今回は、ポリアモリーについて語る人たち・語ろうとしている人たちに伝えたいことをまとめてみました。
私はポリアモリーについて発信し始めて10年以上経ちますが、まぁ、わりと批判されます。
批判というと、ポリアモリーに否定的な人から…?と思う人もいるでしょう。
確かにそれもありますが、実は、自分自身がポリアモリーだという人から批判されることもあるのです。
たとえば「そういう発信/行動はよくないと思います。きのコさんは影響力があるんだから、それでは他のポリアモリーの人まで一緒くたに偏見をもたれて、皆に迷惑がかかります」と言われたり。
でも、それってずいぶん変な話ではないでしょうか。
そもそも影響力って、当人だけの努力で身につけられるものじゃないはず。
発信する人の声に耳を傾ける人たち、影響を受ける人たちがいて初めて、「影響力がある」という状態が生まれるのです。
だから、私に影響力があることを私だけの問題のように言われても困ります。
誰かに影響力があることが良くないと思うのなら、その人の話を聞くのをやめるなり、自分自身がより強い発信を広めるなりすればいいのではないでしょうか。
また、私としては、自分の発言に対して責任があるからこそ「これはあくまでも私個人の考えです。違う考えの人もいます」という姿勢を貫くように気をつけています。
私が(批判する人にとって)間違った発信や行動をして、他のポリアモリーの人まであらぬ偏見や差別を受けることがあるとしても、それってよく考えてみれば「ポリアモリーを全員同じだとひっくるめて捉えている」人の方がおかしいのです。
主語が大きすぎる。
差別されないように発信を控えたりするよりも、差別する人に対して「それは差別ですよ」「主語が肥大してますよ」と声を上げてゆくことの方が大切だと思います。
ポリアモリーだって、1人ひとり違うのです。
だから、ポリアモリーの中の多様性も大切にしたい。
たとえばフェミニストたちやトランスジェンダーの人たちが、「お前はフェイクフェミニストだ!」だの「お前はトランスジェンダーとして間違っている!」だのと内輪もめをして消耗しあっているのを見ると、「ああいうのって、めちゃくちゃ勉強して完璧に理論武装しないと、語っちゃいけないんだな…」などと思ってしまいます。
でも、そうやって周囲の人をドン引きさせていては、「これから語り始めたい人」「当事者じゃないけど、興味をもっている人」まで萎縮させてしまうし、それで活発な議論がなくなり多様性が殺されてしまうのって、もったいないことです。
どんな概念や思想でも、それについて発信している誰もが同じ意見をもっているなんてこと、そうそうありません。
皆が同じ意見になってしまえば、それはもはやある種の思考停止というものです。
私は、ポリアモリーが排他的なカルトになることは避けたいと思っています。
だから「ポリアモリーでない人」のことも尊重したいし、その人たちにポリアモリーを押し付けるつもりもない。
ポリアモリーでない人とも、対話して共存していければと思います。
ポリアモリーの中にもいろいろな考え方の人がいます。
「あなたの考えるポリアモリー」が、「私の考えるポリアモリー」と違っていても、自分自身や他人を傷付けなければ、それでいい。
(ちなみに、同じ考えの人たちだけでクローズドなポリアモリーのコミュニティを作りたい人がいても、それ自体はまったくの自由。ただ、私個人としては、自分と異なる人たちとの対話や多様性に対して開かれていたい、と望んでいるだけです。)
私は、発信することを誰かに強要するつもりはありません。
難しいし、バッシングは怖いし、リスクがないといえば嘘になります。
無理して語って、傷ついたりしないでほしい。
だけど、それでも勇気をもって発信している人に対して、自分は安全圏に引きこもっていながら「そういう発信はしない方がいい」とか「もっとこういう発信をするべき」と批判だけするのは、ズルくない?と思ってしまうのです。
評論家ぶったり、他人のふんどしで相撲とるような真似してないで、自分で発信しなよ、と。
イベントの主催についても、同じことです。
「遠くて参加できない、もっとうちの近くでやってください!」
「参加費が高い、もっと安くしてください!」
「すぐ満席になってしまう、もっと頻繁にやってください!」
じゃあ、自分でやりなよ、と思います。
自ら発信も行動もしない人がぶつけてくる批判や要求に、耳を貸す価値はありません。
他人の粗探しや批判だけなら、誰にでもできる。
でもそれは、ある意味で他人の言説を利用し、乗っかっているに過ぎません。
それだけじゃつまんないし、誰のこともエンパワメントできない。
誰かを批判するだけではなく、あなた自身の気持ちや考えを、あなた自身の言葉や行動で示してほしい、と思います。
「ポリアモリーについて語るのが怖いのも難しいのも、分かる。無理はしないで。でも、いま発信している人たちを批判するばかりでなく、できれば少しずつでも自分の言葉で語っていこうよ。そうすればだんだん誰もが語りやすくなっていくから」
これが、私の言いたいことです。
はじめは間違っていてもいい、勉強不足でもいい。
話がまとまらなくても、意見が変わってもいい。
わからなくなってもいい。
最初から完璧な知識がある人も、完璧に主張が固まっている人もいないのです。
他人を否定したり茶化したりせず、正しさや知識量でマウンティングするのでもなく、「あなたはそう思うんだね。私はこう思うんだ」ということを、誰もが語り合える世界にしてゆければと思います。