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余り更新しなくて申し訳ありません。

興味が持てる情報に出会えなくて。

 

でも、久々に出会えました。

 

この記事を見つけて丸一日以上、様子見していましたが、

未だ続報は見当たらず。

なので、おそらくデマ記事だと思います。

取り合えず「多分デマ」と思って読んでください。

 

星星星星星

 

2023年12月28日 06:30 

 

日本の国宝になった「夢遊桃源図」、500年ぶりに永久返還される


 

朝鮮時代の山水画の最高峰である国宝級の文化財「夢遊桃源図」が韓国に永久返還される。名作が誕生して500年ぶり、日本に搬出されて400年ぶりのことだ。

夢遊桃源図

 

外交部の公式認定社団法人の世界経済文化交流協議会(ECI、リュ・ヨンジュン総裁)は27日にECIギャラリーで日本の梨本宮記念財団、天理大学と夢遊桃源図の返還に向けた契約を締結したと明らかにした。

 

梨本宮記念財団は、大韓帝国最後の皇太子、李垠の王妃である李方子夫人と同じ家門であり、韓国と縁が深い。天理大学は夢遊桃源図を所蔵しているところだ。これに先立ちECIは、梨本宮記念財団と「重要文化財の贈与に関する協定書」(2022年3月14日)と天理大学と「寄付行為確約書」(2021年10月20日)に基づき、昨年12月14日に夢遊桃源図の韓国返還のための一切の権限を委任する契約を結んだ。

 

今回の契約により夢遊桃源図も一切が韓国に永久返還される。絵を含め、詩や書を一緒に返還という意味だ。

 


リュ・ヨンジュンECI総裁(左)とチョン・ヨンチョル(株)デスン代表

 

不世出の傑作である夢遊桃源図は、世宗29年の1447年に描かれた。(李氏)朝鮮初期を代表する山水画で、絵と跋文を含め巻物2つで構成されている。巻物の長さは11.2mと8.57mだ。絵の部分はは38.6cm×106.2cmだ。安堅(=李氏朝鮮前期の画家)の落款(=書画を作成した際に製作時や記名、識語、詩文などを書き付けたもの、またその行為)が唯一残されている。西洋のピカソよりも400年以上進んだ立体技法と俯瞰法を適用しており、芸術性に優れている。

 

夢遊桃源図はその価値が認められ、日本で重要文化財絵画第1,152号に指定されている。壬辰倭乱(=1592~1593年の文禄の役)当時、島津義弘が簒奪していったというのが定説だ。

(後略)

 

韓国人のコメント

 

・1

以前、数百億ウォン(=数十億円)と引き換えに還収を要求したら失敗したと聞きましたけどよかったです
韓国人が最も見たい文化財に選定されたものです
私も早く実物を見たいです

 

・2

 頭がおかしいんじゃないのか? 日本の奴らは・・
我が国の魂が込められた絵を自国の国宝に指定するなんて・・・
今からでも元の場所に戻ることができてとても嬉しいです 

 

・3

 でもこれ本当なの?
文化財庁の公式のコメントも発表されてないし、記事に出てくる日付もおかしい
そして何より天理大学側のコメントもないけれど・・・
うーん・・・・・ 

 

・4

 疑わしいので調べてみたら報道機関の要請で削除された記事のようだ
誤報らしい 

 

・5

>>4

何ねつ造してるの?www
(韓国の)Googleで検索したら記事がたくさん出てくるのに 

 

・6

 日本の国宝に指定されたものが還収できるものですか???
日本がそんなに素直に出してくれるはずがないのに 

 

・ 7

日本は苦しゅうない!! 

 

 

翻訳元:NAVER、ガセンギ 

 

引用は此処まで。

 

星星星星星

 

日本の国宝になった「夢遊桃源図」

とタイトルで書いておきながら本文では、

日本で重要文化財絵画第1,152号に指定されている。

と書いている点に、まず悪意が感じられる。

おそらく、日本国で国宝に指定されているほど重要な文化財を、

我が国は取り返した、奪い返した、盗人日本国から!

ということを自国民の脳裏にインプットさせたかったのでは?

