最近、何かとニュースで見かけることも多い「DV(ドメスティックバイオレンス)」「モラハラ(モラルハラスメント)」という言葉。

今回は、ポリアモリーとDVについて、考えてみたいと思います。
 

DVが起こるのって、いろいろな意味での「密室」においてだと思っています。

家の中という「物理的な密室」もそうだし、そもそもドメスティックな環境って、「人間関係における密室」になりやすいもの。

パートナーに対する“一途さ”が束縛などの不健全な方向へ向いてしまうと、「あの人は自分がいないとダメだから……」という共依存が生まれやすく、そこからDVへと繋がってしまうのではないでしょうか。

密室で起こるDVにおいては、当事者がその暴力性に対する自覚をもっていないことがあります。

「愛しているから」と暴力を振るったり束縛したりするし、「愛しているから」と我慢してしまったり受け入れてしまったりする。

あるいは「被害者にも問題があり、それが加害者を怒らせ、暴力を誘発した」という、暴力を正当化する意識を加害者が(ときには被害者自身も)もっていることも。

でもたとえば、ポリアモリーのカップルだったらどうでしょう?

私はAさんとケンカするとBさんに相談し、BさんとケンカするとAさんに相談する、ということがよくあります。

パートナー達の1人と揉めることがあっても、他のパートナーがその話を親身になって聞いてくれるし、ときには間に入って議論を仲介してくれるので、2人きりで問題に向かい合って煮詰まってしまう……ということがありません(ただ、相談が「悪口」になってしまったり、「複数人で1人を叩く」というイジメの構図になってしまわないように、という注意は必要です)。

2人の間のトラブルについて、「それって変じゃない?」とか「自分にはこう見えるよ」などと言ってくれる人がいれば、状況がDVにまでエスカレートするのを防ぐことができる。

友人や親がそういったコメントをしてくれることもあるでしょうが、「他のパートナー」もそのような「近しい他人」になれると思います。

「密室」で起こるDVに対して、ポリアモリーはそういった「風通しの良い」関係性を築きえるのではないでしょうか。
 

健全なポリアモリー関係のためには、全員が対等な関係を築くことが大切……という話をすると、時折「でも、経済力に格差のあるカップル、たとえば会社員の夫と専業主婦の妻などの場合には、精神的に対等になりにくいのでは?」という意見をもらうことがあります。

確かに、「誰が食わせてやってると思ってるんだ!」とか、「この人の稼ぎがないと私は生きていけない……」という考え方のカップルの場合には、対等なポリアモリー関係がうまく築けないかも知れません。

しかし、これが理由でポリアモリーがうまくいかないなら、モノガミーだってうまくいかないのではないでしょうか。

ここでの問題は、「経済力があるパートナーの方がカップル内における権利が強い」という考え方のほうでしょう。

DVの背景には、そういうカップル内の経済的格差や、ジェンダーバイアスと呼ばれる「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」という偏見など、社会的な問題もあると思います。

ジェンダーバイアスの強い人ほど、DVを「仕方がないものだ」と軽く捉える傾向があります。(ただし、ここでは主に男性と女性のカップルにおける、男性から女性へのDVについて述べていますが、女性から男性へのDVもあるし、同性カップル内においてもDVは起こるものです。)

ポリアモリーとジェンダーバイアスって、そもそも相性が悪い(逆にいえば、ポリアモリーとフェミニズムって相性が良い)。

もちろん、一夫多妻的な、一人の男性が複数の女性をパートナーにもつようなライフスタイルもあるのですが、「カップルにおいて、男は能動的にリードするもの、女は受動的に“愛され”るもの」みたいなバイアスが強いと、ポリアモリーカップル内のコミュニケーションが対等でなくなるかもしれません。

そういう場合に、男性の方がある意味で“雑”にポリアモリーを推し進めてしまいやすい、「合意が成立している」と勘違いしてしまいやすい可能性はあると思います。

「これがこうなった場合には合意の成立とする」というような基準は定めづらいしカップルごとに違うものですが、「今、自分や相手はこの状況をどう感じているか?」「自分は我慢していないか?誰かを我慢させていないか?」と各人が自分や相手の気持ちを考える(もちろん勝手に推測するのではなく、確認する)ということが日常的に大切なのではないでしょうか。