一人娘が喘息を発症したのは、小学校二年生8歳の秋でした。

 

その年の梅雨明け頃から、咳が続くようになり気になっていました。

近所の内科に連れて行きましたが、風邪?とのこと。

咳止めを頂き、飲み切りましたが、改善したようなしていないような。

数週間がたち、やはりしばしば咳が続くので、再度病院へ。

診断は、前回同様でした。

仕事で忙しかった私は、ただでさえ心配性な私の性格・・・・二回も見てもらって大きな症状もあるだけではないし、少しほおっておいたらそのうち治るだろうと。

しばらく落ち着いていたものの、夏ごろからしばしば明け方に咳で起きるようになりました。

お友達の家に泊まりに行った時の事、

お友達のお母さんが「咳が夜中すごくて」と。

「へっ?そうだったの?ごめん。有難うお世話掛けちゃったね。」と私。

でも、家ではそんなにひどい咳はないし、この前少し続いたけど、今はぜんぜん咳ないし・・・。そうなのかなあ。

あとでわかったことですが、ネコを飼っているお宅で、娘はネコアレルギーだったのです。

 

それから、一カ月くらい過ぎたでしょうか。

ある朝、娘が「お母さん、音がする」と言いました。

胸に耳を当てると、胸からゼイゼイという音が・・・。

「へっ?なんだ???」よくわかりませんでしたが、何か嫌な感じがしました。

その日は、娘が大好きな運動会の練習がありましたが、

学校を休ませ、仕事を休んで、市立病院へ。

呼吸器系のいくつかの検査をしました。検査結果は、喘息でした。

 

「喘息?」何のことかわかりませんでした。

私は、体は強くありませんが、大きな病気やけがをしたことがありません。

病院で小さな冊子をもらいました。

その足で、本屋へ。幾つか喘息の本を見ました。+アマゾンでも。

数日で5冊の本を購入しました。

・小児喘息ガイドライン

・看護婦さん向けの呼吸器疾患患者の本

・肺機能の本

・喘息患者向けの本(大人含む)

・小児喘息患者向けの本

 

本を読んで、自分を責めました。

何故もっと早く、検査に連れて行かなかったのか。気づけなかったのか。

娘はバレエを習っています。この先、バレエが続けられるのか。

健康な生活が出来るのか。

私は、シングルマザーで転勤のため娘を知らない土地に連れて二人で生活していました。

実家にいればよかったのかも(離婚後、少しの間実家にお世話になっていたので)。

私のわがままで振り回して、あげく娘を喘息にしてしまったのか・・・。

食べ物が悪かったのか。

とにかくあとからあとから、全て自分を責める文面が頭を責めてきました。

涙もあふれています。でも、娘の前で泣けない。

親が悲観してないていると子供がみじめになるそうです。離婚を決意した時にどこかの本で読みました。

 

でも、今は親として今できることをしよう。

娘は元気に生きているのだから・・・。

随分と大げさに聞こえるかもしれませんが、

シングルマザーになってから、海外で一年、親元で一年、そのあと転勤で、子供を7時まで預かってもらえる学童のある小学校に入学するため、また転居。数年の間に娘を連れ、4,5回は引越ししました。その頃は不安を振り払っての決断の連続で、一事、一事が真剣勝負だったのです。

 

その日の夜には、何冊かの本を読み終え出来ることをしました。

毛布・絨毯それにラグマットは全て撤去し、とりあえず玄関の隣の使ってない部屋へ。

布団はとりあえずフカフカしてない感じのものだけ残してやっぱり玄関の隣の使ってない部屋へ。とても気に入っていた小花柄のカーテンも撤去。

繊維が出そうな服は、大きなビニール袋にいれました。

ぬいぐるみも全部ビニール袋へ。

娘に気づかれないように涙をぬぐいながら・・・。あっと言う間でした。

二時間もかからなかった。引っ越し慣れしているのもあるけど、

娘のために&愚かな自分の責任だからという感じでしょうか。

布団は、全部処分することにしましたから。新しい布団が届くまで、とりあえず

シングルベッドの上に綿の布団を敷いて二人で寝ました。

 

それから一週間で、喘息の娘ための家が出来ました。

空気清浄機、ハイパワーのサイクロン掃除機、ダニゼロックスの布団セット(結構高価で、カバーまであわせると20万くらい?)

レースのカーテンも取ってしまいました。

山手のマンションで外からの視線はそんなに気にならなかったので。

娘の服も随分捨てました。私の服も随分捨てました。

お気に入りの本革ソファ(実家からもらってきたのに)も捨てました。

でもね、娘のためにという気持ちのためか、簡単でした。

予期せぬ出費が痛かったけど、健康・命に代えられるものはありません。