と私は勝手に想像しました。

 

実際は日本国の「重要文化財」登録番号「01152」です。

以下のサイトで確認できます。

   下矢印

 

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で、この「夢遊桃源図」ですが、
私が調べた範囲で言うのなら今現在も
天理大学付属天理図書館にて保存されているようです。

そしてコメントでも指摘されているように引用記事では何故か、

27日にECIギャラリーで日本の梨本宮記念財団、天理大学と夢遊桃源図の返還に向けた契約を締結したと明らかにした。

これに先立ちECIは、梨本宮記念財団と「重要文化財の贈与に関する協定書」(2022年3月14日)と天理大学と「寄付行為確約書」(2021年10月20日)に基づき、昨年12月14日に夢遊桃源図の韓国返還のための一切の権限を委任する契約を結んだ。

と書いており、
何やら日付が古くて胡散臭さ満載で。
そして何やら契約書じみたものを持つ男ども二人の画像。
これまた何の契約書じみたものなのだか遠くてハッキリしない。
そのうえ、記念写真を撮ってる場所が南鮮で、
映っている人たちも南鮮人だけと来たもんだ!

天理大学の人が誰一人居ないのに締結したとか何とか。
どう考えても嘘だろって普通は思うよね、こんなの。

で、この引用記事を読んで
ちょっと気になる点が私にはありまして。

梨本宮記念財団は、大韓帝国最後の皇太子、李垠の王妃である李方子夫人と同じ家門であり、韓国と縁が深い。

それは分かる。


けど私が気になったのは、
この件で何故、梨本宮記念財団という団体が
表に出てきているのかってことで。
なのでググってみたら、まぁ色々と、色々と、出てきましたっ!

某ブログより。
(何か関わりたい感じが全くしないのでリブログ辞めときます)
それに対する私の意見も控えようかな、絡まれたくないんで。
以下、一部引用です。


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先日は梨本隆夫 殿下を代表とする梨本宮記念財団の
安志栄 先生に会い
沢山のお話を聞いて勉強させていただきました。
 
安志栄 先生は朝鮮民主主義人民共和国を4回訪朝し、その度ごとに檀君陵に行き、朝鮮での様々なお話。
 
日本の内閣官房とのお話。
 
大きな裏舞台で日朝・朝日の架け橋になり道をつくるために歩まれてこられたお話。
 
とても勉強になります。
 
また、今回詳しく聞いて知ったのですが
梨本宮記念財団について国に申請された方は
『李王朝の李 玖 殿下』と『梨本 徳彦 殿下』と【 両名で両国皇族によって申請 】して設立された記念財団であるという事を教えていただきました。
 
梨本宮記念財団の申請をしてから当時、2年かかってやっと正式に許可がおりたそうです。
 
梨本宮記念財団の定款には
 
【当法人は
1. 特に日韓、 日朝、 日中、 日台間に横たわる心の傷跡を真撃に見つめ、日本国・天皇家の立場に立った過去の因縁解消、 懺悔滅罪の基本理念のもと未来に亘っての東洋平和、 世界平和を提唱していくことを目的とし、 その目的に資するため次の事業を行う。】
 
朝鮮半島と日本の架け橋として具体的に水面下でご活躍されて来ている先輩がいらっしゃって、またご指導いただける事は本当に貴重でありがたく思います。
 
梨本宮記念財団は日本の宝であり未来であると感じています。
 
※ 資料提供は梨本宮記念財団 代表理事秘書室長の安志栄先生からになります。

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週刊文春2012年9月13日号に“横田めぐみさんは本当に生きているのか”というコラムには朝鮮民主主義人民共和国との拉致問題からはじまり、後半には五世 野村 万之丞 氏(故)とマスクロードプロジェクトと銘打った平和文化交流のために朝鮮民主主義人民共和国へ4度の訪朝し、水面下で交渉をしてきた、現在、梨本宮記念財団における代表理事秘書室長の安志榮 秘書室長のことなどが書かれています。

 

梨本宮記念財団・梨本隆夫代表理事のもと、こういう素晴らしい方がいらっしゃる事は、私たち日本国においても希望です。

 

19951月に父・野村萬(七世野村万蔵)から万蔵家当主を譲られ野村万蔵家八代目当主となると共に五世野村万之丞を襲名した。万蔵家当主として一門を総括する組織『萬狂言』を設立した他、長野オリンピック閉会式の演出や「大田楽」の復興や大河ドラマでの芸能考証やお笑い芸人とのコラボレーションなど狂言以外の分野においても活躍した。その後、20036月に万蔵家の当主名である野村万蔵を八世として襲名する事を公表した。』

