1年10ヶ月のNICU生活を終えて、

しばらく小児科で母子入院をしたのち、

関西の病院へ転院です。

 

病院が決まってから、

転院日まで確か3日ほど。

 

夫はすぐには転勤できませんので、

まずは、辰子と長女次女の引越しです。

 

小児科入院では、

辰子はずっと泊まり込みです。

 

なので、お昼間の数時間だけ

外出許可をもらい、

その間に、長女の幼稚園の転園手続き、

役所等の手続き、

引越し業者の申し込み、

ダンボールをもらって

急いで荷造り。

 

 

もう記憶もないですが、

今更ながら、

よくやったなぁ、と思います。

 

長女の幼稚園の先生も、

急なことなのに、

お別れ会までしてくださいました。

本当に有り難かったです😭

 

 

そして

主治医付き添いのもと、

新幹線で関西へ戻ってきました。

手動の吸引機持参の移動です。

 

 

その後、自宅での療育をスタートさせました。

 

 

携帯もスマホもない時代。

情報など何もないので、

人と人との繋がりだけを頼りに、

自宅での療育準備を

済ませました。

紹介されたところを回り、

ひとつひとつ整えていった感じです。

 

今振り返ると、

人と繋がらなければ、

何もできないことで、

有無も言わさず、

障害児と共に社会に投げ出され、

馴染んで行けたようにも思います。

 

荒療治ですけれど💦

 

悩んでいる暇など無かった、

というのが正直なところ。

 

 

そんな中、

重度障害児の訪問診療をして下さる

小児科医と出会い、

また新しい出会いの扉が

開いていきました。

 

 

 

ただ、24時間看護が必要な子との

生活の大変さは想像以上でした。

とにかく寝られない。

 

次女は気道と食道分離手術は

されていなかったので、

痰だけでなく、唾液を飲み込むと、

途端に気管切開部分から

唾液がふきあがります。

なので、ずっと吸引をしなくちゃならない。

 

最初の1年近くは続けて眠ることもできず、

1時間か、2時間毎に起きるという状態。

夜中に起き上がるのも大変なので、

布団にも入らず、ベッドの上に

横たわるといった感じで

しのいでいました。

 

慣れてくることで、

布団に入って眠れる時間も

とれるようになりましたが、

結局、10歳で亡くなるまでの間、

朝まで一度も起き上がらず、

ずっと布団に入って眠る、

なんてことは不可能でした。

 

これが自宅療育の現実でもあります。

 

そんな中、

長女は新しい土地で小学校へ入学。

夫は単身赴任生活で、

休暇の度に、

関西と九州を往復していました。

 

 

 

つづく。

 

自宅療育の様子、辰子の場合⤵️

 

 

 

 

  今日の老母の晩御飯

ロールキャベツ

大根サラダ

せん切り

 

午後から出かけるため、

老母の晩御飯を先に用意しておき、

ラップをかけて、冷蔵庫へ。

 

まだ、レンジで温めて

食べることができるので助かります。