10/7、PM10:41に、千葉県北西部を震源とする大きな地震があった。

 

 僕はその頃ちょうど、同じく東京在住の友人と通話をしていたので、彼とお互いの安否確認を行ったことをよく覚えている。

 

 とかく日本とは災害の多い国である。地震に津波、台風、洪水、干ばつなど、枚挙に暇がない。しかし、その一方で私達の先祖はそういった驚異にある名前を与えていた。それが「妖怪」である。

 

 妖怪、と聞いてなにを思い浮かべるだろうか。怖いもの、不思議なもの、迷信?どこか自分たちからは遠く離れたところにあるような、そんな気配を感じないだろうか。僕も実際のところそう思っていたうちの一人である。正直に言うと僕はホラー映画やお化け屋敷などにはてんで耐性がない。怖いものが大の苦手なのである。妖怪なんて考えたくもないし、絶対遭遇したくない。だって怖いんだもの。だからできれば自分から遠く離れたところにある存在であってほしいという願いも込めて、僕は妖怪をそのように考えていた。

 

 だが、それは半分正解であって半分は的を射ていないのかもしれない。

 

 今回紹介する『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』は、日本人が生み出した妖怪の数々を実に多様な観点から物語っている。僕の拙い文章ではこの本の魅力を伝えきることなど到底できる気がしないため、ここでは内容について詳細に述べることは避け、概要だけを大雑把に抜き出していこうと思う。

 

 

 

0:はじめに

 

 ここではこの本の趣旨が述べられている(そりゃそうだ)。東北大震災後の現状が、数々の不思議な体験とともに生々しく描かれていた。

 

 そこでは本の題名にもある通り、やはり柳田国男代表的な著作である『遠野物語』(※1)について多く言及されている。そのなかで最も興味深かったのが柳田国男のこの一節。

 

 

  願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ(...)これは目前の出来事なり

p.4より引用

 

 

 僕は戦慄した。やはり柳田国男はすごい。いきなり僕の祈りにも似た「妖怪遠くにいてくれたらいいのに説」が喝破されてしまった。これはどこか遠くの話をしているわけではなく、現実に、目の前に現れている出来事の「描写」なのだと彼は述べる。読み手(僕のことだが)はここで一気に発想の転換を強いられるわけである。

 

 

1:河童

 

 

 

 今では妖怪の定番となってしまっている河童。緑色の身体と、頭に皿を載せているという珍妙な見た目(失礼)から、絵本やアニメなどで親しみのある方も多いのではないだろうか。しかし、『遠野物語』に登場する河童は醜く、そして多くの場合はその背景に悲劇を負っている。

 

 その悲劇とは大きく分けて「子棄て」・「間引き」・「子殺し」・「姥捨て」・「飢饉」である。河童の伝説を紐解いてみると、奇形児を棄てた逸話や、飢饉のために(※2)生まれてきたばかりの子供を殺したり、年老いたひとを家から追い出したりしなければならなかったという、二進も三進もいかなかった事態が浮かび上がってくる。

 

 河童とはもしかすると、生き残ってしまった者たちの、理不尽にも棄て去られてしまった存在に対する罪悪感が結晶化した姿なのかもしれない。最初に河童を見た人は、もしかすると子供を殺した親かもしれない。そして、その子供はおそらくキュウリが好きだったのではないだろうか。そんなことがどうしようもなく頭をよぎって、僕は自分がずるい立場にいることをなんとなく痛感したような気がした。

 

 河童はその後、水の神様として祀られるようになった。人々は馬が水の中に引きずり込まれるという「河童駒引」と呼ばれる現象から、洪水、果ては子供が川で溺れるといった水に関する出来事の裏に、河童の存在を想定するようになったのである。

 

 だが、水はそのように人を害する側面と同時に、恵みの象徴という側面も併せ持っている。やはり河童もそのように恵みを与える存在としても考えられていたようである。

 

 また、この妖怪が今もなお「滑稽さ」を感じさせる点も非常に興味深い点だろう。その証拠に、河童が人間に捕まって詫び状を出したり、相撲を取って負かされたりといった話がいくつか残っているという。こうして、河童はその背景に悲しい過去を持ちながらも、面白おかしい滑稽な化け物として定着してしまった。

 

 しかし、この章はこんな言葉で締めくくられている。

 

