昨日の記事ですが。
1/21(日) 8:30
【ソウル聯合ニュース】
「在日同胞として太極旗(韓国の国旗)を背負って走り続けた8年間は私の人生の中で最も輝き、価値ある経験でした。韓国代表は引退しましたがコーチとして後輩たちが五輪で金メダルを獲得できるよう力いっぱいサポートしようと思います」――。
東京五輪柔道男子銅メダリストで慶尚北道体育会所属柔道コーチの安昌林(アン・チャンリム)氏は聯合ニュースのインタビューに応じ、「母国から多くのものを受け取ったので、これからはスポーツに励む多くの在日同胞の後輩たちに夢と希望を与えることに集中したい」と指導者としての目標を語った。
在日韓国人3世の安氏はこのほど在外同胞庁の広報映像に出演し、在日同胞の生き方や韓国代表として活躍した経験を紹介した。
安氏は京都で生まれ育ち、空手道場を営む父の影響で6歳の時に空手と柔道に入門した。空手は向いていなかったため柔道に専念し、筑波大2年生だった2013年に全日本学生柔道体重別選手権大会で優勝した。その後、大学の監督から日本代表を目指すためには帰化するよう勧められたが断り、翌14年に韓国に渡り、柔道の名門・竜仁大に編入した。
韓国籍だったため日本代表選考会に出られず、出場試合数が年に1~2回だったため試合に出たいという気持ちが強かったという。祖父の時代から「朝鮮人」だと差別されながらも韓国籍を守ってきた安氏は「日本に帰化する考えはなく、むしろ韓国での選手生活に挑戦することになりました」と振り返った。
14年に韓国の国内代表選抜戦で3位になり、代表入りを果たした。世界選手権では15年と17年に銅メダルを獲得し、18年に初優勝した。16年のリオデジャネイロ五輪では3回戦で敗退し、苦杯をなめたが、21年の東京五輪で銅メダルに輝いた。同年に韓国代表を引退した。
目標だった五輪での金メダル獲得は達成できなかったが、後輩を育成するという新たな目標に挑戦している。「在日同胞の後輩たちの手本となるようコーチ生活だけでなく全ての面で努力する姿勢を堅持していきます」と覚悟を語った。
安氏は母国に来た当時について「日本で差別を受けたときは韓国人としてのアイデンティティーを持ち立ち向かってきたが、母国で差別を受けた時はアイデンティティーを否定されたように感じられ辛かった」と振り返る。単一民族主義が強く、他民族に対する排他主義が強い日本で生きてきた在日同胞に対しもう少し理解を持って接してほしいと訴えた。
日本と韓国の「境界人」として生きてきた安氏は10年にわたり母国で生活しながら韓民族としての所属感と自身のルーツに対する意識がさらに強まった。「より多くの次世代の在日同胞が母国を経験する機会があればと思います」と願った。
引用は此処まで。
次の記事は約2年半前の記事です。
こちらの記事を読むと、おおよその流れが見えてきます。
2021/7/29(木) 7:05
東京五輪の柔道はやはり日本勢の強さが目立つ。特にリオ五輪に続いて、東京五輪でも金メダルを獲得した73キロ級の大野将平の強さは際立っていた。
そして、同階級で銅メダルを獲得したのが韓国の安昌林(アン・チャンリム)。日本の京都で生まれた在日コリアン3世の柔道家だ。
すでに日韓両国のメディアでも報じられているが、彼は20歳のときに韓国に渡って厳しい競争を勝ち抜き、リオ五輪に続いて2大会連続で韓国の五輪代表になった。
2018年の世界選手権で優勝し、同年世界ランキング1位にも上り詰めており、生まれ育った日本の地で金メダル獲得を目標にしていた。
決勝の舞台には立てなかったが、3位決定戦ではオルジョフ(アゼルバイジャン)を下して、表彰台に立った。
「自分は在日の代表。柔道で勝つことで在日の存在を伝えたい」――。彼が信条にしていることだ。
そんな彼らしいコメントが試合後にも残されている。
「すべての精神的な基盤は、在日同胞社会から作られたものです。在日コリアンの立場は簡単ではありません。日本では韓国人、韓国では日本人の扱いを受けることもあります。五輪でメダルを取り、在日のスポーツ選手たちや子どもたちが、勇気をもってくれれば、それ以上の幸せはありません」
さらに大学時代に日本への帰化を勧められたが、韓国籍にこだわったことについても「後悔はありません。韓国籍は祖父母が命をかけて守ったもの」と話している。
