「ポリアモリーより、不倫の方がエロくないい?」

 

時おり、こんな意見を見聞きすることがあります。

今回はポリアモリーと不倫について、考えていきましょう。
 

私は「ポリアモリーより不倫のほうがエロい」というのは、ポリアモリーと不倫とに優劣をつけようというのではなく、あくまでも「秘密のある関係性のほうが楽しい」という意味だと思っています。

つまりは、「隠すがゆえのエロス」という情緒。

確かに、たとえばストリップだって、ダンサーが最初からすっぽんぽんの大股開きで登場してきたのでは興醒めというものです。

見えるようで見えないとか、少しずつ見えてくるとかいったところにこそエロスがあるといえるでしょう。

秘密のドキドキわくわく感って、いうなれば、子供のころ気の合う仲間たちだけで作った秘密基地のようなもの。

別にそこでやましいことをするわけじゃなくても、ただ「オレたちだけの秘密」であることが、楽しい。 

あるいは自分のお気に入りのバーを“隠れ家”として、仲のいい人にしか教えたくない、という感じ。

なにか素敵なものを、自分だけの秘密としてこっそりと堪能する。

そこに優越感やスリルを感じる人も多いことでしょう。

その感覚は、もちろん私にもよく分かります。

……でも人間って、「お気に入りだから秘密にしておきたい」と「お気に入りだから教えたい」という、相反する気持ちをもちあわせた生き物ではないでしょうか。

私個人はどちらかというと、後者の「シェア欲」(ある種の自己顕示欲?)みたいなものが強いのかもしれません。

“エロい”と言われる不倫は、あくまでもバレないように緻密に営まれ、罪悪感のない、いわば「丁寧な不倫」。

つまり“愛ゆえの優しい嘘”みたいなものだと思います。

私は優しい嘘って表現、どうにも引っかかってしまうのですが……とはいえ、罪悪感に苦しみながら不倫している人もいれば、悩まずに不倫を愉しんでいる人もいる、これは確かでしょう。
 

ひるがえって私自身が、不倫という秘密を愉しめず、ポリアモリーでなければしんどいのはなぜか。

それは、私にとっての不倫が「主体的に選びとった秘密」ではないからかもしれません。

そしてこれは私がセクシュアルマイノリティ当事者であることとも関係あるように思います。

そもそも私は、ポリアモリーであると同時に、パンセクシュアルでもあります。

同性を好きになってしまうことも、複数の人を好きになってしまうことも、昔の私にはいつの間にか世間から“背負わされた”秘密でした。

なぜ自分だけが皆と違って異常なのか、と自分を責めていました。

私にとって秘密とは、私を生きづらくする枷だったのです。

だから今でも秘密が苦手だし、秘密アレルギーだとさえ言ってもいいでしょう。

世の中には、さまざまな秘密を抱えた人がいます。

その中には、愉しめる秘密も、愉しめない秘密もあるはず。

たとえば自らが 被差別部落の出身であるという秘密、外見からは分からないような病気や障害をもっているという秘密を愉しめる人はまずいないと思います。

秘密に“せざるを得ない”ことで、世間から無言のうちに抑圧されているようで苦しいのです。

だから不倫でも、自らの不倫関係に対して主体性と覚悟がある人は愉しめるのかもしれないし、不倫関係に陥らざるを得なかったと感じている人は苦しむのかもしれない。

もちろんここに厳密な線引きはないので、当事者が自分の関わる不倫関係を主観的にどう捉えているのかで、罪悪感や被害者意識の有無が変わるのだと思います。
 

私個人の意見としては、「隠すがゆえのエロスは確かにあるけれども、それをわざわざ“恋愛”という人間関係のなかでやらなくてもいいんじゃない?」とは思います。

誰かを傷つけたり自分が傷ついたりするリスクを抱えながら恋愛関係そのものを秘密にしなくても、スリリングなエロスって他の営みでも十分得られるものではないでしょうか。

私自身は、私と無関係な第三者が「丁寧な不倫」を営むことを非難することはできない一方で、やっぱり自分自身のライフスタイルとしては不倫はできないしされたくもないな、という思いがあります。

スパイごっこや隠れんぼのスリルだったら、不倫のスリルより愉しめるかもしれませんが(ふと思ったのですが、不倫を上手にできる人って、腕利きのスパイにもなれたりするのかな ……)。

そしてあくまでも、これは私のエロスに対する好みの話。

「何をエロいと感じるか」に、善悪や優劣があると言っているのではありません。

私が秘密の不倫というものに苦手意識をもっていてエロスを感じられないことも、何もかもさらけ出したい!と思うことも、極端な言い方をすれば私の性癖みたいなものです。

どんな関係性、どんなコミュニケーションを「エロい」と思うかは人それぞれで、その好みを押し付けあったり、正否を問うようなものではないと考えています。