河童もほんらい眼に見えぬものであった。それを日本の古い人々はよくわきまえていた。だからこそ、河童を見てしまう自分の心の物深さを強く恐れたのであった。

p.58より引用

 

 この言葉をどのように捉えるか、それがとても大切だと思う。この言葉の意味はおそらく、「日本の古い人々」への懐古のみでは決してないだろう。是非、本書を手にとって読んでみてほしい。

 

2:天狗

 

 さて、次の妖怪は天狗である。これもかなり馴染み深い妖怪だろう。赤い顔をして下駄を履き、手に持ったうちわで旋風を起こし、空を自由に飛び回る(※3)。そんな神通力的、超人的な要素の強さから、ゲームや小説などの題材とされることも少なくない(『東◯Project』とか『有◯天家族』とか...etc)。

 しかし、この妖怪は先程の河童とはかなり異なった性格を有している。少しだけ見ていこう。

 天狗はまず、その性質が強力である。「清浄を愛する」「執着が強い」「復讐を好む」「任侠気質」。どれをとっても影や滑稽さがない。そのため、河童と比較すると、妖怪というよりもむしろ人間から畏れられた神に近い存在であるという印象を受ける。

 彼らの起こす現象は「空木倒し」などに代表されるような無害なものから、子供をさらってしまったり村を焼いてしまったりといった実害のあるものまで様々である。そしてそれらの現象は、人間が決して引き起こすことのできない超人的な「力」と関わっている。

 その力強い性格から、天狗はいわゆる「ご利益信仰」の対象となった。秋葉、愛宕、古峯神社などで有名な火除け信仰。飯縄権現として戦国時代の武士たちからも信仰された武神としての側面。大杉神社における疱瘡(病気)、海難除けのための信仰。そのご利益の種類は実に多岐にわたる。

 

 ご利益信仰というと、どことなく俗っぽい気がしないでもない。しかし、これらのご利益信仰にも着目すべき点が含まれている。

 

 それは、人々が救世主としての天狗を必要とした、というこの事実に他ならない。

 

神道をはじめ、キリスト教や仏教が衰微する時代には「いつでも天狗が暴れる」。「戦乱がある間際になると非常に天狗が暴れる。むしろ戦乱をもって天狗のなさしむるところだという説もたくさんある」

p.67より引用

 火事、戦、疫病、海難などは、天狗を求めた人々にとって身近であり、そして危機的な災害だった。彼らはその災害になす術を持たなかった。だからこそ、たとえご利益信仰であったとしても祈りという行為が切迫してきたのである。その祈りを通じて人々は癒やしを得、一時期の心の平穏を取り戻していたのだろう。

 

 たしかに、その祈りはある時代や状況に取り残されてしまう祈りかもしれない。いつ、どんな時代でも脈々と受け継がれる、そんな普遍性は持たないかもしれない。しかし、僕達が日々直面しているのはそのような切迫した「取り残された祈り」であり、個人的な、どうしようもない現実に向けられた祈りであることを、心に留めておく必要はあるだろう。

 

 

3:洪水、津波

 

 ここでは、妖怪についてというより、洪水や津波といった具体的な災害について語られている。この本が東北大震災を受けて著されていることを考えれば、そういった話に時間を割かなければならないことはやはり当然のことだろうし、個人的にはこの部分が最も興味深い章であると考えている。

 

 これまでの河童や天狗といった妖怪は、どちらかと言えば時代の遺物(またまた失礼)としての色も濃かっただろう。というのも、科学技術や合理主義の発達に伴って、「不思議」は暗闇から引き出され、妖怪たちはその姿をくらませてしまったという側面があるためだ。

 

 しかし、本章の洪水や津波といった災害は今でも僕達に身近な災害として取り沙汰される。そのうえ、本書の冒頭にも実際に震災を体験された方々が超自然的な現象に遭遇しているということがまざまざと記録されている。これをどのように受け取るかは各人に委ねるところだ。しかし、僕はそれを一つの現象として受け取り、記述することも必要だと考えている。

 

 さて、少し話が脱線してしまったので話を戻そう。

 

 そういった災害にまつわる伝承を紐解いて特徴的なのは、記念碑的な要素が強いという点である。

 

