どうもこんにちは。今回の話題は折口信夫の『古代研究 民俗学篇1』です。
 
これは僕の覚え書きの感が強く、ちゃんと学術的に書くということには主眼を置いていません。あまり難しい言葉を使わずに、自分が理解しやすいようにまとめてみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
 
さて、このブログのスタイルですが、本文の言葉を一言一句正確にちまちまと解釈するのではなく、自己流にサラッと読み解くスタイルをとります。
 
なので、学問的に『古代研究』を読みたい方は「『古代研究』の研究」を学者さんがしていらっしゃいますのでそちらをご覧ください。このブログはあくまで「『古代研究』の研究の研究」だということをご理解くださいね。
 
ですが、本文の検討や色々は大歓迎ですので、ぜひぜひ様々なご指摘をいただきたいと思っています!!

第一回はもちろん「妣が国へ・常世へ」の第一部を扱います。
 
黒:本文
赤:一言
青:要約
 
われわれの祖たちが、まだ、青雲のふる郷を夢みて居た昔から、此話ははじまる。而も、とんぼう髷を頂に据ゑた祖父・曾祖父の代まで、萌えては朽ち、絶えては孼えして、思へば、長い年月を、民族の心の波の畦りに連れて、起伏して来た感情ではある。開化の光りは、わたつみの胸を、一挙にあさましい干潟とした。併しかし見よ。そこりに揺るゝなごりには、既に業に、波の穂うつ明日の兆しを浮べて居るではないか。われわれの考へは、竟に我々の考へである。誠に、人やりならぬ我が心である。けれども、見ぬ世の祖々の考へを、今の見方に引き入れて調節すると言ふことは、其が譬ひ、よい事であるにしても、尠すくなくとも真実ではない。幾多の祖先精霊をとまどひさせた明治の御代の伴大納言殿は、見飽きる程見て来た。せめて、心の世界だけでなりと、知らぬ間のとてつもない出世に、苔の下の長夜の熟睡を驚したくないものである。
 
まずは有名な序文ですが、なんというわかりにくい文章でしょう。日本語がうますぎるためにこうなったのでしょうか。
 
とにかく、想像もつかないような昔の出来事の名残がまだ残っていて、それを研究しよう。でも、昔のひとが考えていたことを自分たちの尺度で考えると色々読み違えるから、できるだけそのまま見ようね、と言っているのでしょうか。
 
われわれの文献時代の初めに、既に見えて居た語ことばに、ひとぐに・ひとの国と言ふのがある。自分たちのと、寸分違はぬ生活条件を持つた人々の住んで居ると考へられる他国・他郷を斥したのである。「ひと」を他人と言ふ義に使ふことは、用語例の分化である。此と幾分の似よりを持つ不定代名詞の一固りがある。「た(誰)」・「いつ(=いづ)」・「なに(何)」など言ふ語は、未経験な物事に冠せる疑ひである。ついでに、其否定を伴うた形を考へて見るがよい。「たれならなくに」・「いづこはあれど(=あらずあれど)」・「何ならぬ……」などになると、経験も経験、知り過ぎる程知つた場合になつて来る。言ひ換へれば、疑ひもない目前の事実、われ・これ・こゝの事を斥すのである。たれ・いつ・なにが、其の否定文から引き出されて示す肯定法の古い用語例は、寧むしろ、超経験の空想を対象にして居る様にも見える。われ・これ・こゝで類推を拡充してゆけるひとぐに即、他国・他郷の対照として何その国・知らぬ国或は、異国・異郷とも言ふべき土地を、昔の人々も考へて居た。われわれが現に知つて居る姿の、日本中の何れの国も、万国地図に載つたどの島々も皆、異国・異郷ではないのである。唯、まるまるの夢語りの国土は、勿論の事であるが、現実の国であつても、空想の緯糸の織り交ぜてある場合には、異国・異郷の名で、喚んでさし支へがないのである。
 
次の文章です。異国というものについて語られていますね。意味不明です。文法の知識とかは飛ばしましょう。
 
「ひとぐに」「ひとの国」という言葉があって、それが「自分たちの見たことも聞いたこともないところで自分たちと同じように生活している人のいる国」を指すみたいですね。そして、そういう見知らぬ国を昔の人たちは想像していたのだと。
 
われわれの祖々が持つて居た二元様の世界観は、あまり飽気なく、吾々の代に霧散した。夢多く見た人々の魂をあくがらした国々の記録を作つて、見はてぬ夢の跡を逐ふのも、一つは末の世のわれわれが、亡き祖々への心づくしである。
 
短い文章ですね。これは少しわかりやすい
 
自分たちの先祖の先祖みたいな人びとが持っていた「自分たちの世界」と「どこか遠くにある世界」という世界観は、最近になってびっくりするほど簡単に消えてしまった。だからそんな昔の人があこがれてた「どこか遠くにある世界」をもう一回考えてやろうぜ!先祖のためにも!
 
