十一月も晴れであった。弥左衛門稲葉屋長次郎の願で、
松という二十歳の妻の病気平癒を御願いに出たので中座は、
和田孫八、加持者法性院伯明である。
清玉稲荷が影向していう。「これ法性院、必ず相忘れず本明院普寛を
三拝すべし。本明院殿は、もはやわれら如き稲荷の守護は及ばず、
山々嶽々の諸天善神の守護し給うところなり。われら稲荷は、本明院
普寛殿のお使いとして参ることなり。ただし、普寛殿はよき行者なりと
高慢する時は、法力くじける故、この段慎むべきことなり」と指示があった。
乗り換えがあって、三宝荒神の降臨、次に三笠山刀利天の降臨があって、
病人の指図があった。「当年二十歳の松女の病気については、
地天の障りあり。水子流産致したる際、これを屋敷の鬼門に当たる所に地天の
許しを受けずうずめたる段、不届きである。地天の眷属夜刃の怒りに触れておる故、
受地法を修して寛恕を請うべし。
次に当人の病気は、冷えより下の病となり、ひどい腰気となっている。
これによって、常時頭痛と相成り苦しむものなり。
右の者、先ず薬湯ヲ五日間入り続き、床に入って温みを取り、人参湯を飲むべし。
病気は平癒すべし」と三笠山の指図であった。 【木曽御嶽山の木食聖者 開闢普寛
小澤徳忍著】 より。


