一見すると、そこに広がっているのは、灰色の空に覆われた荒野です。
けれど、目を凝らしていくと、この場所がただの荒野ではないことに気づきます。
道に沿って並んでいる、いくつもの木。
その木には、人間が磔にされていました。
そして画面の手前では、ひとりの女性が、地面に崩れ落ちています。
ロシアの画家フョードル・ブロンニコフが1878年に描いた
《呪われた野――古代ローマの処刑場、磔にされた奴隷たち》
です。
作品は現在、モスクワのトレチャコフ美術館に所蔵されています。縦約123.5センチ、横約211.7センチという、横幅2メートルを超える大作です。
地面に崩れ落ちる女性
まず目に入るのは、手前で倒れている女性です。
荒れた地面に身体を投げ出し、片腕で顔を覆うようにしています。
彼女のすぐ目の前には、磔にされた人物の足があります。
けれど、女性と処刑された人物がどのような関係なのかは、はっきりと説明されていません。
夫だったのかもしれない。
息子だったのかもしれない。
あるいは、家族ではなくても、その死に耐えられず崩れ落ちたのかもしれません。
それはあくまで想像です。
ただ、彼女が深い悲しみの中にいることだけは、その姿から痛いほど伝わってきます。
トレチャコフ美術館の解説でも、この人物は「悲しみに泣く女性」とされています。
処刑されたのは、一人ではなかった
女性の目の前にいる人物だけを見ているうちは、ひとつの悲劇に見えるかもしれません。
しかし、視線を少し奥へ動かすと、さらに残酷な事実が見えてきます。
磔にされた人物は、一人ではありません。
同じ形の木が道に沿って並び、さらに丘の向こうまで続いています。
作品の副題が示すとおり、ここに描かれているのは、古代ローマで磔にされた奴隷たちです。
古代ローマでは、磔刑は反逆者や逃亡奴隷などに科された、屈辱的で苦痛の大きな処刑方法でした。
トレチャコフ美術館の解説では、その歴史的背景の一例として、スパルタクスの反乱が鎮圧された後、およそ6000人の捕虜がアッピア街道沿いで磔にされた出来事も紹介されています。
ただし、この絵がその事件の特定の一場面を描いたと、作品名だけから断定することはできません。
ブロンニコフが描いたのは、ひとつの英雄の物語というよりも、名も残されなかった人々が、まとめて命を奪われた風景なのでしょう。
空を旋回する黒い鳥
この絵の不穏さを強めているのが、空を飛ぶ黒い鳥です。
鳥は、処刑された人々の頭上を旋回しています。
画家が鳥にどのような象徴的意味を込めたのか、細かな意図までは断定できません。
けれど、死者の上に集まる黒い鳥を見ると、まるでこの場所に漂う死の気配を、誰よりも早く嗅ぎつけたように感じられます。
さらに、迫ってくる黒い雨雲や、遠くで吠える犬も、この土地の不吉さを強めています。
美術館の解説でも、黒い鳥、犬、雨雲は、作品の重苦しい空気を深める重要な要素として挙げられています。
処刑を終え、立ち去る者たち
画面左奥には、道具を背負いながら、処刑場を離れていく人々がいます。
彼らは、処刑を終えた刑吏たちです。
手前では女性が悲しみに崩れ落ち、木にはまだ人々が磔にされています。
それなのに、刑吏たちはもう、この場所を去ろうとしています。
彼らにとってこれは、特別な悲劇ではなかったのでしょう。
与えられた役目を終え、道具を片づけ、帰っていく。
誰かにとって人生のすべてが失われた場所が、別の誰かにとっては、ただ仕事を終えた場所になっています。
その温度差が、この絵をさらに恐ろしくしています。
火にあたる見張りたち
反対側の右奥には、焚き火を囲む見張りの兵士たちが描かれています。
彼らは悲しむことも、処刑された人々に駆け寄ることもなく、ただ火にあたっています。
そして、その中にひとり、周囲の人々よりも大きく見える人物が立っています。