心身共に、あらゆる制約で縛られて居る人間の、せめて一歩でも寛ぎたい、一あがきのゆとりでも開きたい、と言ふ解脱に対する倘怳が、芸術の動機の一つだとすれば、異国・異郷に焦るゝ心持ちと似すぎる程に似て居る。過ぎ難い世を、少しでも善くしようと言ふのは、宗教や道徳の為事しごとであつても、凡人の浄土は、今少し手近な処になければならなかつた。
 
次の文章ですが、パソコンの変換機能でも出てこない漢字を使うのはさすがの国文学者といいますか…骨が折れるといいますか。
 
色々苦労が絶えない人生で一息つきたいなって時に、手軽に空想して安らげるのは「ひとぐに」みたいなところだったのでしょうね、的な感じかな?
 
われわれの祖たちの、此の国に移り住んだ大昔は、其を聴きついだ語部の物語の上でも、やはり大昔の出来事として語られて居る。其本つ国については、先史考古学者や、比較言語学者や、古代史研究家が、若干の旁証を提供することがあるのに過ぎぬ。其子・其孫は、祖の渡らぬ先の国を、纔かに聞き知つて居たであらう。併し、其さへ直ぐに忘られて、唯残るは、父祖の口から吹き込まれた、本つ国に関する恋慕の心である。その千年・二千年前の祖々を動して居た力は、今も尚、われわれの心に生きて居ると信じる。
 
そんな異国の現在までの継続みたいな話です
 
「ひとぐに」の話は大昔のこと過ぎてちゃんとは残されてないんだけど、でもそういうものへの憧れって遺伝子レベルで僕たちのなかに残ってるっしょ!ってことです。
 
十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。此をはかない詩人気どりの感傷と卑下する気には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心(のすたるぢい)の、間歇遺伝(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか。
 
はい出ました。これは有名な一説ですね。言葉遣いが独特ですが、彼は詩人でもあったので。
 
熊野の旅で海岸の崖に立ったら懐かしい気分になった。これってもともと自分の心の中に遺伝子レベルで受け継がれてきた「ふるさと」の記憶じゃない!?
 
すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われわれの祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。いざなみのみこと・たまよりひめの還りいます国なるからの名と言ふのは、世々の語部の解釈で、誠は、かの本つ国に関する万人共通の憧れ心をこめた語なのであつた。
 
なにやら神話を絡めた解説ですが、余計わかりにくいような気が…。僕だけですかね
 
昔の神様たちが求めたのもこの「ふるさと」であって、これからは「妣が国」と呼びますよ。
 
而も、其国土を、父の国と喚ばなかつたには、訣わけがあると思ふ。第一の想像は、母権時代の俤おもかげを見せて居るものと見る。即、母の家に別れて来た若者たちの、此島国を北へ北へ移つて行くに連れて、愈強くなつて来た懐郷心とするのである。併し今では、第二の想像の方を、力強く考へて居る。其は、異族結婚(えきぞがみい)によく見る悲劇風な結末が、若い心に強く印象した為に、其母の帰つた異族の村を思ひやる心から出たもの、と見るのである。かう言つた離縁を目に見た多くの人々の経験の積み重ねは、どうしても行かれぬ国に、値ひ難い母の名を冠らせるのは、当然である。
 
「妣が国」という名称の理由について語られます。ここは興味深いですね。あとここの部分は解釈が特に不十分かもしれません。
 
「妣が国」と呼ぶ理由がふたつあります。その一、お母さんと過ごした故郷を離れてきた若者のノスタルジックな気持ち。その二、女の人が他の村のひとと結婚して不幸になるという結末がなんとなく心の中にあって、そのせいで他の村に行ってしまった女の人が心配でならない。今は二つ目の理由の方が有力かも。
 

 
要約
 
想像もつかないような昔の出来事の名残がまだ残っていて、それを研究しようと思います。
 
でも、昔のひとが考えていたことを自分たちの尺度で考えると色々読み違えるから、できるだけそのまま見ていきたいです。
 
昔、「ひとぐに」「ひとの国」という言葉があって、それが「自分たちの見たことも聞いたこともないところで自分たちと同じように生活している人のいる国」を指すみたいです。
 
そして、そういう見知らぬ国を昔の人たちは想像していたのです。
 
しかし、自分たちの先祖の先祖みたいな人びとが持っていた「自分たちの世界」と「どこか遠くにある世界」は、最近になってびっくりするほど簡単に消えてしまいました。
 
そこで、そんな昔の人があこがれてた世界をもう一回考えてやろうぜ!と思うわけです。先祖のためにもなるでしょう。
 
その世界は、色々苦労が絶えない人生で一息つきたいなって時に、手軽に空想して安らげるところでした。
 
「ひとぐに」の話は大昔のこと過ぎてちゃんとは残されてないんだけど、でもそういうものへの憧れって遺伝子レベルで僕たちのなかに残ってるんです。
 
実は、熊野の旅で海岸の崖に立ったら懐かしい気分になりました。
 
そのとき、これってもともと自分の心の中に遺伝子レベルで受け継がれてきた「ふるさと」の記憶じゃない!?と直観しました。
 
昔の神様たちが求めたのもこの「ふるさと」であって、これからは「妣が国」と呼びます。
 
これを「妣が国」と呼ぶ理由がふたつあります。
 
その一、お母さんと過ごした故郷を離れてきた若者のノスタルジックな気持ちがあるから。
 
その二、女の人が他の村のひとと結婚して不幸になるという結末がなんとなく心の中にあって、そのせいで他の村に行ってしまった女の人が心配でならないから。
 
今は二つ目の理由の方が有力かもしれません。
 
今回はここまでです!また次回!