 

安志榮 秘書室長にお話を聴くと、野村万之丞(5)氏は、『アジアの大陸から人と文化が日本に渡ってきて、そのおかげで日本に文化が根付いて、私たち日本の文化も花が咲いた。

今度はその恩返しとして芸術や文化の交流を通して、アジアに平和な道を築いていけるようにしたい。』という想いがあったそうです。

 

まず日本から近い国が大韓民国ですが、その次となると朝鮮民主種人民共和国。

 

しかし、残念ながら日本と朝鮮民主主義人民共和国の国交がまだ成されておらず、政府の発表も、ネットやニュースも、恐ろしい国という偏った情報ばかりで、ほとんどの日本国民は行く事もないというのが現状。

かなり狭き門としてのイメージがあり、アジアに平和の道を、と言ってもそこで止まってしまいます。

 

当時、野村万之丞氏は安志榮 秘書室長との出会いを通して、朝鮮民主主義人民共和国について手伝ってほしいと依頼し、日朝問題に積極的に取り組んで来られました。

また、Wikipediaに、

 

1964年の学習院幼稚園入園から1978年の高校卒業まで学習院に学び、同学年の浩宮徳仁親王(現在の今上天皇)の学友となった。また、高校卒業後も徳仁天皇とは公私共に交流があった。』

 

とも書かれているように、小さい頃から友であった事もあり、自身の友である同学年の浩宮徳仁親王が、やがて今上天皇となられる時に、『アジア諸外国における太平洋戦争の時代に、複雑に絡み合った戦後の補償や賠償など様々な問題において、少しでも解決に向かえるよう日本とアジアの平和や友好の基礎づくりをしたい』という熱い想いがあった事を、当時、安志榮 秘書室長は野村万之丞 氏から聞いていたそうです。

 

週刊文春には

 

実は、こうした政府間交渉とは別に、突拍子もない構想が練られていたことがある。「最終的には皇太子に親書を書いてもらい、 解決を目指す」というものだ。 日韓倂合後、韓国の李王朝に嫁いだ旧皇族、李方子の末裔による財団 「梨本宮記念財団」の安志榮氏 が明かす。「政府と政府が交渉しても、事件解明に向かうとなれば、捜査権などの問題があるから、お互い売り言葉に買い言葉でぶつかり合うだけ。民間団体を常設することで、民間交流から答えを導き出すしかない。 最終的に両政府の顔を立てる形になるよう、 しっかりしたパイプをつくろうという考えだったんです」安氏が行動をともにしたのが、狂言師·野村万之丞。 四十四歳で急逝するまで、長野パラリンピック閉会式や国民文化祭のプロデューサーとしても活躍した万之丞は、皇太子の幼なじみで ご成婚後も交流があった。

 

【黒子に徹した野村万之丞の志】

 

しかし、なぜこの二人が日朝問題に取り組もうとしたのか。 きっかけは、安氏が韓国の戸籍調査団体に自分のルーツを調べてもらったことに始まる。 

彼は伊藤博文を暗殺した安重根を先祖にもつ「順興安氏」という一族の二十九世だったのだ。 安重根が唱えた「東洋平和論」を実現すべく、まずは日中韓の芸術事業に関わり始めた時に、彼は万之丞と出会った。「万之丞は私のことを面白いなあと言いだして、 北朝鮮のことで手伝ってくれと言う。

 

彼は聖徳太子の時代にシルクロードから伝わってきた仮面劇の伎楽を、東京から奈良、太宰府、百済、高句麗、中国とユーラシアに向けて里帰りさせる公演をやると言い、『これからは文化を共有する時代だ』宣言したんです」 

万之丞が安氏に依頼したのは、北朝鮮との交渉である。安氏は北朝鮮の博物館に安重根の家系図を寄贈し、ルートをつくり始めた。 「交渉中、北朝鮮側からも団体をつくろうと言ってきたことがあるが、それは万之丞が蹴った。 彼は、『文化だけでは個人レベルの話になる。 北朝鮮の外務省を 巻き込んだ交流にしないとダメだ』と言うんです」