日本で生まれ育ちながらも、自分のルーツにこれほど強くこだわりを持つ在日コリアンはそう多くはない。
文在寅大統領「祖国のための安選手の闘魂を忘れない」
彼は小学生時代、京都朝鮮第一初級学校に通うことで自身のアイデンティティを確立し、中学からは柔道を本格的に続けるために日本の学校に通っている。
中学時代には自分の手帳に「試合は死合い、負けは死を意味する」と記したそうだが、韓国から日本に渡った在日1世の祖母の生き方に強い影響を受けたという。
そんな彼の生き様は、韓国でどのように映るだろうか。
日本での差別や苦労に打ち勝ち、帰化を断り、逆境をはねのけて韓国代表の座を勝ち取った在日コリアン柔道家――。
そんな彼が日本に凱旋してメダルを取ったのだから、大々的に報じずにはいられないのではないだろうか。
「日本帰化を振り切った安昌林、東京の空に大極旗をなびかせる」(東亜ドットコム)
この見出しだけでも、韓国メディアが彼の姿を通して何を強調したいのかが透けて見える。
また、韓国の文在寅大統領も「安選手の活躍は在日同胞だけでなく、5000万人の韓国国民の誇り」、「祖国のための安選手の闘魂を忘れない」と祝電を送っている。
確かに安は民族心の強い選手で、ここで語っていることもすべて本心だろう。ただ、彼は日本で生まれ、日本の文化を享受しながら育っていることを忘れてはならない。その背景が抜け落ちている報道に違和感を覚えるのだ。
これではただの“日本嫌い”のように映るし、安もそれは本意ではないはずだ。
「桐蔭学園で培った柔道に対する姿勢」
そもそも彼は日本の中学、高校で出会った多くの友人に支えられ、先輩や後輩、恩師たちから柔道を学び、成長してきた過程がある。
彼が高校時代に通った桐蔭学園の公式フェイスブックには、銅メダル獲得後に本人から送られてきたメッセージが掲載されていた。
「桐蔭学園46期卒業の安昌林です。
私の柔道に対する姿勢や考え方は桐蔭学園で培いました。
一番弱かった私が高校3年でインターハイに出場できたこと、そしてオリンピックに出場できたことは紛れもなく桐蔭学園での経験が礎になっています。
人より高い志を持って、人よりたくさんの努力、工夫さえすれば目標や夢が掴めると思います。
そして桐蔭学園には目標を達成するための環境が揃っていると思います。何ごとにも諦めずに挑んでください!ファイト!
最後に当時から厳しくも温かく指導して頂き、今もなお励まし見守って下さる鈴木寛人先生、桐蔭学園で共に汗を流した素晴らしい仲間たちに心より感謝申し上げます。ありがとうございました!」(原文ママ)
安ははっきりと高校時代に柔道に対する姿勢や考え方を学んだと語っている。
今回、東京五輪でメダルを取ることで、彼のことを知る多くの日本人、韓国人、在日コリアンたちが喜び、大きな拍手を送ったはずだ。それを忘れてはならない。
2つ目の記事は在日韓国朝鮮人の記者が書いたものなので、
かなり気合が入ってますよね。
日本人の私から見ると記者さんの、
その興奮度が違和感アリアリなのですが、
本人が気づく訳ないですよね、日本人じゃないので。
どっちから意見、書こうかな。
ま、時系列で行った方が良いよね。
なので2年半前の記事から。
まぁ記事なので、
メディアの言うことなので、
必ずしも本人が本当に、そう言ったのかは分からない。
でも本人が、そう言ったとか、
そう思ってるとかの前提で記事になり、
その方向で進み、本人サイドからは特に
問題提起されなかったと言う現実はあるかと。
「自分は在日の代表。柔道で勝つことで在日の存在を伝えたい」
誰に対して伝えたいんだろうね。
話は変わるけど最近、思うんだけど。
「在日」って呼び方、日本人は辞めた方が良いじゃないかなぁ。
私自身も長年、そう呼んできたけど最近は辞める方向に進んでる。
何故かと言うと、
「在日」って呼称を誰が言いだしたのか知らないけど、
少なくとも今現在、在日韓国朝鮮人自身も使ってるよね。
てことは、当然、日本人が、そう呼ぶことも嫌がってないと。
あるいは日本人に、そう呼ばせたいと思ってるのかもしれない。
で、何で私が今更、「在日」って呼称を
使いたくなくなったかと言うと、
昨今、他の国籍の在日外国人が「在日韓国朝鮮人」同様の
保護とか給付とか支給とかの扱いを、
段々求めるようになってきてるでしょう?
