情報の海の数キロバイト

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男女の友情はあるか——古くて新しいテーマである。福山雅治は確か「ありえない」と言っていた。私の意見は逆である。その理由を論じる。

「男女の友情はあるか」という命題はそれ単独では個々人の人生経験に答えが左右される問いである。福山雅治の人生経験と木乃将大の人生経験は異なる。
しかしここは学問っぽい考察らしく誰にとってもあてはまる共通な答えを出したい。「“あなたにとって”男女の友情はあるか」という問いではないからである。
どういう手法を採ろうか。

「男女の友情はあるか」は「同性同士の友情はある」という暗黙の了解が背景にあって成立する問いだ。
同様にして
「同性同士の恋愛はあるか」は「男女の恋愛はある」という暗黙の了解が背景にあって成立する問いである。

Case 1) 男女の恋愛はあるか
Case 2) 同性同士の恋愛はあるか
Case 3) 男女の友情はあるか
Case 4) 同性同士の友情はあるか

以上4つの命題を捉えるという手法でいこう。

恋愛とは何であるか。様々な要素があるが「性欲」が本質である。よって結婚とは「社会制度のもとに認定された性欲」というのが本質である。認定理由は将来にわたる後継者の存続である。遺伝子を残したいという欲求と合致しているからこそ認められている。結婚が無制限でないのは公序良俗のためである。恋愛だけなら誰が誰とする可能性もありうる。
友情とは何であるか。人と人とが親しいということである。そこに性欲は介在しない。
性欲が中心点にある親しさが恋愛。人と人との親しさが主眼にあるのが友情。
したがって命題は「性欲が介在しない親しさが男女間に存在するか」ということを問うている。

そしてそれは同時に「性欲が介在する親しさが同性同士間に存在するか」ということさえ問うている。同性愛の議論である。

日本では同性愛への理解が進んでいない。男性同士の恋愛や性を嗜好する女性のことを「腐女子」と呼ぶのが広まってきてはいるが本人他人共に「蔑み」が背景にあるように思える。ある種の自虐と迫害が「腐女子」という言葉の根にある。また行政処理でも「配偶者」の欄に同性の人物の名前を書くと「誤記」として処理される。将来の人口統計に影響しないからである。
世界では同性愛への理解が進んでいる。議論が広がって制度が整えられている国もある。同性愛者であることを公表する著名人もいる。少数派にも場所が整備され始めているとみる。

性欲が介在する親しさが同性同士間に存在するかという議論に対して「存在する」と結論したい。日本では国民の意識上でも行政処理上でも見えにくいように隠されている。そのことが「同性愛の存在」をぼかしているように思える。

ところで私には同性同士間で性欲が介在する理由がいまひとつわからない。実感が無いからだろう。育ってきた社会環境の影響もあるのだろう。「わからないことは存在しない」という立場ではないため「同性愛」の存在を認知する所存である。もし詳しく追求するならば性欲に伴う快感や恍惚に話を広げる必要があるだろう。

続いて「性欲が介在しない親しさが男女間に存在するか」という問題である。これはもう少し広げて二段階を取りたい。「異性を必ず性欲の対象として認知するか」「必ずしも認知しない場合において性欲の対象でない異性と親しくなれるか」ということである。

異性を性欲の対象と見るかどうかはケースバイケースというところがあろう。いわゆる「好みのタイプかどうか」とか「欲情するかどうか」とか「対象となる側が性的魅力を磨いているかどうか」とか。男女差もあるに違いない。レンタルビデオ店の「のれん」の向こうでAVを厳選している男はたくさんいる。どうでもいいがあれの女性向けってあるんだろうか。それとも行為自体は同じなのだから男女共通なのだろうか。
「異性として見ることができない」というケースもある。「良い人なんだけど異性として見ることができない」ようなケースである。性的魅力が無いのか異性を判断する「見る目」がないのか。
そういうわけで「異性を必ず性欲の対象として認知する」とは限らないという結論を出したい。

第二段階は「性欲の対象でない異性と親しくなれるか」である。この問題は大仰に語るのがとてつもなく馬鹿馬鹿しい。もし「性欲の対象でない異性とは親しくなれない」ならば「異性で親しい人はすべからく性欲の対象である」ということになる。異性ならば即恋人かセックスフレンドか今夜のオカズである。夢分析の太祖フロイトがあらゆる夢をリビドーに結びつけたのに似ている。人が(すべからく)人生の大部分を性衝動によって生きているならその思考に乗ってもいいが。

以上より本稿では「男女の友情はある」と結論する。
性別に関係無く友情を抱く。
性別に関係無く恋愛をする。
要するに友情も恋愛も人と人とのつながりのひとつの形だからである。