最近、特に世界タイトルマッチでボクシングの試合を通じて以前ほど伝わりにくくなったな…と感じるものがあります。

それは、


【勝利の意味】と【勝利の価値】です。


熱が伝わらないと言うか…、ものたりないとでも言うか…、

信じたくないけれど、魅力が昔ほどなくなりつつあるのかなーなんて感じたのです。

ある日本人世界王者の世界戦を見ながらぼーっと浮かんできた率直な感想です。昔は世界戦をぼーっとながめるなんてありえなかったなと。

今も昔もボクサーは毎試合命をかけて闘っている。

そこには名誉のため、金のため、輝かしい未来のため

命を削り、闘っている。そこには真剣勝負のドラマがある。まさに命をかけた奪い合い、



オールオアナッシング。



勝者はすべてを手にし、敗者は全てを失う。その光と闇。

ボクシングは時に選手の未来ばかりか命までも奪う、残酷な一面もあわせ持つ競技。

振り返ると十数年前、気がついた時にはすでに完全に魅了されていたこの『ボクシング』と言う競技に、いったい何年間ファンであるのかは明確ではありませんが

当時、私がまだ高校生だった頃、私の憧れでありヒーローであった辰吉丈一郎(敬省略)が、絶対不利の予想の中、無敗の王者シリモンコンを見事KOで破り王座に返り咲きました。

これは私にとってあまりに衝撃的な事件でありました。

日本に辰吉と言うニューヒーローが誕生し、華やかな栄光の道を突き進むであろうと誰もがそう信じて疑わなかったあの頃、

網膜剥離、ライバル薬師寺(敬省略)との激闘・敗北…

まわりからは辰吉は終わったのだとさえも囁かれていたあの時に、

あまりにドラマチックで劇的な勝利。全身を突き抜ける衝撃と溢れだすえもいわれぬ感動にさとし少年はなけなしの小遣いをはたいて翌月、初めてボクシングマガジンを買ったのでした。



『この感動は絶対一生ものだビックリマーク



確信めいたものを確かに感じたのです。この勝利には、ボクシングファンとしても、辰吉ファンとしても、たくさんの意味があり価値のあるものでした。ボクシング史上に残る輝かしいものであったと感じています。

少なくともこの頃には、世界タイトルに挑戦すると言う事にも、世界タイトルを防衛すると言う事にも意味や価値があり重みがありました。


さて、今は…


世界タイトルの価値がさがっているように思います。【暫定】【スーパー】【休養】【シルバー】【ダイヤモンド】【名誉】世界王者の大安売りとでも言いたくなるくらいの『世界~王者』の乱立。世界戦を行うにあたり、その意味がよくわからない事が増えたように思います。

『その対戦相手と戦って何を証明したいの?何を訴えたいの?』って感じる試合が増えた気がしてやまないのです。

いや、まあ偉そうな事を言ってる私ですが、私はIBFもWBOも容認派ですし、タイトルの価値などそのタイトルの保持者が決めるものだと思っておりますので、一概にこうあるべきだとかなんとかとは申しませんが…。

まあ、つまりボクサーの強さの証明であり誇示であって、生き様の表現が物足りなくなってきたのかもしれません。

ボクシングは2つの拳で相手を戦闘不能にする競技であり、showではありません。

プロレスとは違うのです。…誤解の無いようにいいますが、プロレスは好きですし馬鹿にしている訳ではありません。私の解釈では、プロレスとは相手の技をあえて受け止め、かつ自分の力を証明する。意地と意地のぶつけ合いだと思います。そこに観客をどれだけ魅了出来るかと言ったshow的な要素が含まれているもので、決して殺しあいではありません。


『1敗』の重さ、『1勝』の意味や価値がボクシングはあまりに大きい競技なんです。

元4流アマチュアボクサーの私からすると、

『なんであんなパンチうてるんだ!?

『なんであんなに手数が出るんだ!?

『あの動きやべぇ!!


とか、全盛期の自分でも到底出来ないパフォーマンスに尊敬の念を抱きます。

そんな雲の上の人たちがガチでつぶしあいをするからこそ、その姿が雄々しく素晴らしくあるのではないでしょうか。

先日惜しくも敗れてしまいましたが、WBOに挑戦した石田選手や、日本タイトル5階級制覇に燃える湯場選手はかなり魅力的なボクサーだと思います。

負けても立ち上がる。己の野望のために闘う姿。闘い続ける姿にはただただ尊敬するばかりです。




何か今のボクシング界前より何かものたんねーよ、なんて感じの事を書きなぐりましたが、


やっぱ私ボクシング大好きです。


最後に、

志半ばにして亡くなった竹森先輩、命懸けで闘う全てのボクサーに敬意を表します。