柳田 金乃助 絵画活動情報

柳田 金乃助 絵画活動情報

絵画活動について色々と御紹介致します。
取材、制作、過去の作品についてなどなど
不定期で更新予定。

また自身の出品する各展覧会情報等も掲載致しますので
ご興味の方は是非とも覗いてくださいませ。





この廃墟,史跡写真館と題した記事では
古今東西、過去の取材地の中から
自分自身の足跡を再度辿りつつ
様々な廃墟の紹介をさせて頂いてきましたが、


その幾多の廃墟の中でも
最も制作意欲を刺激されるのが
今回ご紹介する「光」が美しい「廃墟」の姿です。


元々、人物画にしても風景画にしても静物画にしても,,,

幼少期から光を感じられる描写は
特に好みで

自分自身が描く絵の画面にも
常に強い光を求めていました。

ですから廃墟を訪れた際、
その場が特に光を感じられる様な状態になっていたら
「描きたい」と思うのは至極必然的に思えます。


光というのは
太陽等の自然光から人工的なモノまで様々ですが、

物理的にはかなり広い範囲の強弱があり
それぞれの光が存在感を示すには
それなりの条件が必要となります。


例えば、
昼行灯(ひるあんどん)という言葉がありますが、

太陽輝く真っ昼間に
床の間を照らす程度の光量しか持ち合わせていない行灯を点けても
行灯本来の役割を果たすことが出来ないというところから
「役立たず」を揶揄する言葉として用いられてきました。


しかし
ひとたび夜が来れば
寝床に就く直前の
疲れ目にも優しい絶妙な光で
眠るまでの時間の良いお供をしてくれます。

つまり淡く小さな光の行灯も
真っ暗な夜が相手なら
その存在意義は絶大なものとなります。


この様に
「光」の見え方、感じ方は
時と場所、その状況によって大きく左右されるといえるでしょう。



私が廃墟を好む大きな理由のひとつに、
廃墟内で見た無限の「光の形」があります。


人工照明設備を失った廃墟は
日々異なる天候により様々な光を受けるので、
例え時や場所を同じくした廃墟であっても

全く同じ姿での再会というのは
やはり記憶にはありません。



また次に見た時に
必ず違う姿であろうという
好奇心を擽(くすぐ)る可能性に
私は大きく惹かれているように思えます。



これからも
その一期一会に期待して
色んな廃墟に差す光の姿を追っていきたいですね。

















































































新年も新たな光を求めて,,,