あれさぁ思うんだけど、本当は日本国憲法に書かれている通り、
日本国籍保持者だけが日本国民なので、
その他の国籍保持者は誰一人
日本国が面倒を見る義務なんか無いんだよね、元々。
それなのに「在日韓国朝鮮人」と「在日台湾人」だけ、
あれやあこれやの特別扱いが戦後80年近く過ぎても、
まだ続いてる。
まぁ在日台湾人は、どれだけの人数が、
その恩恵にあづかっているのか知らないけど。
これって確か・・・
(一部抜粋)
朝鮮半島出身者のうち1945年8月15日以前から引き続き日本に居住している韓国籍保持者(および協定発効後5年以内に日本で出生した直系卑属)に対し出入国管理令(後の入管法)に基づく一般の永住許可とは別の永住許可(協定永住)を与える制度を主たる内容としている。対象者は、協定発効後5年以内に申請すれば、この協定永住の許可が与えられた(法令による自動付与ではなく申請が要件とされた)。また5年経過後も、既に協定永住を得た者の子(孫以降は含まない)に限り出生後60日以内に申請すれば、同じく協定永住の許可が与えられた。この協定永住を保持する者に対しては、麻薬犯罪や内乱に関する罪など重大な犯罪を犯さない限り退去強制の対象とならないなど、入管法第24条によって退去強制が規定される永住者も含む他の在留外国人に比べ優遇措置が適用された。また協定では、日本で出生した直系卑属の大韓民国国民の日本国における居住について、大韓民国政府の要請があれば協定の効力発生日から25年経過するまで協議を行なうとされた。
- 1965年6月22日 署名
- 1966年1月17日 発効
特別永住者制度への移行
協定発効後5年経過以降の新たな協定永住の許可が既得者の子の世代に限られ、孫以降の世代(協定3世等)は入管法に基づく通常の永住許可しか受けられないなど世代間での不均衡な事態が1980年代後半に顕在化した(以前から不備は懸念されていたがこの時期になって実例が散見されるようになった)ため、日韓政府間で新たに協議が行われ、日本の法務省内でも制度の拡充について検討が行われ、1991年1月10日の海部俊樹総理大臣訪韓時に「日韓法的地位協定に基づく協議の結果に関する覚書」(日韓外相覚書)が交わされた。孫以降の世代に関する協定の不備の解消のため、さらには、類似の境遇にありながら制度面で差が生じていたいわゆる朝鮮籍、台湾籍の永住者等の処遇の改善を含めた抜本的な永住制度を構築するため、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)」が制定され、1991年11月1日に対象を韓国籍者に限定しない「特別永住者」制度が施行された。協定永住及びそれら類似の永住者の在留の資格は法令の一斉適用によりこの「特別永住者」に一本化され、入管特例法の施行に合わせて入管特別法も廃止となり(入管特例法附則第6条)、協定永住制度はその役割を終えた。
コレに関連して生活保護とかの本来は
日本国籍保持者に限定されて当然の、
日本国が日本国民を保護する義務があるって言うのの
アレヤコレヤに何故か、
「在日韓国朝鮮人」(多分在日台湾人も)も、
してもらっちゃってるって言う状況が有って、
戦後のドサクサで日本国に住み着いたままの在日韓国朝鮮人一族か
在日台湾人一族で有れば何世であろうが同様に、
他の外国人と比較して、
特別扱いされたまま日本国に住めるって言う、
とんでもない悪法が日本国には未だ存在し、
それを他の国籍保持者の在日外国人たちが目を付けない訳が無い。
こーんなことを未だに日本国が遣ってるからこそ、
あっちでもこっちでも「外国人差別だー」って訴訟、
起こされてきてるんじゃん。
で、在日韓国朝鮮人が自ら自分たちを「在日」って呼ぶのは多分、
「私たちは他の在日外国人なんかと違って特別な人たちなんですよー」って言うアピールだと思うんだよね、私は。
だから敢えて私は「在日」と呼ばず「ザイ」って言ってきたけど、
それも辞めて「在日韓国朝鮮人」って言うことに変えようと思う。
私は在日韓国朝鮮人と在日台湾人に対する未だに続く、
特別扱いに対して反対する立場なので
当然呼称も特別扱いはしたくない。
まずは形から。
彼らたちを「在日」と呼ぶ、
同じ在日外国人なのに特別扱いしてるみたいな呼称から
まず日本人は辞めるべき、と私は思う。
話、戻します。
彼は小学生時代、京都朝鮮第一初級学校に通うことで自身のアイデンティティを確立し、中学からは柔道を本格的に続けるために日本の学校に通っている。
日本の学校に来なければ彼は
柔道で大成しなかったということになりますね。
日本の学校には彼を日本人同様に指導し教えた環境が
有ったとうことです。
でも彼を取り巻く彼の環境は、以下のようになります。
日本での差別や苦労に打ち勝ち、帰化を断り、逆境をはねのけて韓国代表の座を勝ち取った在日コリアン柔道家――。
「日本帰化を振り切った安昌林、東京の空に大極旗をなびかせる」
韓国の文在寅大統領も「安選手の活躍は在日同胞だけでなく、5000万人の韓国国民の誇り」、「祖国のための安選手の闘魂を忘れない」と祝電を送っている。
無礼ですよね。
恥知らずと言うか
日本人からしたら軽蔑にしか値しない生き物たち。
日本国で技術を学んだからこそ、
日本国よりもレベルの低い南鮮の代表選手になれたにも拘らず、
日本人に勝った勝ったと手放しで喜ぶ、その多大勢の半島人たち。
彼自身の意思は知りませんが、
彼を取り巻く環境は彼を利用して、
「日本に勝った勝った」「日本人に勝った勝った」が欲しいだけ。
でも、これが朝鮮人なんだと言うことを
日本人は学ばなければなりません。
この時点では彼は
一番弱かった私が高校3年でインターハイに出場できたこと、そしてオリンピックに出場できたことは紛れもなく桐蔭学園での経験が礎になっています。
当時から厳しくも温かく指導して頂き、今もなお励まし見守って下さる鈴木寛人先生、桐蔭学園で共に汗を流した素晴らしい仲間たちに心より感謝申し上げます。ありがとうございました!
