24時間看護が必要な次女との生活で

一番気をつけたのは、

長女への関わり方でした。

地元に戻り、二世帯住宅で

住むことにしたのも、

そのためです。

 

すぐに体調を崩す次女は入院が多い。

その度に、辰子も1週間から10日は

家を空けなければなりません。

母子入院必須です。

 

普段は親とは全く別世帯として

暮らしていますが、

その時は、長女は下の両親のところで

ご飯を食べさせてもらっていました。

これは、助かりました。

 

当時はこんな感じで母子入院でした。

 

基本、本人がナースコールできなければ、

延々と母親付き添いとなります。

付き添いのボンボンベッドやお布団は、

その都度レンタルします。

先輩ママから、布団の下に

ダンボールを敷くと寝心地がマシだよ、

とか裏ワザは聞くのですが、

いずれにしてもなかなかにキツイです。

せめて、畳一畳分でいいから、

ゆったり横になれるような

スペースが欲しかった、、。

 

今は、少しは良くなっているのかなぁ。

 

 

 

長女が小学校へ入り、

やはり心配なのは、次女のことで

いじめられたりしないか、ということ。

 

なので、早い段階から、

仲良しの友達を家に招いて、

次女との生活を見てもらい、

長女の味方になってもらえたらな、

と思っていました。

 

 

「隠せば隠すほど、

  人というのは覗き込んで、

  そこに何があるのか知りたくなるもの。

  でもね、案外、知ってしまうと、

  あぁそうなんだ、って、

  そんなことに拘らなくなるものよ。

  だから、きちんと見てもらって

  知ってもらう、

  これが一番良いと思うんだけど」

 

これが辰子の持論。

 

何度も長女に伝えていました。

 

そうは言っても、まだ6歳。

長女も、家族での外出で、

多くのキツイ視線にさらされることには

慣れてきてはいたけれど、

入学して間無しの

同じ学校のお友達、となると、

やはり幼心にも、

怖かっただろうと思います。

 

 

お友達がやってきて帰った後、

大泣きすることも何度もありました。

いろんなことを言われたのでしょう。

 

その時は、、

 

辰子も一緒に泣く。

抱き合って泣く。

 

ただそれだけ。

 

この繰り返しでした。

 

それ以外、

乗り越える術がわからなかった。

 

 

 

ただ、

「しっかりしなさい」とか、

「負けたらあかんのよ」と、

 

鼓舞したことはありません。

 

 

闘うと、周りを敵視してしまう。

 

これは違う。

周りと敵対してしまうと、

いずれは、自分が疲弊し、

今度は妹の存在を恨んでしまうだろう。

 

それは避けなければいけない。

 

周りに、味方になってもらう。

 

辰子はそう考えていました。

 

 

なので、

クリスマス会やら、誕生日会をして、

お友達も一緒に、

飾りつけをしてもらったり。

 

もちろん、

同じ空間に次女もいますので、

経管栄養の準備やら、

吸引の様子も、お友達は見ています。

最初は不思議がっていますが、

そのうち慣れてきます。

 

呼吸音だけでなく、

経管栄養のチューブ換えの時、

きちんと胃に入っているか

確認するために、

辰子は聴診器も使います。

 

子どもたちは聴診器に興味津々。

互いの心臓の音を聞いて

喜んでいたので、

ついでに、次女の心音も

聞いてもらったり。

 

「この子もね、一生懸命生きてるんだよ」

 

何かが伝わるといいな、、。

 

そんなことを思いながら。

 

 

時間のない中で、

ただただ必死でした。

 

 

そうして、

長女も学校生活を嫌がることもなく、

成長していきました。

 

 

 

つづく。

 

ここらで、再びちょっと休憩します。

週末は、いつものブログに戻ります。

 

 

次女との思い出のお話は、

また来週に。

 

 TODAY'S
 
老母の晩御飯

 

焼き鯖

豚汁(かぼちゃ入り)

キャベツサラダ

柿白和え

さつまいもご飯

 

ちょっと秋メニュー👌🏻