼の言葉を記したいが、固有名詞は出さない方針で書いているので、これで失礼します。地元の中学校を訪問した時はアポイントメントを取って訪問したこともあったが、県外の中学校の場合はいきなりの訪問ばかりである。出発する時は大体の事は決めているが、どうなりかわからないので、連絡は取らずに訪問したが、迷惑だったろうなと、今になって思うが、当時は少しでも参考になればと思って訪問していた。

 S高での13年目の春を迎えた。この頃は個人戦だけではなく、団体戦でも少し自信が出て来た頃だった。しかし団体戦はインターハイ常連校で前年度は全国優勝していたN学園高校に2回戦で当たり、0-3、0-2で全国予選、地区予選ともに敗退した。監督のくじ運の悪さを自覚していたので、主将に引かせたりしたのだが残念だった。個人戦も県決めの4回戦に進出したが、2年生ペアが進出したが、これまたN学園に1-4で敗れてしまった。主将ペアにはだいぶ期待していたが、最後のインターハイ予選では、組み合わせがいいと、逆にプレッシャーになったのか3回戦で敗れてしまった。「チャンスはピンチになる」事が多いことも、ソフトテニスの団体戦では思い知らされることが多かったなあ。

 秋の新人戦では個人戦で県決めに2本残ったが、2-4、0-4でH女子、Q女子に敗れた。校内ランキングでは1番と4番のペアだったので自信にはなったのかな。この年の2年生は層が厚かったかな。おかしなことでもないのかもしれないが、下級生の伸びが今一つになってしまいがちである。しかしその頃の私はあまり気にすることがなかった。

 この年の主将も現役で国立大学に合格した。これで再び3年連続主将の国公立大学現役合格が実現した。大将ペアでもあったが、前衛後衛共に国公立大学現役合格を果たした。顧問の先生にとって選手としての成績も気になるところではあるが、どんな進路実現をしたのかも、気になるところなので、学業と部活動の両立という面では、心強い結果であった。私自身も進学校での部活動はどうあるべきかと迷っていたころでもあった。翌年は順調にいけば、3年生の担任になる予定であった。(つづく)