こういった水の害に対する畏れ、死者への弔い、あるいは災害体験を記憶するために、数多の怪異伝承が生み出されてきたのであった。

p.106より引用

 

 四季がはっきりしている日本では、水害や干ばつといったことは毎年のように人々に経験されてきた。それが、長い目で見れば一時的な、疫病や戦などとは異なる点である。それを悲劇として経験した先人たちは後の世の子孫たちが同じ悲劇として経験しないようにと、物語にそれを乗せた。

 

 具体的なものとしては「やろか水」「蛇抜」「白髪(髭)水」「海坊主」「物言う魚」などが挙げられる。それぞれの具体例について考察すると長くなりすぎてしまうためここでは省略する。気になった方はインターネットなどで調べてみるのもいいし、もちろんこの本を実際に読んでいただいてもいい(僕はこの本に関してなんのキックバックも受けいていない)。

 

 洪水や津波に関する伝承には、悲しみの影が非常に濃い。特に、「蛇抜」(蛇になってしまったために子供と会えない母親の話)、「白髪水」(欺かれて焼け石を食わされた姥の話)、「物言う魚」(自らの子供である魚を干物にされてしまった海神の話)にはその特徴が顕著である(※4)。

 

 もしかしたら、洪水や津波という劇的な水の動きが、心の激情を象徴し、その水がなんとなく人々に「涙」を思わせたのではないだろうか、などと邪推してみたくなる。そうやって不条理な犠牲に「感情」という条理を与え、なんとかして現実を受け止めようとしていたのではないかと。

 

 聞くところによると、水害でなくなった方の遺体は原型をとどめていないことも多く、あまりにも惨たらしい様子なのだという。だからこそ、その「現実」という文字が物語を必要としたのではないだろうか。

 

 これは繊細な問題なので、深入りすることは避ける。もしよければ、石井光太さんの『遺体 震災、津波の果てに』という本に詳細なことが書かれてあるので、「プロローグ」だけでも読んでみていただきたい(できれば立ち読みじゃなくてちゃんと買って。お金がなければ仕方ないが...)。

 

 

4:地震

 

 冒頭にも記した通り、日本は災害が頻発する地域である。そのなかでも地震は、誰しも一度はその恐怖に怯えたことがあるのではないだろうか。かく言う僕も、まだ愛媛県に住んでいたときには「南海トラフ巨大地震がこの日に起こる、ってどっかの占い師が言ってたらしいぞ!」という根も葉も葉緑体もない噂を本気で真に受けて、家の窓ガラスに段ボールを貼りまくったことを覚えている。

 

 そして、やはり日本において地震の象徴といえばなぜか「ナマズ」である。このヌメっとした生物が今回の主要な登場人物だ。他にも、「要石」「鹿島神宮」(※5)などの言葉も登場する。

 

 さて、ではまずどうしてナマズが地震を引き起こす存在として語られるのだろうか。僕達の知っているナマズは、控えめに見ても到底大地を揺るがすような力を持っているとは思えない。非常にヌメッとしていて(何回目だ)、それでいて気の抜けるような顔をしている。

 

 実は、江戸の初期頃まで、地震を起こしているのはナマズではなく龍であると考えられていた。そして、その龍が暴れないように龍の頭を押さえつけている石こそ「要石」であり、その要石がある場所こそ「鹿島神宮」であった(※6)。

 

 その龍は中国から到来した竜神信仰に由来するとされている。それがいつの間にやら、可愛らしいナマズに変身してしまったのである。たしかに髭が生えていて鱗もあって細長いが...。やはり人間の想像力とは恐ろしいものであると実感する。

 

 鹿島神宮はそれ故、地震を抑えるご利益がある神社として広く知れ渡るようになり、次第に「鹿島信仰」というものが登場する。そのなかでも「鹿島流し」という形態が興味深い。

 

鹿島流しは、疫病神を人形に託して船に乗せ、川や海に流すもので、(...)秋田では文化七年(一八一〇)の大地震以来、地震のない常陸鹿島の社を慕って、この舟祭がさかんになったという。

p.154より引用

 

 「川や海に流す」という行為は「託す」という祈りに結びつく。それは、ある種のコイントス、タロット、ジャンケンのようなものだろう。ただ偶然その日(ただの日常でも、冠婚葬祭でも、出産日でも、誕生日でもいい)に起こった地震に、ナマズや要石という原因を作り必然としても、結局その祈りは水の流れという偶然に還っていく。祈る人はどこかでそのことを直感的に理解しているのかもしれない。