と書いてはいますがね。
次は最初の記事のことを。
「母国から多くのものを受け取ったので、これからはスポーツに励む多くの在日同胞の後輩たちに夢と希望を与えることに集中したい」と指導者としての目標を語った。
韓国籍だったため日本代表選考会に出られず、出場試合数が年に1~2回だったため試合に出たいという気持ちが強かったという。祖父の時代から「朝鮮人」だと差別されながらも韓国籍を守ってきた安氏は「日本に帰化する考えはなく、むしろ韓国での選手生活に挑戦することになりました」と振り返った。
相変わらず日本国や日本人の悪口ばかり。
日本国や日本人を悪く書かなきゃ半島での彼に対する差別が
目立っちゃうもんね。
朝鮮人は、いつもそう。
「自分が善で居る為に悪のものが必要」
いつだって日本国や日本人を嘘で固めた悪者設定にして、
「私たちは正しい」「私たちは奪われた」
「私たちは被害者」と言う。
日本国や日本人にとって、全く持って害悪でしかない存在。
彼は今、どこで何をしているんでしょうね。
こちらが彼のHPになりますが、
まぁスポンサーの面々が・・・言わずもがな。
こちらが彼のオフィシャルX。
https://twitter.com/anchangriminfo
どちらも引退発表時から更新無し。
でもまぁ彼を取り巻く環境は日本人では無く、
朝鮮人だらけの世界。
彼の本心は知りませんが、
おそらく彼は半島で指導者になるか、
日本国で在日韓国朝鮮人相手の指導者になるかで
少なくとも、しばらくは過ごすのではないでしょうかね。
その先は知りませんね。
悲惨な人生でなければ良いのですが、それも自業自得。
日本国の学校でで学び、
日本人の優秀な指導者に指導してもらいながら、
そのメダルを母国に捧げた人であり、
「母国から多くのものを受け取ったので、これからはスポーツに励む多くの在日同胞の後輩たちに夢と希望を与えることに集中したい」 と母国誌に書かれても
訂正を求めたと言う情報すら表に出てきていないので、
その文言だけを事実とするのなら彼は、
日本国内で在日韓国朝鮮人の指導に
当たるつもりだと言うことなんでしょうね。
で、その指導で行き詰ったら多分、
人脈を使って日本人を頼ると・・・。
多分、そんなとこなんじゃないですかねー。
だって朝鮮人だもの。
今まで大成した在日韓国朝鮮人って大半が、そうなるじゃん。
日本国で得たものを母国に還元!
そればっかじゃん、在日韓国朝鮮人なんて。
たまたま知り合った在日韓国朝鮮人が良い人だったから
仲間に入れたけど、あとからあとからワラワラと~って事例、
数えきれない程あるでしょ。
学習しないからですよ。
忘れるからですよ。
信じるからですよ。
鬼にならないからですよ。
だから日本人は利用されるんです、その他大勢の朝鮮人たちに。
大半の彼らは身内や組織に逆らえないんです。
てか逆らわない人生を自ら選ぶんです。
だから教えるだけ損。
助けるだけ損。
大半は裏切って来ます。
彼らの世界のものは大半のものは日本国より劣っていますから、
教えても助けても結局、こっちが損するだけ。
得することは、まずありません。
要は日韓の国の関係と一緒です、日本人と朝鮮人の関係も。
搾取する側と搾取される側にしか、まず、ならない。
仲間にならない人を仲間に入れない決断をする勇気を
日本人は持つことが必要です。
彼ら民族の世界には「お互い様」なんか無いんですよ?
って、どれだけ言っても通じないか、
差別差別の信者たちには。
では、また。