どうもこんにちは。今回の話題は折口信夫の『古代研究 民俗学篇1』です。


これは僕の覚え書きの感が強く、ちゃんと学術的に書くということには主眼を置いていません。あまり難しい言葉を使わずに、自分が理解しやすいようにまとめてみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。


さて、このブログのスタイルですが、本文の言葉を一言一句正確にちまちまと解釈するのではなく、自己流にサラッと読み解くスタイルをとります。


なので、学問的に『古代研究』を読みたい方は「『古代研究』の研究」を学者さんがしていらっしゃいますのでそちらをご覧ください。このブログはあくまで「『古代研究』の研究の研究」だということをご理解くださいね。


しかし、本文の検討や解釈についてのご意見はどんどんいただきたいと思っています!みなさんの解釈もぜひぜひお聞かせください!


第四回は「妣が国へ・常世へ」をできるだけ解体していきます。



さて、ここまで「『古代研究』の研究の研究」と銘打ってやってきたわけですが、いかがだったでしょうか。


とにかく、すべての文をざっとさらって僕なりの言葉で再構築してみたつもりです。


そこで、今回はせっかくまとめたこの全文(「妣が国・常世へ」)をさらにまとめて、原型がみえないくらいに解体したいと思います。


最終的な目標は、この「妣が国・常世へ」の概略を30秒で説明できるような一文を作ることにしましょう。


では、さっそくやっていきましょう!





想像もつかないような昔の出来事の名残がまだ残っていて、それを研究しようと思います。


でも、昔のひとが考えていたことを自分たちの尺度で考えると色々読み違えるから、できるだけそのまま見ていきたいです。


昔、「ひとぐに」「ひとの国」という言葉があって、それが「自分たちの見たことも聞いたこともないところで自分たちと同じように生活している人のいる国」を指すみたいです。


そして、そういう見知らぬ国を昔の人たちは想像していたのです。


しかし、自分たちの先祖の先祖みたいな人びとが持っていた「自分たちの世界」と「どこか遠くにある世界」は、最近になってびっくりするほど簡単に消えてしまいました。


そこで、そんな昔の人があこがれてた世界をもう一回考えてやろうぜ!と思うわけです。先祖のためにもなるでしょう。


その世界は、色々苦労が絶えない人生で一息つきたいなって時に、手軽に空想して安らげるところでした。


「ひとぐに」の話は大昔のこと過ぎてちゃんとは残されてないんだけど、でもそういうものへの憧れって遺伝子レベルで僕たちのなかに残ってるんです。


実は、熊野の旅で海岸の崖に立ったら懐かしい気分になりました。


そのとき、これってもともと自分の心の中に遺伝子レベルで受け継がれてきた「ふるさと」の記憶じゃない!?と直観しました。


昔の神様たちが求めたのもこの「ふるさと」であって、これからは「妣が国」と呼びます。


これを「妣が国」と呼ぶ理由がふたつあります。


その一、お母さんと過ごした故郷を離れてきた若者のノスタルジックな気持ちがあるから。


その二、女の人が他の村のひとと結婚して不幸になるという結末がなんとなく心の中にあって、そのせいで他の村に行ってしまった女の人が心配でならないから。


今は二つ目の理由の方が有力かもしれません。


とりあえずこれを解体します。


大切な点は三つで


1:このお話がずっと昔のお話である

2:それは僕達の遺伝子レベルの記憶に繋がる話である

3:それは「妣が国」という言葉で表すことが出来る


この三点だと思います。


ではこれを無理やり繋げてみましょう。



僕達の遺伝子が記憶しているレベルの昔、先祖たちが憧れた「妣が国」について語ります。





妣が国が心の「ふるさと」であっても現世とは暮らしが違ったはずです。


だからファンタスティックな登場人物が多いんですよ。


ファンタスティックなビーストたちの話から推論してみましょう。


「妣が国」はふるさと、「常世」はその進化系で、これから目指すところということになるんです(?)。


西の彼方にある「魂のふるさと」の妣が国だったはずのものが、東にある未知の国、「常世」という考えに変化したんですね。


昔の人は常陸くらいが常世の境界だと考えました。そこから先は「みちのく」…。みちのく、みちのくに…。ね?わかるでしょ?


