昨今、さまざまな芸能人の不倫が話題になっています。

そこで今回は、「不倫の種類」について考えてみたいと思います。
 

「私はポリアモリー当事者です。複数のパートナーとお付き合いする時は、全員にオープンにして合意を得ます」と言うと、「ポリアモリーって、不倫の正当化では?不倫との違いはあるんですか?」と必ずと言っていいほど尋ねられます。

私はいつも、「ポリアモリーと不倫とは、二つの異なるライフスタイルだと思います」とお答えしています。

不倫とはある一つのライフスタイル、ある一つの人間関係のかたちだと、私は思います。

具体的には、パートナーに嘘をついたり、あるいは秘密をもって、他の人とセックスをすることだと理解しています。

いわゆるCheatingがコレにあたります。

一方でポリアモリーは、複数の人と性愛関係を結ぶライフスタイルという点は不倫と同じですが、その関係について関係者全員の合意を得ているという点が異なるのです(また、ポリアモリー関係にはセックスが必須というわけでもありません)。

不倫と一言でいいますが、もう少し細かく分類してみましょう。

たとえば二村ヒトシさんは、連載「良い不倫 悪い不倫」の中で、不倫を次のように区別しています。
 

二村:だから、たいがいの不倫が拗れて、少なくともどちらかが心の健康を蝕まれていくのを見てると、みんなもうちょっとマジメに性の営みだけをしようよって言いたくなるんですよ。なにか別の感情のためにそれを使うんじゃなくて。(略)多くの男女が愛でも性欲でもなく、ただの承認欲求で不倫をしてるんだと思います。

(略)

――良い性の営みをすることで、自分も相手も、さらには相手の家庭まで良い状態になっちゃうことが稀にある。僕はこれを「良い不倫」と呼んでいて、今回の祥子さんたちのケースはまさにこれだ。

不倫に良いも悪いもあるもんかと言われそうだけど、「悪い不倫」ももちろんあるし、ていうか世の中の不倫はだいたい悪い。


また、不倫する当事者の目的(何に快楽を覚えて不倫しているのか)にも、いくつかのパターンがあるように思います。

  1. セックスのためだけに不倫するパターン
  2. 恋愛したら不倫になってしまったパターン
  3. 不倫それ自体が目的のパターン

一つ目の「セックスそれ自体を目的とした不倫」は、二村さんのいういわゆる「良い不倫」にあたるでしょう。

 

「基本的には仲良しだけど、セックスにだけ問題がある」というような夫婦が、セックスだけをアウトソーシングするといった感覚です。

二つ目は、恋愛したら結果的に不倫になってしまって、やめたくてもやめられなくなるパターンです。

当事者に罪悪感や被害者意識が強く、泥沼化したりします。

アメリカでは、浮気や不倫がやめられない人を“セックス依存症”として治療の対象とするそうです。

ニール ストラウスという世界的に有名なナンパ師の著書「ザ・ゲーム 4イヤーズ」には、彼が恋人と結婚するつもりにも関わらず彼女の友人と浮気してしまい、セックス依存症として治療施設に入所した時の様子が書かれています。

パートナーがいるのに、他の人を好きになってセックスしてしまう。

罪悪感があって苦しくてもやめられない。

確かにこのような不倫は、ギャンブルや買い物に依存してしまうことと似ています。

このような不倫には「ハードルが高いほど盛り上がってしまう」という一面もあると思います。

長期的には苦しい性愛関係ほど、短期的にはめくるめくような快感をもたらすものであり、その構造は依存症に近いように思われます。

三つ目は、「秘密だから」「他人のパートナーだから」など、”不倫だからこそ楽しい”パターンです。

このタイプの人は、逆にポリアモリーには興味をもちません。

むしろ、不倫している人から、「ポリアモリーの何が楽しいの?」「そんな難しい言葉で難しいことしなくても、普通に不倫でいいじゃん」と謎のマウンティングをされることすらあります。

いや、私からすれば、不倫の方がめんどくさそうだと思ってしまうのですが……。
 

「完璧に隠すことこそ愛」みたいな“不倫の美学”を語る人もよくいます。

そういう信念をもった人に私が「不倫でなくポリアモリーするべき」と言うのも、芸能人の不倫をバッシングする第三者と同じくらい、余計なお世話というもの。

本人が敢えて不倫の道を進むというなら、もう、方向性というか宗派の違いみたいなものなんだろうなと思います。

見ていて複雑な気持ちにはなりますが……。

不倫だからこそ楽しいというのは、セックスそのものが好き、恋愛そのものが楽しいというより、「他人の所有物」に手をつけるからこそ興奮する、パートナーに隠れてやるからこそ楽しい、という感覚で、不倫はそのスリルや優越感を味わうための“手段”なのでしょう。

スパイごっこのようなゲーム感覚なのかもしれません。

不倫とポリアモリーは混同されることもよくありますが、このような不倫はポリアモリーとは真逆の、むしろ「人が人を所有する」という非常にモノガミー的な独占の感覚をベースにしたものではないでしょうか。

基本的に私個人は不倫したくもされたくもない人間ですが、かといって芸能人や赤の他人の不倫を一括りに“悪”として叩くことにも違和感があります。

当事者を断罪するだけで不倫がこの世からなくなるとは思えません。

それよりは、その人が不倫に至った背景や事情を考えたいし、もしその人のトラウマや認知の歪みが不倫の原因なら、それこそ依存症と同じように治療的な働きかけが必要でしょう。

不倫している第三者をわざわざ捕まえてポリアモリーを強要するつもりは毛頭ないのですが、とはいえ自分が苦しんだり相手を苦しめたりしながら不倫している人を見ると、できれば自分も他人も傷つけることなく健康的な関係性を築いていってほしいなぁ……とは思います。

そのためにも、不倫という出来事に対して「これはどういう種類の不倫なのか」「この不倫の背景には何があるのか」ということについて、丁寧に読み解いていくことが必要なのではないかと考えています。