私の言葉が誰かを勇気付けれたのなら、僥倖だなぁ。
このために生きてるのかもって思うところもあるもん。(それは言い過ぎか?)
私のほうこそ勇気付けられました。
私は自他共に認める変人なので汗
誰かのブログにコメントするのはちょっと違う意味で勇気いるんですよ。
迷惑にならないだろうかって。
これからもきっと私は私らしく自分の道を進むけれど、誰かの迷惑にはならないようにしたいものです。
でね。私はみんなそれぞれ個性を大切にそれぞれ『自分らしく』生きたらいいのではないかって思うのですが。
それもまた賛否両論なのですよね。
自分らしさがわからないって人もいるし、「本当の自分なんてない」って人もいるし(友達の言葉。これも結構なかなか衝撃的だった。自分的には)
むしろその『自分らしさ』『個性』という圧がしんどいって人もいるし。『普通』が何より一番って人もいる。
うんうん。色んな人がいていいのだよね( ◜ᴗ◝)
私は昔から我が強いのです。。。
それが個性でもあるのだけど、もっと他人のこと理解しないとなって。いつもいつも思うよ。
結構ズレてるんですよ、なんか、一般の人と考え方が。あと世間知らずっていうのもある。
だから知る努力は怠らないようにしたい。と思ってる。
うん。それもあって色んな人のブログ読んでるのかも。単純に人間というものに興味があるし。
あっそうそうふと昔の記事を思い出しました。
私は確かに『非現実的』な場所で働いてるのです。
あと限られた人だけが利用できる場所であるという条件も付け加えます。
だからお客さんは皆さんとても上機嫌で、大変スマートで、まさに『善人』って感じ。
でも、私は思います。それはただ単に一面に過ぎないのだろうなって。
お客様のことを悪く言うつもりは全くなくて。そもそも人間という生き物が多面的な生き物だと私は思っているから。
だからね。気持ちよく接客の従業員として働きたいのなら、幸せな人がくる場所で働くといいのではないかなって思う。だからもしかしたらお花屋さんとかもそうなのかも。幸せで余裕がないとわざわざ行かない場所かなって思うし。そういう場所では心穏やかなに振舞うものかなって。
無敵の人が怖いのは、『失うものがない』と思ってるからなんだよねぇ…
日本では某寿司チェーン店でのペロペロ事件とかもあったけど。そういうことなんじゃないかなって。(ま、ペロペロ事件は子供だったし想像力の欠如とか、その場のノリが要因として大きかったのだろうけど)
基本的に社会的地位があって肩書背負ってる人は道を大きく外すようなことはしないもの。
(動物の根源である欲望を抑えすぎると暴発することはあるのですが…)
この間もコンビニで高齢の女性店員さんを怒鳴りつけてる若者がいて。私びっくりしたんだよなぁ。
これって自分の日常ではある意味『非現実』のことなんだけども、やっぱりこういう人っているんだなぁ~って。思っちゃった。
自分が知らない、周りではないから、『ないこと』にしちゃだめなんですよね。
そうそう。私、シナモン苦手なんですよ。食べた時の風味がちょっと・・・
物々交換でシナモンスティックを希望してるのはインテリアのためなのです♪