 

 

5:コレラ

 

 

 コレラとは、今となっては聞くこともない病気である。しかし、上下水道がしっかりと整備されていなかった当時の人々にとっては、不治の病と恐れられた病気であったらしい(※7)。

 

 さて、妖怪という存在は人間にどうしようもないような事柄を、物語という合理性に乗せる際に要請される存在であった。そのため、当然この疫病という驚異にも彼らは登場することになる。

 

 その際に持ち出されたのが「狼」であった。もともと、コレラは「アメリカ狐」と呼ばれる雷獣がもたらすものであると信じられていた。狐とは、山から降りてきて里の農作物を荒らす動物の比喩である。そして、そんな狐の敵として人間の側にいる犬が想定され、狼に転じたとされる。

 

 「犬」という言葉はそもそも、主人という概念と深く結びついている(特に変な意味はない。やましいことを想像してしまったあなたの心にこそ、やましさはある)。村で飼われている犬の主人は人間であり、山にいる狼の主人は山の神である。当時の人々はそう考えたのである。

 

 そのため、コレラの蔓延に従って三峯神社を中心とした「お犬さま」信仰が広まっていった(※8)。それは周辺的な影響にとどまらず、各地で「講」と呼ばれる信仰集団が発達し、その代表者が三峯神社に参拝して護符を受け取ったという。

 

 この護符は狼の眷属が宿っているとされ、その眷属は一匹で50戸を守るというかなり具体的で世俗的な効能が謳われていた。やはり、危機に瀕した際に要請されるのは具体的で即効性のあるわかりやすさなのかもしれない。

 

 ここでも柳田は『狼と鍛冶屋の姥』という章において興味深いことを述べている。しかし、その話はこのあとの章で言及するとして、ここでは「口」という器官について触れたいと思う。

 

諸国に狐狼狸(ころり)の悪疫流行して庶民大いに非困す。その際に妖病あるにより、三峯神社に代拝をもって、御眷属の身体を敬迎するに、その着日にあたって怪しき一少獣の死したるを見出し(...)

p.177より引用

 

 物を言う魚にしても、狼にしても、人間以外の実在する動物などを基礎とした怪異には、人間の器官が強化された形で付与されている。今回は口である。口は、人間にとっても象徴的な器官である。物を食べ、言い、呼吸する。そのいわば神聖とも考えられるような場所を、妖怪に明け渡すという行為は、注目に値する。

 

 その行為によって、魚は発するはずのない音を発し、狼は食べられるはずのない妖病を食らうことが可能になった。人間のもつ器官を妖怪に明け渡すという行為の意味は、人間の能力の限界を突破するという点にある。

 

 人間の器官の能力が有限なのは、僕達人間が一番よく理解している。サバンナに真っ裸で放り出されたら、僕達はきっとか弱い草食動物よりも早く降参してしまうだろう。その有限な身体は、為すすべのない災害を前にして、さぞかし心もとないものとして痛感されるだろう。そのため、人は困難に直面した際、その器官を動物に乗せることで人間の有限性から解き放たれた超越的な力に祈りを込めるのではないだろうか。

 

 ここで述べたのはあくまで僕の見解であり、なんの根拠もないことをここに記しておく。

 

 

6:巨人

 

 

 後半はしっかり妖怪らしいものでしめくくろう。一つ目の巨人と鹿、馬がここからのテーマである。

 

 まず、「巨人」という言葉に着目しよう。

 

 巨人伝説に特徴的なのは、それが「今」性を欠いているという点である。本書に紹介されている巨人伝説を二つ紹介する。

 

 まず、東京都代田橋の巨人伝説は、その「昔」巨人が関東平野を闊歩し、その足跡が今でもその地域に残っているというものだ。

そしてもうひとつは、茨城県の塩崎町にある大串貝塚は、「昔」巨人が食べた貝殻を捨てた場所であるというものである。

 

 どちらにしても、巨人は実際の現象として人々に体験されていたのではない。むしろ、その地に訪れた人が不自然に盛り上がった丘や、突然現れる湖などに、「過去の」巨人の存在を認めたという傾向がある。

