もし、大切な人が突然死んでしまったら、あなたはその後の人生をどう生きていきますか?

コロナ禍においては、新型コロナウイルスに感染して、毎日多くの人が亡くなりました。

「10日前まで元気だったあの人が、あっという間に死んでいってしまう」という経験が、誰にとっても少しリアルに感じられる日々だったといえるでしょう。
 

そんな中で私は、ポリアモリーを描いたとある物語に出会いました。

奥田亜希子『愛の色いろ』。

舞台は1軒のシェアハウス、住んでいるのは良成・黎子・千瀬・伍郎の4人。

ここに住むための条件は、「ポリアモリーに理解があること」。
 

このシェアハウスに住むための唯一の条件。それは、複数の人を同時に、誠実に愛するライフスタイルを選択しているということ。年齢や性別、性的指向は一切問わない。大切なのは、パートナーには常に交際状況を明らかにする姿勢と、相手に不満や不安を抱いたときは、その都度話し合いで解決しようとする意志だ。


良成は黎子・千瀬の2人とお付き合いしていて、千瀬と黎子は昔の恋人同士。

 

黎子は伍郎の恋人でもあります。

お互いの愛情のあいだで揺らぎながら過ぎていく日々でしたが、伍郎の突然の死をきっかけに、残された3人の生き方も大きく動いていきます。

私も以前、長年の親友を亡くしました。

たまたま共通の友人を通じてそのことを知ったから、遺族に連絡をとることができたし、形見分けもしてもらえた。

でもこのシェアハウスのように親友と一緒に暮らしていたわけでもないし、毎日連絡を取り合っていたわけでもないから、もし共通の友人がいなかったら、今でも親友の死を知らずに過ごしていたかもしれません。

知ることができて、遺族と繋がれてよかった。

でもやっぱり、死ぬ前にもっと一緒に過ごしたかったし、大好きだともっと伝えたかったと思います。

私は、死後の魂や神様は存在するかもしれないとなんとなく思ってはいるけれど、自分の大切な人が死後も草葉の影から見守っていてくれればそれでいい、というわけではありません。

あくまでも生きているうちに死んだ時のことを考えて備えておきたいし、生きているうちに大切な人たちから何かを受け継いでいきたいと思います。

外出自粛が要請されて、遠距離恋愛の恋人や遠い実家の家族に会えないなかで、日々亡くなっていく人がいました。

「いつでも会えると思っていた人と会えないまま、相手もしくは自分が死んでしまう」という状況は、全くの絵空事とは言い切れなくなったと思います。
 

誰もが突然死んでしまうかもしれないから、今のうちに、好きな人に好きって気持ちを伝えておきたい。

良成が離婚した元妻に引き取られた息子に会おうとするシーンで、彼のその想いが強く伝わってきました。
 

伍郎さんが亡くなり、伍郎さんが子どもだったころの話を聞いて、僕は平太に会いに行くことを決意した。お父さんは君のことが今でも大好きだと、たとえ信じてもらえなくても、ちゃんと伝えたいと思った。


私も、大切な人たちがもし死にそうだったら、何をどうしてでも最期に会いたいと思います。

 

死後の魂とか神様とか、死んでから神棚に入るとか入らないとか、そんなことはどうでもいい。

たとえ傷付けあってつらい気持ちで別れた昔の恋人たちであっても、人間関係がまるっきり絶たれて、死んでしまった時にそれを知るすべもないなんてことは絶対に嫌です。

どんなに憎まれていたとしても、やっぱり死ぬ前に会いたい、と思います。

物語の最後は、伍郎が死んでから10年の節目にあたる神道の「十年祭」のために、一旦は離れたシェアハウスを9年ぶりに訪れた千瀬と、それを迎えるシェアハウスの人々の団欒を描いています。

もし私自身が死んだら、家族や恋人や友人あるいは元恋人たちが、この物語みたいにときどき集まって、私の思い出話を肴に酒でも酌み交わしてくれたら嬉しいな。

故人を通して繋がった縁が途切れることなく、残った皆がお互いのことを気にかけながら、それぞれにその後の人生を紡いでいってくれたらと思います。

私が死んだ後に皆の想い出の片隅にいられて、皆を繋ぐよすがになれるなら、それが私に遺せる唯一の財産かもしれません。

そのためにも、ポリアモリーという生き方でいたい、10年経っても故人を偲んで残された者同士繋がっていられるような関係性をつくっておきたい、と思っています。

大切な人が死んでしまったらどうしよう、自分が死んでしまったらどうしようじゃなくて、死んでしまうかもしれないから生きている間にどうしよう、を考えながら今のこの日々を生きていきたい。

今は、死ぬかもしれないと思いながらも生き延びて、大切な人たちにまた会いたいと願うばかりです。

そんなふうに、私の心に刺さる物語でした。