雑木林なう。

雑木林なう。

『雑木林からこんにちは。』管理人、チヒロのブログです。

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あんまり、ネガティブなこと書きたくないんですが、やっぱり不安なものは不安じゃないですかー。

思えば、幼少期から、大丈夫なんとかなるって~。と言い続け、大丈夫じゃなかったことのほうが多くて、

もしまた今度挫けたら、今度こそ立ち上がれないんじゃないかという不安。


昔からよく言われますよ。
非現実的だとか、好きなことを職にできるのは一握りなんだよとか。
好きなことを仕事にできたとしても、やりたいことをやれるわけじゃないんだよとか、逆に好きなことが苦痛になる人も多いんだよとか。


どうして、人の不安を煽るのだ。

と、思う。


そんなこと、言われなくても分かってて、分かってるから不安だけど、不安ならやめちまえなんて言われたくないから、楽観的なふりしてるだけじゃんか。


お気楽ねとか悩み事無いあんたが羨ましいわとか言われることも多々あるけど、

悩まない人間なんていねーし、

悩むことを止めたらただの生きる屍ですし、

だからって悩むまま誰かに吐き出してたら、

ただのかまってちゃんじゃねえか!って感じだし。


私は素直さに欠ける人間で、

見え見えの強がりで自分をコーティングして、
自分からさらけ出す勇気が無いだけで、本当は心の深い部分まで土足で踏み込んできてほしいのとか普通に思ってる、
フッツーの女子で、

そのくせ土足で踏み込んでこられると腹が立つっていう面倒くさい人間で。


でもこのことが恥だとは思ってないけど、人間らしいっちゃあ人間らしいし。

でもだったら最初から素直になれよとは思う。






まぁでも結局、なんとかなるさー!大丈夫!って言って、怖いもの全部振り切って前に進むしか無い。

何が言いたいの?って思うかもしれないけど、

自分の不安を明確に言葉にすることなんてできないのだよ。

ただ、不安なものは不安なんだ。

自分の将来も、現在の自分も、人間関係も、自分の健康も、自分の感性と表現力も、不安じゃないものはこの世に無い!

そしてそれを解消してくれるのは、親でも友達でも恋人でもなく、自分自身だけなのだ。
自分自身の芯を太くするしか解決方法は無いけど、芯を太くする方法は上記に書いた周囲の存在や何かのキッカケや小さな奇跡の積み重ねなのだと思う。



言うまでもなく『たわごと』なので、バカねこの子と思ってくれてかまわないのだ。





ずっと温めてた話があります。

自分にとって一番大事な話だから、もっと画力がついたらとか、キャリアがついたらとかって思ってたけど、

いつか、いつか、っていうの、もうよくね?

と、なんか思うようになりまして。

ダメで元々なので、
漫画にして、コンクールなどに応募してみようかなと思ってます。

画力に限界を感じて、挫折したらしたで、やれるだけやってみればいいじゃん!的な。

画像は、物語の軸になる、柚子ちゃんです。



どんな子なのかとか、どんな話なのかとかは秘密です。

ただ、見ての通り、色々なものにとり憑かれてるけど明るい子です。

ゆくゆくは、どの話にも柚子が登場するけど、話によって主人公が変わっていくようなスタイルで描いていきたい。

それって連載したいって意味になるので、だからずっと温めてたわけだけども。



まぁ、なんとかなるよ!

なんとかならなくても、なんとかしようとすれば、なんとかなるからいいのだ。




年末が近付くにつれて、ついてないというか、感傷的になりやすくなっていたというか、かなりボロボロでした。

そして、今年は近所の神社にすがりついたのです。

元旦、お祭りムードの参拝客を横目に、かなりマジな参拝。

負けない強い人間になりたい。
でも私は弱い。
超弱い。
少しでいいので、背中を押してくれませんか?

と。

毎日ぼやけた出来事しか起こらず(それでもつもり積もれば辛い)、なんの波も無く過ぎていた日常は、参拝した日からひっくり返りました。

その傷みと動揺と戦うことで、きっとちょっとは強くなったのだと思います。

沈んではちょっと浮き上がる毎日ですが、沈むことに抵抗しなかった私は、自分でもがき浮き上がろうとすることすらしてこなかった。
上から伸ばされた手は今まで沢山あったはずなのに、見えなかったのは、沈みすぎて太陽光が水底に届かなかったからなのだと気付きました。

固く閉ざした蕾も、光を浴びれば花開くのです。

これは、初詣で引いたおみくじに書いてあったことです。
本当にその通りだなと。

キリスト教ではなんでもかんでも迷った時には神様を頼りましょう。
(↑噛み砕きすぎ)
という教えてですが、

私が迷ってしまった時の指針になってくれるのはいつも神道から得られるヒントです。

仏のように、煩悩を消し去りなさいとも言われないし、
(↑これも噛み砕きすぎ)

あくまで、自分の感性で感じとるしかないところが、まるで自然に魂を導いてもらうようで、美しいというか、自分を見つめ直すことに繋がるというか、宗教のように考えを固定されないというか、

何が言いたいか分からなくなってきたけど…。


丁度6月なので鳥谷崎神社に中間報告しに行ってきました。

どんな報告をしたかは、鳥谷崎様と私の秘密です。

ここしばらくほとんど眠れなかったのですが、久しぶりに深く眠ることができました。
いくつかの不思議なビジョンも見ました。
意味があるか無いかは私次第なのですが。

っていうか、眠れなかったのは、変なものにとり憑かれてただけだったのかも(笑)

なんてね。

ここ最近、本音を吐き出す機会が増えたから、参拝して心が生理整頓できただけなのかもしれないし。


オカルト好きとしては、とり憑かれ説を支持したい!(笑)

では。