 

 そのために巨人はこの世界の成り立ちに関わる立ち位置として描かれることが多く、様々な(特に関東地方)地形が巨人の力によって形成されたという伝承を残している。

 

 また、巨人は守り神とも考えられ、ある地域では村の境界に大きな草鞋を架けて疫病や妖怪などの侵入を防ぐ風習が見られ、またある地域では大きな草鞋(わらじ)を海に流すという風習も見られるそうだ(※9)。

 

 しかし、一方で疫病神と考えられる巨人もいた。そのなかには片足、一つ目の巨人も存在した。

 

事八日といって、毎年二月八日と十二月八日には、日本の各地で様々な神や妖怪の来訪が伝えられ、(...)疫病神の到来を恐れる伝承も数多い。栃木県ではダイマナゴ(大眼)という一つ目の疫病神が、東京周辺では一目小僧が、神奈川県では「ミカリ婆さん」という妖怪がこの日に来るという。(※10)

p.189より引用

 

 実は先に紹介した二つの風習は、この一つ目妖怪の侵入を防ぐために行われていたという側面もある。ここまで根気よく呼んでいただいた方々はもうお気づきかもしれない。そう、この「一つ目」という言葉が厄災を意味したことには、やはりそれなりの理由がある。

 

7:一つ目

 

 【注意】この章には残酷な表現があります。苦手な方は飛ばしてください。

 

 さて、前章で一つ目について述べるかのような文章を書いたことを、謝罪しなければならない。いや、もちろん片目ということも大切な要素ではある。しかし、ここで注目すべきなのは「目」ではなく「片」の部分なのだ。

 

 実は、この身体の対称性が失われているという点こそが、この「片」物語に大きく関わっている。

 

 では単刀直入に、 「片」物語がどこにつながるのかといえば、それは生贄物語である。

 

 現代の多くの共同体において、人間が生贄にされるということはあまり馴染みがない。しかし、やはりその昔、人間を生贄に捧げていた歴史はある。

 

 そして、生贄にされることが決まった人は、片目を潰される、ないし片足を折られるということがあった(※11)。

 

 これには、単にひと目見ただけでそれとわかるようにするという理由の他に、遠くへ逃げられないようにするためという理由も含まれていたという。

 

 そして時代が下り、人間を生贄とすることをやめ、その対象は鹿や馬へと移っていった。そして、目や足を傷つけるよりも簡易的な方法として、耳を切るという方法が採用されたようだ。現在でも長野県の諏訪神社では「御頭祭」という祭儀において鹿の頭(今では剥製)が捧げられており、その中には耳割鹿がいるという(※12)。

 

 ではなぜ、割くのは耳でなければならなかったのか。「狼」の章で張ったわかりにくい伏線をここで少し回収しながら、最後の引用(二つ)とさせていただく。

 

切るのが必ず耳でなければならなかったゆえんは、これらの動物の習性を観察した人なら知るであろう。耳で表現する彼らの感情は、最も神秘にして解しにくいものである。常は静かに立っていて、意外なときにその耳を振り動かす。

p.208より引用

 

狼の産見舞と名付けて年に一度食物を器に入れて山に持っていって狼のおりそうな処に置いて来る(...)これが狼に逢って手渡しするのでもなければ、また実際に安産のあることを確かめての上でもなかった

p.172より引用

 

 最初の引用は、里で出産がある場合に馬をひいて山に入り、神のお迎えに上がる場面を描写したものであり、後者は「狼の産見舞」と呼ばれる狼が子を産んだ際にお備えに行くという祭儀に関連した文章である。

 

 どちらも獣という人間以外のもの、ともすれば理性を持たないと考えられそうなものが、人間に対して優位に立つ姿が描かれていることが印象深い。

 

 その優位性は「委ねる」という行為に結実している。「任せる」といってもいいかもしれないけれども、「委ねる」のほうがしっくり来る。この委ねるという行為は、この本を通じて流れている大きな主題であると思う。妖怪に、動物に、魚に、植物に、僕達の祖先は様々な苦悩に身をやつしながら、それでもなにかを委ねてきたのだろう。

 

8:おわりに

 

 さて、だいぶ長くなってしまった。一体誰が読むんだろうかこんなブログを...。

 