でも海の外が常世だって考える方が自然かもしれません。


こういう話は、文献資料通りの歴史を信じてる人たちにはちょーっと理解できないでしょうね。


まあそういうひとたちは後回しにして、とにかく「常世」は海のかなたにあるのですよ。


そうやって考えるようになってから色々なお話が生まれてきたのです。


昔の人は、「海産物とかどんだけ獲ってもなくならないし、常世ってめちゃくちゃ豊かな国なんだろうな」、と思うようになりました。


でも、常世は豊かさの源だからこそ「貧しさ」も自由にすることができたのです。


そういう意味では敵対するものを貧しくさせてしまう恐ろしい呪詛の力も持っていると言えます。


ところで、常世と現世を行き来するには相当時間がかかるはずです。だって自分たちの世界とは全く違うめちゃくちゃ遠いところにある世界なんだもの。


つまり、浦島太郎の話もこういうわけだから時間が経っていたんですね。


仮に移動時間のことを考えないなら、常世がなんとなく長寿の国という風に見られるのは、現世と常世に時間間隔のズレがあるからなんですよ。


まとめると、常世という国の時間や空間の尺度は、まったくこちらの世界と違っています。だからめっちゃ長生きの人とか、異形のもの(ファンタスティックなビースト)とかも普通にいます。


とにかく、「とこよ」っていう言葉は「豊かさ」と「長生き」とバチバチに癒着してます。まあでも最初にご先祖が考えたのは「豊かさ」の方だったんじゃないかと思います。


歴史的なことを言えば、常世が長生きと結びついたのは、不思議なことをする人(陰陽五行説の幻術者)への信仰からなんです。そういうわかりやすい驚きに、常世という考え方がのっかって、「不老不死」とか伝説めいた話が広がったんですよ。


次はこちらの部分ですね。まいどまいど、三つに要点を分けて解体しましょう。


1:「妣が国」は「常世」という観念に変化した

2:「常世」は長寿と豊かさというイメージに結びついた

3:「常世」の時間や空間の尺度は現実とは大きく異なっていた


こんなところでしょうか。


ではまた接続しましょう。



魂のふるさとであった「妣が国」は、次第に豊かさや長寿を連想させる「常世」と考えられはじめ、常世の時間や空間の尺度は現世とは異なるものでした。






実は、常夜は「常夜」とも読めて、恐ろしくて暗い夜の世界でもあったらしいのです。


大和朝廷のお話には征服に関するものが多く、負け戦が伝わっているのは勝つための準備段階として以外にはありません。


その過程で、暗い「常夜」っぽいお話はどんどん端に追いやられ、捨てられてしまったハズです。


そもそも、昔の人びとには外から攻めてくる敵みたいなものに対してあんまり恐怖心をもっていませんでした。


なぜなら、彼らは僕達から攻めていかなければ害はない、遠くで騒いでいるひとたちだったからです。


彼らは人のいない山奥にひっそりと「常夜の国」をかまえていたのです。


だからそんなに怖い人達ではなく、むしろ「変わったやつらもいるんだなぁ」くらいで見ていました。


重要な神事に彼らが呼ばれたりするのも、その「遠く(常世的なところ)から来た」感じを味わうためでした。


それよりも、昔の人びとがほんとうに怖がったのは「自分たちの世界」(第一回参照)にいる異民とかじゃなくて、「根の国」っていう違う国だったんです。


すごく昔に「常世神」という神様が現れたそうです。


その神様はなんの変哲もない虫の姿をしていて、豊かさと長寿をもたらす神様でした。


そして、より重視されていたのは「豊かさ」のほうらしいです。


仏というのももともとは九州地方の常世神でした。


神様は豊かさと長寿を授けてくれるけれど、機嫌を損ねるとよくないことも引き起こします。


なので、常世からこの国に入ってきてしまった神様は機嫌よくいてもらうために敬います。


でも、ほんとは来る前にお断りしたいんです。


ラストいきましょう。大事なのは以下の三点ということにします。


1:「常世」は「常夜」でもあり、「根の国」とも結びついた

2:「根の国」は先祖たちが最も恐れた場所のひとつであった

3:神様はそんな「常世」の国からやってきた


では繋げていきましょう。



「常世」は先祖たちが恐れた「根の国」を表す「常夜」でもあり、神々はそんな「常世」からやってきたのです。





つまり、「妣が国・常世へ」をまとめると、こういうことになります(トリビア感)。


僕達の遺伝子が記憶しているレベルの昔、先祖たちが憧れた「妣が国」について語ります。


魂のふるさとであった「妣が国」は、次第に現世とは異なる時間や空間の尺度を持つ「常世」と考えられるようになりました。


「常世」は、豊かさや長寿というイメージとよく結びつきました。


しかし、「常世」は先祖たちが恐れた「根の国」を表す「常夜」でもあり、神々はそんな「常世」からやってきたのです。



なにやら読めない漢字や難しい言葉遣いが頻出して敬遠しがちだった折口信夫の文章ですが、言っていることはこんな感じだと思います。


もちろん、「あの流麗な文体にこそ折口の思想が宿っているのだ!」というファンの方々がいらっしゃるのは承知しています。


しかし、これはあくまで「研究の研究」。しかもそれを解体したものなので、もはや折口の思想とも呼べないただの「情報」でしょう。


なのですこし大目に見てくださいm(_ _)m