しかし、年が明けたと思ったらあっという間にもう4月、時が経つのは本当に早いですね~!





昨日近場の公園に出掛けましたが、暖かいというよりも暑いという感じでした。





そして本当に満開の桜が人々を出迎えるように美しく咲いています。




その公園の周囲は長い桜の並木道があり、大勢の人達がお花見に来ていました。




今年もこうして桜の季節を迎える事ができて、何だかとても嬉しい気持ちがあります。




と、言うのもこの数年でしょうか、桜を見上げる度にある奇妙な想いが浮かぶのです。




『 この先、一体あと何度この桜を見上げる事ができるのだろうか? 』




ある程度の年齢の方であるなら、もしかして私と同じような想いをお持ちかも知れません。




という事は、私もそこそこ年を取ってしまったという事なのでしょう(笑)




年に一度、たった一週間程度で散りゆく桜に、私達日本人は、昔から様々な想いを抱いて見つめてきました。



戦争中は< 同期の桜 >という歌でも歌われた様に、自分のすぐ目の前に訪れるであろう死という悲しい現実。



そして愛する人々、家族や友への別れを、散り往く桜の花に想いを重ねていた人が大勢いらっしゃいました。



ですから、桜の花を見る度に、何か郷愁のようなものといいますか、もの寂しさや悲しさみたいなものも感じてしまう事があるのかと思います。




以前観たシェルタリング・スカイという映画の中で、ラストに原作者のポール・ボウルズが人生を語るシーンがあります。



『 私たちは一体あと何度満月を見上げる事ができるのか?せいぜい20回くらいだろう。けれど人は時間が永遠に続くものだと思っている。』




だいぶ前に観た映画ではありましたが、私はこのセリフがやけに強く印象に残っていました。




< 人生には必ず終わりがある >




この当たり前の事を、桜を見上げる度に、何か改めて考えてしまいます。





今美しく満開に咲き誇る桜も、風が吹く度に少しずつその花を散らしてゆきます。




人々の上に、ゆっくりひらひらと落ちてゆく桜の花、




風に吹かれる度、少しずつ散りゆく桜の花、






そんな桜の花たちは、私たちに何かを囁きながら、風とともにそっと飛んでゆきました。








記 ヒーラー坊主K/.2024











(この記事は2015年に投稿したものを加筆、訂正したものです。)