 一抹の不安というか、やっちまった感は大変に否めないが、これは僕の備忘録。ここで終わることとする。

 

 今回は畑中章宏さんの『災害と妖怪 柳田国男と歩く日本の天変地異』を紹介した。冒頭でも述べたとおり、僕の拙い文章と知識ではこの本の魅力、ひいては民俗学、妖怪の魅力などは片端も伝えられていないと思う。だから興味のある方や、このブログが分かりづらいと感じた方はぜひとも本書を手に取っていただきたい。

 

 最後にまとめらしいことを書きたいけれど、いい文章が思い浮かばないので、この本を通じて感じたことを少しだけ書こう。

 

 人間が抱えきることができない神秘や不安というものは、必ずあると思う。もちろん、それを引き受けようともがく人間の強かな、しかし水際な姿も僕は好きだ。けれど、それをある方向へ、妖怪や自然物を媒介として、促してやることができることも人間の力だとも信じる。

 

 

追記

 

 揺れが収まり、友人の無事も確認できた後、携帯電話が絶え間なく震え始めた。何事かと思って画面を開くと、両親や祖父母からのメールがひっきりなしに届いている。僕は温かさやつながりを強く感じるとともに、遠く離れているはずの僕達をつなぐ不思議な空間に、その姿を想像もできないような、妖怪ともいえない魑魅魍魎が蠢いている様子を想像せずにはいられなかった。

 

 

脚注?リスト

 

※1『遠野物語』は、柳田国男が遠野出身の佐々木喜善という男性の語った伝承を記録した民俗学の先駆けのような本として扱われています。しかし、後の研究によってそれが完全に史実に基づいたものではなく、佐々木の語った物語に柳田が中世、近世の拾遺物語や御伽噺を参考に、脚色を加えたものであることが判明しています。そのため、これを民俗学の学術書として読むことに疑問を呈する研究者もいるとのことです。(小松和彦 『妖怪学新考』を参考にしました。この本の感想もいつか書ければなと思います。)

 また、柳田の正式名称が柳田国男ではなく柳田「國」男であるという指摘もあるかと思いますが、この本のタイトルに順ずることにしました。

 

※2 太宰治の『津軽』にも、「外ヶ浜」の章で

「何せ、こんなだからなあ。」と言つてN君は或る本をひらいて私に見せたが、そのペエジには次のやうな、津軽凶作の年表とでもいふべき不吉な一覧表が載つてゐた。

青空文庫より引用

 という一文があった後、本当に不謹慎ながらも笑ってしまうような不作の年表を見ることができます。

 東北地方では「やませ」と呼ばれる冷たい風が原因で起こる冷害のために、度々飢饉に見舞われていたそうです。

 

※3 僕は大阪府の生まれです。そして今は東京に住んでいます。しかし、幼少期から大学に合格するまでの17年間以上は愛媛県という秘境の地に過ごしていたので、天狗についての言い伝えを聞くことは少なくありませんでした。

 特に、僕の住んでいた西条市という街を見下ろしている西日本最高峰の石鎚山は、日本でも有数の霊山として名高く、飛鳥時代に役小角が開いたとされる修験道の歴史も非常に深いものがあります。そして、その行者たちはいつしか天狗という文脈と接続して語られるようになっていきます。

 石鎚山信仰は山そのものを御神体とみなす山岳信仰です。石鎚山の山頂には、細い稜線を辿っていった先に「天狗岳」と呼ばれる場所があります。古くから、石鎚山には「石鎚山法起坊」というとても格の高い天狗が住んでいるとされてきました。

 実は、この石鎚山を開山した役小角という人物なのではないか、という説もあるそうです。そこから様々な伝承が生まれ、西条に育った子どもたちは知らず識らずのうちに天狗という存在を理解するようになります。(こちらのサイトを参考にしました。)

 

※4 ちなみに、物を言う魚は「ヨナタマ」とも言われるもので、ジュゴンを指していると考えられます。「ヨナ」が海で「タマ」が魂みたいなものです。

 もう一つ、洪水伝説には双体道祖神と深く関わる話が存在することがあるそうです。洪水で生き残ってしまった二人の兄妹が禁忌と知りながらも近親相姦を犯して子孫をもうける。しかし、そのことを恥じて二人は自殺してしまう。かたや近親相姦を犯して神の怒りに触れたために洪水が発生するといった伝説もあるそうです。日本の国作り物語であるイザナミ、イザナギの物語も、海をかき回してできた島(オノゴロ島)で夫婦の契を交わしますね。