 〇二年、小泉訪朝によって日本は北朝鮮に対する強硬姿勢がヒートアップしていた頃だが、 当時、 万之丞は「拉致」について一切公言していない。 安氏は身銭を切って、毛布や鍋類を舞鶴から北朝鮮の軍傘下商社に寄附に近い形で輸出した。 こうして、安氏は軍部にパ イプをつくり、 また金正日総書記の秘書室や 外務省幹部などと接触できるよ うになっていっ た。

 

〇三年、万之丞は初めて訪朝した。 翌年、公演は大成功を収め、 北朝鮮政府を巻き込んだ民間交流団体設立までもう一歩のところに近づいた。 

しかし、〇四年六月、高麗ホテルにいた安氏のもとに、一枚のFAXが届いた。 

野村万之丞が癌で急逝した という知らせであった。 

今、安氏はこう言う。

「文化は政治や経済の垣根を壞せる、 というのが万丞の口癖だった。 黒子に徹 した彼の志を忘れてほしくないんです」 

 

以上

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(一部抜粋)

 

ウリ花は、こう考えます

ウリ花の願い

日本と朝鮮半島の明るい未来を築こう


日本と朝鮮半島のあいだには、過去に悲しい歴史がありました。
いまでも深い溝と厚い壁が存在しています。

朝鮮半島の人びとは、日本による植民地時代、第二次世界大戦、そして戦後冷戦構造の中での南北分断という、過酷な歴史に翻弄されてきました。同じ民族が、大国の都合で線引きされた国境をはさんで敵対するという、辛い十字架を背負わされ続けているのです。

そのため朝鮮半島の歴史はとても複雑なものになり、朝鮮人(韓国と朝鮮民主主義人民共和国の人びと)の内面も複雑なものとなりました。

日本人の多くはそんな朝鮮半島の歴史を知りません。日本の学校では、日本が朝鮮に対して行ったことも含め、朝鮮半島の歴史をあまり教えません。そのため日本人の中には朝鮮半島の人びとに対する無知や無関心、遠慮、さらには偏見や差別があり、自然なつきあいができません。

在日コリアンのみなさんは、日本人が知らない朝鮮半島の歴史、在日の歴史を知っています。何代にもわたって日本に住み、日本語を話し、朝鮮半島と日本が仲良くなってほしいと切望している人たちです。人間的にも魅力的な人が多いのも事実です。そんな皆さんと交わり、学ぶことで、日本人が得られるものはとても大きいと感じています。

ウリ花は、日本人と在日コリアンのみなさんが出会う機会を提供し、理解することから始まる友情を育むために活動しています。

在日のみなさんは、日本社会の中でさまざまな不利益を被っています。ウリ花はそのことについても知る努力をし、状況を改善するために努力し、可能なときは直接支援の手を差し伸べます。

そんなふうに在日コリアンのみなさんと協力しあうことで、私たちはこれまでになかった愛の道ができることに気づきました。その発見が「NPO法人 ウリ花・朝鮮半島と日本の架け橋たち」の設立へとつながったのです。

日本と朝鮮半島は隣りあわせです。世界中どこの国であれ、隣国と仲良くすることが最大の安全保障ですし、経済や文化を発展させる条件でもあります。日本と朝鮮半島が一つになって発展することで「ウリ花」(一つになった私たちの花)が咲くでしょう。そのために活動することが、「朝鮮半島と日本の架け橋たち」を標榜する私たちの願いです。 

 

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NPO法人 ウリ花の歩み

(一部抜粋)

2019年

9月
● 梨本宮(旧皇室)梨本先生と朝鮮学校の映画ニジノキセキ鑑賞。
● 梨本財団の皆様と共に靖国神社参拝および祐天寺へ慰霊供養(目黒祐天寺には425人もの朝鮮民主主義人民共和国出身の朝鮮の方の遺骨がある)


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以上で引用はオシマイ。

ググってると他にも色々出てくるのですが、
どれが本当で、どれが嘘なのか全然分からない。

まぁなんにせよ、今は一般人になっている旧皇族の方々でも、
やはり特亜に狙われていると、そう思わざる負えませんね。
週刊誌ネタになりますが、
習近平氏の遠い親戚にあたる某外国人の、
某会社の会長のナニやら氏が、
梨本隆夫氏の養子になるとかならないとかの話も
有ったり無かったりで。

私は日本国の未来が心配で仕方がありませんので
皆様方も注視して頂きたいなと思います。



では、また。