チョコレートボックス | 木の家散歩

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木の家の設計監理経験豊かな建築家・山中文彦と木材産地、職人技術者のネットワークにより、夢の木の家を造る「木の家づくりネットワーク」のブログです。自然素材を活用し、家族と環境に優しい、本物の木の家をCM型施工管理システムによるリーズナブルコストで実現します。

バレンタインデーにちなんでチョコレートボックスのお花です。


チョコレートの柄でボックスをラッピングして花を詰め込みます。


四角いボックスの角を正面に飾ります。


ハート型のチョコレートを入れて、全体に花を短めにまとめます。



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花はバラ、スプレーバラ、ピットスポルム、ペッパーベリーです。




さて、バレンタインデーは正しくは「聖バレンタインの日」ですが、キリスト教国のお祭りです。


その由来は・・・・。


西暦3世紀のローマ帝国の皇帝クラウディウス2世は若者が戦争に行きたがらない原因をを妻との別れと決め付け結婚禁止令を出しました。


それを不憫に思ったバレンタイン司祭が密かに兵士たちの結婚式を執り行っていましたが、皇帝はそれをとがめて投獄、処刑しました。



その日が西暦270年2月14日でしたが、その日はもともとルペルニクスという豊穣の神を祭るルペルカーリア祭りの日。



この日は女性の名前を書いた札を箱に入れそれを引き当てた男性はその女性と一年間交際してよいという行事が行われていました。


それを男女の風紀の乱れと危惧したローマ教皇ゲラシウス1世は、西暦496年に女性ではなく聖人の名前を書いた札に変え、その札に書かれた聖人の人生に習った生き方で1年を過ごすように改めたそうです。


そして、200年も前に殉教した聖人になったバレンタインをこの宗教行事の守護聖人として蘇らせました。


そして、いつの間にか恋人たちが贈り物やカードを交換する風習が生まれてきたそうです。



地中海的なおおらかな多神教のローマ帝国から、一神教のキリスト教のストイックな教義の世界に変わっていくと言う意味では、象徴的な行事になっているのではないでしょうか。


しかも、ローマ教皇に処刑されたバレンタイン司祭(聖バレンチノ)をローマ教皇が聖人として復活させるわけです。


その後の度々の戦争が宗教戦争に様相を示して、教義が大義名分として戦争に駆り出され、大きなモチベーションになっていきました。




そして、日本のチョコレートはなぜバレンタインデーとして定着したのか分かりませんが、最初は1936年に神戸のモロゾフ製菓(現在のモロゾフ)が英字新聞に「あなたの

バレンタイン(愛しい人)にチョコレートを送りましょう」と広告したのが最初だそうです。


その後、1958年に伊勢丹が新宿本店で、1960年に森永製菓が新聞広告、1968年に銀座ソニープラザでキャンペーンを行い、1975年ぐらいから女性が男性にチョコレートを送る日本型バレンタインデーが定着したそうです。


1979年に全国飴菓子工業協同組合がバレンタインデーの返礼としての3月14日をホワイトデーとして命名してこれも定着しました。


義理チョコから友チョコ、女子会チョコ、部下チョコと益々ガラパゴス化していく日本ですが、一年で一番忙しいショコラティェもこの日の動向を観察して来年の作品イメージ、商品企画をはじめるそうですので、そんな中から国際的なヒット商品が生まれるかもしれませんね。


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