今回は、世の中の“ドレスコードの押し付け”について、考えてみたいと思います。

以前、私は恋人たちと、分散型動画メディアONE MEDIAの番組「ONE INSIGHT」に出演しました。

ONE INSIGHTとは、ヴィジュアルストーリーテリングで既存の常識を覆す特集番組シリーズです。

1つのテーマに対して3本の動画を作り、有識者や現場の声を交えながら、各テーマを多角的に考察していきます。

私たちが出演した動画コンテンツのタイトルは、「枠にとらわれないパートナーの形」。

個性的なオリジナルウェディングのプロデュースで知られる結婚式サービス「CRAZY WEDDING」とのコラボレーションによる、「#結婚式に自由を」をテーマにした3本のうちの1本です。

他にもけっけさんなど、多くのポリアモリー当事者たちが出演しています。

インタビュアーは、ジャーナリストの伊藤詩織さん。

彼女は著書「Black Box」で自身が受けたレイプ被害を告発し、法と捜査、社会の現状におけるさまざまな“ブラックボックス”について世に問いかけ、大きな反響を呼びました。

私にとってはずっとお会いしたかった人だったので、こういった仕事でご一緒できることをとても嬉しく思いました。

ところがその動画に対して、インターネットでバッシングする人たちが現れたのです。

「伊藤詩織はレイプ被害者なのに、ポリアモリーを取材しているなんておかしい」という声。

中には、「伊藤詩織がフリーセックスを支持するなんて!」という、とんちんかんなコメントまでありました。

「レイプ被害者がポリアモリーに興味をもつはずがない」というのは見当違いもいいところです。

私自身、レイプ被害者でありポリアモリーでもありますが、合意なき暴力であるレイプと、合意あるパートナーシップであるポリアモリーはまったく違うもの。

「ポリアモリーに興味をもつはずがない」というのはポリアモリーに対する無理解も甚だしいし、何より「性暴力被害者ならXXXのはずだ」というイメージの押し付けなのです。

そもそも、ポリアモリーとフリーセックスやフリーラブは違うものです。

ポリアモリーは、アメリカで1960年代に起こった「性革命」におけるフリーセックスやフリーラブのムーブメントに対する反省から生まれました。

ポリアモリーの本質は、「複数人とセックスする」ことではなく、「複数人と合意あるパートナーシップを結ぶ」ことにあります。

セックスそれ自体はポリアモリーの本質ではありません。

というか、1対1のモノガミーであっても、その本質をセックスだと考える人は少ないのではないでしょうか(もちろん、「自分の恋愛の本質はセックスだ!セックスなしの恋愛なんかあり得ない!!」と考える人がいても、それを他人に押し付けないかぎりは個人の考えとして自由だと思いますが)。

さらにいえばアセクシュアルなど、セックスしないポリアモリーの人たちもいるのです。

なにより、詩織さんはインタビュアーとしてポリアモリーを取材しているだけで、ポリアモリーを支持しているわけでもないし、自分自身がポリアモリーだと表明しているわけでもありません。

「伊藤詩織がフリーセックスを支持」という意見は、何重にも的外れなものだといえるでしょう。

撮影のかたわら、私は詩織さんと“押し付けられるドレスコード”の話をしました。

「性暴力被害者ならXXXのはずだ」「ポリアモリーならXXXのはずだ」こういったイメージの押し付けは、社会のいたるところで見られるものです。

性暴力被害者が、第三者から見て「被害者らしく」ふるまっていないからといって非難することは、いわゆる二次加害(被害者にも責任があるという趣旨の発言をしたり、好奇の目で見たりすることで、被害者にさらなる心理的・社会的ダメージを与えること。セカンドレイプとも呼ばれる)にあたります。

詩織さんは「被害者のドレスコード」を押し付けられ、私は「ポリアモリーのドレスコード」を押し付けられる。

同じように世の中には、「男ならば、泣いたり弱音を吐いてはならない」という“男のドレスコード”や、「母親ならば、自分を犠牲にして子供に尽くさなければならない」という“母親のドレスコード”などといった、「ねばならなさ」の呪いが溢れているのではないでしょうか。

こういった規範意識は、それに囚われている人自身も生きづらくなるし、その人が「これは、こうあるべき」と押し付けることで規範意識を再生産し、他人までをも生きづらくしてしまうものです。

特に、性や恋愛に関する規範意識は、それが語られること自体にタブー感が強いこともあって、議論されないまま見えない鎖となって人々を縛り付けているのではないかと思います。

“規範”や“常識”は、何もそのすべてが悪というわけではありません。

規範に乗っかることが心地いいと感じる人は、規範をうまく利用していけばいいと思います。

ただ、そういった規範や「これは、こうあるべき」という価値観は、あくまでも自分のものであって“唯一絶対の正義”などではない。

どんな価値観であれ、それを他人に押し付けたり理解を強要したりするのではなく、「私はこういう生き方だけど、あなたはそういう生き方なんだね」と、他人を温かく放っておく態度が大切なのではないでしょうか。