実際に巨大な人物として描かれているというより、周囲の人物が座ったり身体を低くしたりしている中で、ひとりだけ立っているため、強い存在感を放っているのでしょう。
空を背景にした黒い姿は、まるでこの処刑場全体を見下ろしているようにも見えます。
そして私には、その人物が
この場所だけでなく、ここで奪われた命までも支配しているかのように
感じられます。
もちろん、これは作品を見たうえでのひとつの読み方です。
それでも画家が、この人物をあれほど目立つ姿で配置したことによって、処刑する側の権力と、処刑される側の無力さが、より鮮明に対比されているように思えます。
なぜ「呪われた野」なのか
この場所には、怪物も悪魔も描かれていません。
幽霊らしき姿もありません。
それでもブロンニコフは、この作品に「呪われた野」という題名をつけました。
その理由は、超自然的な恐怖ではなく、人間が人間に行ったことそのものにあるのかもしれません。
丘の向こうまで続く磔刑。
泣き崩れる女性。
死の上を旋回する鳥。
仕事を終えて帰る処刑人。
焚き火にあたりながら見張る兵士。
この場所では、人の死があまりにも当たり前の風景になっています。
ひとりの命が奪われても、世界は止まりません。
鳥は飛び、雲は流れ、火は燃え続け、人々はそれぞれの日常へ戻っていきます。
だからこそ、この野は呪われているのでしょう。
悪魔に呪われたのではなく
人間が、人間として扱われなくなったことによって。
故郷へ作品を遺した画家
この作品を描いたフョードル・ブロンニコフは、1827年にロシアのシャドリンスクで生まれました。
のちにイタリアへ渡り、人生の大半をそこで過ごします。
古代ローマや中世を題材にした歴史画だけでなく、イタリアの街並みや人々の暮らしも描き、現地の知識人たちからも評価されました。
それでも、彼は故郷を忘れてはいませんでした。
亡くなる前、ブロンニコフは自分の作品を故郷シャドリンスクへ遺しました。
それらの作品は、のちに地元の美術コレクションの礎となったと伝えられています。
異国で生涯の多くを過ごしながら、最後に作品を託したのは、生まれ育った故郷だったのです。
名も残されなかった人々を忘れないために
歴史に残るのは、多くの場合、王や将軍、反乱を率いた英雄たちの名前です。
けれど、その陰には、名前さえ記録されなかった無数の人々がいます。
この絵に描かれた奴隷たちも、ひとりひとりがどのような人生を送り、誰に愛されていたのかは分かりません。
ただ、地面に崩れ落ちる女性の姿を見れば、彼らにも大切な人がいたことを想像せずにはいられません。
《呪われた野》が描いているのは、遠い古代ローマの出来事です。
それでも、人の命が数字に変わり、死が日常の風景になっていく恐ろしさは、決して過去だけのものではないのかもしれません。
名も残されなかった人々の死を、
この絵は、今も忘れさせてくれません。
フョードル・ブロンニコフ
《呪われた野――古代ローマの処刑場、磔にされた奴隷たち》
1878年/トレチャコフ美術館所蔵
古代ローマの世界を、もう少し知りたくなった方へ
今回の絵に描かれていたのは、奴隷たちの命が見せしめのように奪われた古代ローマの処刑場でした。
華やかな建築や皇帝の物語で知られる古代ローマですが、その繁栄の陰には、奴隷制度や身分格差、厳しい刑罰など、光だけでは語れない現実もありました。
そんな古代ローマの暮らしや社会の仕組みを、豊富なイラストとともに分かりやすく紹介しているのが、『古代ローマ解剖図鑑』です。
皇帝や剣闘士だけでなく、市民の生活、住居、食事、娯楽、宗教なども幅広く紹介されているので、
古代ローマの人々は、どんな世界で生きていたのか
を、難しい歴史書よりも気軽に知ることができます。
《呪われた野》を見て、絵の背景にある古代ローマの社会をもう少し深く知りたいと思った方におすすめの一冊です。
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