寺にも入らず、御山開闢のため大峰山や高野山、北から沖縄の御嶽まで
全国を巡錫して歩かれた費用は何処から捻出されたのか。
江戸の商人の帰依も有りましたでしょうがしかし、
なんといっても普寛護持会会長は当時幕府老中、前橋藩主酒井雅楽頭家(さかいうたのかみけ)
でしょう。雅楽頭家の護持無くして御山開山はなしえなかったものと
かんがえられます。俗世時江戸で剣道場を開いていた木村好八時代からと思われます。
資料はございませんが剣道場も雅楽頭家がその建設費を捻出したとか。
人間一人の力らでは微力でございますからやはりそれなりの人物が
必ず後ろ盾に控えております。
で御座いますもので上州は、普寛布教地のメインとなっておりました。
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