最近、叶恭子さんをはじめ世間に知られている人々がポリアモリーをオープンにすることで、ポリアモリーという概念が広まってきている気がします。
 

私自身は10年以上前から、ポリアモリーであることをネット上で発信しています。

なぜ、ポリアモリーであることをオープンにするのですか?とよく問いかけられます。

「別にオープンにする必要ないじゃん。当事者同士だけでうまくやってればいい」と言われることも。

あるいは「私もポリアモリーですが、周りにオープンにしたほうがいいでしょうか?」と訊かれたり「あなたみたいに堂々とオープンにできない自分が恥ずかしい」と言われたりします。

また近ごろ「世界を変えるためにはポリアモリー当事者が声を上げるべき」という意見を耳にすることもあります。

私がポリアモリーであることをオープンにしている理由は、突き詰めていえば、自分自身の生きやすさのためです。

オープンにしていることで、他のポリアモリー当事者や、非当事者であってもポリアモリーに興味がある人たちと、たくさんのつながりを得ることができています。

これはポリアモリーに限った話ではないのですが「私はこんな人間です」というのをオープンにしていると、共感する人や同じような人が近づいてきやすくなるものです。

もちろん、時には心無い人がわざわざバッシングしに来ることもあるのですが、そういう人は意外と少なく、大抵の人はこちらに見えないところで陰口をたたく程度です。

そして、そのような陰口は得てして、私を再起不能なまでに傷付けたりする力などもっていないものなのです。

ポリアモリーであることをオープンにしていてよかった、とつくづく思うのは「ポリアモリーという概念を知ったことで生きやすくなった、救われた」と言う人たちに出会った時です。

私自身は「救ってあげよう」などと大上段に構えて活動をしているわけではなく、気の合う友達ができたらいいな~くらいの気持ちなのですが、自分自身、初めてポリーラウンジに参加(運営ではなく、いち参加者として)した時に感じた「自分だけじゃなかった」「救われた」という気持ちは、今でもポリーラウンジを運営していく何よりのモチベーションになっています。
 

「声を上げないと、『存在しない』ことにされてしまう」という意味では、ポリアモリーも、LGBTやある種の障害・病気をもつ人も、立場は似たところがあると感じています。

自ら発信しないと、黙っていては分かってもらえないし、悪意なく傷付けられてしまうかもしれません。

とはいえ、ポリアモリーであることを第三者に公表することと隠すことには、それぞれメリットもデメリットもあると思います。

私はそれらを天秤にかけたうえで「私個人はポリアモリーをフルオープンにしてしまうのが一番、生きやすい!!」と思うからこそこのような発信を続けていますが、ポリアモリー当事者は誰もが世界に公表するべきだ!などと主張するものではありません。

オープンにするのはあくまでも自らの意志と選択に基づいておこなうこと。

一度オープンにしてしまえば「やっぱ今のなし!!」と帳消しにはできません。

ポリアモリーというライフスタイルの性質上、関係者(パートナーなど)にカミングアウトして合意を得ることは必要だと私は考えていますが、カップルの外(たとえば親兄弟、子供、会社の人たち、近所の人たちなど)に対してどこまで公表するかは、各個人の自由だと思います。

アウティング、つまりポリアモリーであるということを他人が勝手に言いふらすことはもってのほかですが、公表やカミングアウトを強要することも、してはならないと思っています。

オープンにしたい人がオープンにしても、誹謗中傷に曝されない。

オープンにしたくない人がオープンにしなくても、勝手に決め付けられたりプレッシャーを受けたりしない。

ポリアモリーに限らず、セクシャリティであれ、宗教や人種や、障害や病気であれ「オープンにしてもいいし、しなくてもいい」という社会が誰にとっても心地よいものになるのではないかと、私は考えています。