 また、ここである共通点が二つほどあります。一つは、子供、老人が現れる話において、彼らは犠牲者と予言者の両方の性格を有しているという点です。「白髪水」では老人が洪水の発生を予言しますし、「物言う魚」は海の神の子供が漁師に捕まり犠牲者となり、津波の発生原因となるという意味では予兆的なものを示唆する存在として描かれています。

 そして、もう一つはすべての伝承が「予兆」を示したものであるという点です。災害の起こる前日や近い日にちに不吉な予兆があり、その予感が的中して災害が発生してしまうという展開が非常に多く、誰もその予兆を知らせた蛇や姥、老人、魚が実際に災害を引き起こしたところを見たという記述がないのは面白いことです。

 

※5 実は、鹿島神宮は奈良県でおなじみの鹿と深い関わりがある神社でもあるんです。なんでも、奈良公園のある春日大社の祭神「タケミガヅチノミコト」という神様が、白い鹿に乗って鹿島神宮からやって来たのだとか。

 

※6 龍は頭以外にも、尾を香取神宮で抑えられているそうです。鹿島神宮は茨城県、香取神宮は千葉県にあるので、近い内に参拝してみたいものです。

 

※7 こちらの記事を参考にしました。

 またコレラは、かかった人が必ず死んでしまうため「コロリ(コロリと逝ってしまうから)」とも呼ばれていたそうです。

 

※8 お犬さま信仰に関しては、大口の真神などが有名です。真神というのはもともと日本に生息していた「ニホンオオカミ」が神格化されたものだとされています。特に、長い間生きたとされる動物は神格化されることが多く、東北地方では、そのように神格化された動物を「経立(ふったち)」と呼んだりもします。遠野物語にも、猿や狼の経立の伝承が残されています。

 経立の特徴は、並外れた体格を有している、知性が高く人の言葉を理解する、通常の個体とは身体特徴の上で異なっている部分がある、などがあります(もちろん例外もありますが)。

 私達に親しみのある例とすれば、まず化け狐でしょう。あれは尻尾が分かれていますし、人の言葉を理解します。大抵はとてつもなく大きく、妖術を使う場合もありますね。詳しくは某少年誌の忍者冒険ファンタジーをご覧ください。あそこにも九尾の狐が登場します。

 そして、スタジオジブリの「もののけ姫」に登場する「モロ」という大きな狼も、経立の典型例としてみることができるでしょう。

 

※9 大きな草鞋を海に流す習慣は、三重県の波切神社で行われている「わらじ曵き」に顕著です。これは、一丈ほどの大きさの草鞋を片足だけ作り、沖合にある大王島に流すというものです。大きな草鞋を吊るすのと同様に、「こちらにはこんなにも大きな巨人が住んでいるぞ!お前たちがやって来てもやられてしまうぞ!」と怪異を牽制する意味があるそうです。

 

※10 一目小僧、ミカリ婆さんなどの怪異への対処法は、籠や笊(ザル)を高く掲げる、グミの木を燃やすといった方法があるそうです。前者には「『眼』の多い籠や笊をかけると一つ目の妖怪は驚いて逃げてしまうから」、後者には「グミの木の匂いが嫌いで家に入ってこれないようになるから」という理由があるそうです。

 また、ミカリ婆さんは家の履物を利用して帳面に名前を書き、名前を書かれた人を病気にしてしまうという言い伝えがあるため、履物を家の外に出しておかないという対策も取られていたそうです。

 ちなみにちなみに、ミカリ婆さん(大好き)は子供の面倒を見てくれる優しさ、節約上手の成功者としての俗っぽい一面もあり、一概に悪い、恐ろしい妖怪とは言えないようです(こちらのサイトを参考にしました)。

 

※11 本書によれば、これはジェームズ・フレイザーというイギリスの文化人類学者の『金枝篇』という著書の影響から、柳田が推測したことであり、日本においてそのようなことが実際に行われていたかは疑問視されることもあると述べられています(本書p.206)。

 

※12 こちらのサイトを参考にしました。

 

読んでいただいてありがとうございました!

おしまい。