高知県西部
四万十市を中心とする地域<幡多地方>には
なぜか美人が多いらしい。

本日はその根拠や謂れを探りましょう。


土佐おもてなし勤王党かわら版


確かにこのあたりは昔から美人が多かったようで
『安並のお清』や『お雪さん』のような美人にまつわる話も多いがです。

『安並のお清』は、幕末から明治にかけて中村安並に実在した宮崎清さんのことで
絶世の美女やったそうで、
お清さんは明治二十二年に亡くなっちょりますが
その頭蓋骨をみると、虫歯が一本もなく歯並びも綺麗やったそうながです。


当時の美人の定義が
「うりざね顔で色白」という公家を想像させるものでした。

この地域は応仁二年(一四六八)
前関白一条教房公が応仁の乱の戦火を逃れ京都から中村に下り
京都を模した町を築いたがです。
この関白が来たことが、うんと影響しちゅうがやないでしょうか。

それと幡多弁も関係しちゅうと思います。
幡多弁は京都の流れをくんじゅうので
言葉がやわらかく、しゃきしゃきした土佐弁とは違って優しいがです。
同じ県内で方言も文化も異なりますきね。

それが高知市らへんから来た人間が幡多には美人がおると言うたがやないでしょうか。

これが<幡多美人>の始まりと思うわけです。


土佐の女性の呼び方は<はちきん>
というイメージがあるかもしれません。

本日はぜひ<幡多美人>という言葉を覚えてつかあさい



(濃縮版「とさのかぜ」参照)