今日はバレンタインデー。

ということで今回は、私がバレンタインについて思うところを綴ってみようと思います。
 

バレンタインの「義理チョコ」という風習が、私はなんとも苦手。

 

私はサラリーマン時代、営業職だったことがあります。

最初に配属された営業部は、数十人の男性営業に対して女性営業は私を含め2人だけ。

いくつかある営業部の中でも、もっとも ”体育会系” といわれる部門でした。

うちの会社にはいわゆるメンター制度があって、新人時代の私には1期上の先輩がついて仕事を教えてくれていました。

入社後初めてのバレンタインデーが近づいてきて、私は、いつもお世話になっている先輩にチョコを贈ろう! と思いたちました。

ところが当日。

「先輩、いつもありがとうございます!」とチョコを差し出した私に、先輩は強い調子で「お前、こういうのは俺だけじゃなくて、他の先輩や上司みんなに配らないとダメだろ! 気を遣えよ!」と言ったのです。

なんで? 

誰にチョコを渡すか、なんで自分の好きに決めちゃいけないの?

思いもよらない言葉にカッとなった私は、すぐさまデパートに飛び込んでゴディバを数万円分買い込み、職場の皆に(男女の区別なく)配って回りました。

先輩には「何も全員にゴディバ配らなくても……」と呆れられましたが、とにかく私はバレンタインについて”こうするべき”を押し付けられたことに頭に来ていて「配ればいいんでしょ、配れば!」というテンションだったのです。
 

また、異動で別の営業部になった時には、バレンタインデーの数日前に女性の先輩が私のところへやって来ました。

「うちの営業部では毎年、女性社員全員でお金を出し合って、男性社員全員にチョコをプレゼントする習慣なの。協力してね」

なにそれ……。

私は「チョコを渡す相手は自分で決めたいので」とその話を断りましたが、その時の先輩の「皆でやってることなのに……」という非難がましい反応にうんざりしました。

「きのコさんはバレンタインのチョコ配りに参加しない人」というイメージが定着して声をかけられなくなるまで、数年間は頑張ったでしょうか。

ちなみに、ホワイトデーには男性社員全員から女性社員全員にお菓子がプレゼントされるというお返しイベントもありましたが、もちろん受け取らず、その時にも苦い顔をされたことを覚えています。

サラリーマンとして会社でやるバレンタインデーって、こんなに鬱陶しくてつまんない”お務め”なんだな……


こういう出来事を通して、私はすっかり「全員に義理チョコを配るバレンタイン」というものが嫌になってしまいました。

「義理」というタテマエ的な表現が気に入らない、という感覚もあるので、割り切ってお中元やお歳暮と同じようなものと考えればいいのかもしれませんが……

「だって、バレンタインはそういうのじゃないもん」と思ってしまう自分がいます。

もちろん、義理チョコを楽しんでいる人もたくさんいます。

私も、ブラックサンダーの「一目で義理とわかるチョコ」というコンセプトはすごく面白いと思ってます。

とはいえ「めんどくさいなぁ」「でも贈らないとなぁ」と思いながら渡すような“義務チョコ”ならば、わずらわしい思いをしてまで配らなくてもいいのではないでしょうか。

義理チョコってなんだか、桃太郎やシンデレラが何人も出てくる幼稚園の”おゆうぎ会”みたいに思えてしまうのです。

「一人だけえこひいきはいけません」というとんちんかんな平等意識と、「モテない(チョコレートをもらえない)人はかわいそう、モテる人は偉い」という恋愛至上主義との悪魔合体。

義理チョコを義務チョコにする文化が、バレンタインデーをめんどくさいものにしていると思います。

本来は「好意を伝える」というシンプルな日のはずなのに、「みんな一緒に」とか「空気を読んで」とか変な気遣いの結果、好きでもない人にわざわざお金と時間を使ってプレゼントを”しなければいけない”日になってしまっている。

本当はもっと、自分の気持ちを大切に味わう、わくわくドキドキが詰まった日であってほしいのです。

そう思いつつしばらく経った頃、ゴディバが「日本は、義理チョコをやめよう。」という広告を新聞に掲載して、大きな話題となりました。

昔、私が忌々しい気持ちいっぱいで配ったあのゴディバが「義理チョコやめよう」って言ってくれている……!

私は、ゴディバの「バレンタインデーを、もっと好きになってほしい」という意見を、とても素敵だと思います。

 

このゴディバの広告を見て、バレンタインデーの意味が変わってきているんだな、と感じました。

バレンタインならぬ「ギャレンタイン」という言葉もあります。

ギャレンタインとは、Gal(ギャル)とValentine(バレンタイン)を掛け合わせた造語。

バレンタインデー前日の2月13日に、女性だけでパーティーを楽しむことです。

日本でいうところの「友チョコ」とも似てますね。

ゴディバも、ギャレンタインにちなんだ女性向けのキャンペーンを展開していました。

義理チョコがダメだとか、ギャレンタインの方がいいとか言いたいわけではありません。

ただ、バレンタインデーを「女性が男性にチョコレートをプレゼントする日」と決め付ける必要もないし、義務感でチョコを渡す必要もないと思うのです。

私にとって、やっぱりバレンタインデーは好きな人たちに想いを伝える日。

ポリアモリーであっても(あるいはポリアモリーだからこそ)バレンタインは大切にしたい。

どんなジェンダーであっても、どんなセクシャリティであっても、私たちはバレンタインを好きな方法で祝い、大切な人に好意や感謝を伝えることを楽しんでいいのではないでしょうか。

私は「プレゼントしなければいけない」という圧力をかけられるのは嫌だけど、大切な人たちのために自発的にプレゼントを選ぶのは大好きだし、その相手が恋人であっても友人であってもセフレであっても関係ありません。

義務的にチョコをバラ撒くのではなく、大切な人たち一人ひとりのことを想いながら、それぞれが一番喜んでくれるプレゼントを探す時間が好きなのです。

バレンタインデーが本来の「好意を伝える」という目的に立ち戻るなら、きっともっとこの日を楽しめるようになると思います。

今年のバレンタインデー、プレゼントをあげる人もあげない人も、もらう人ももらわない人も、自分の「好意」を大切にできる日になりますように。