ご訪問、ありがとうございます。
郁春です😊

ここ二回連続でペン字や書道に関係のないことを投稿してしまいました。

で、今日もまた関係ないことを書きます。

すみません🙇‍♂️

美文字教室の方に興味がおありの方は、ホームページベルこちらをご覧下さい。


私は、子供の頃から絵を描くことが好きで、将来はイラストレーターになりたいと思っていた時期もありました。

でも、当時住んでいた田舎じゃそんな仕事なんてあるはずもなく

ただの下手の横好きってことで、諦めましたショボーン

そんな私が、なぜ今都会に生きているのか

それは血液の病気をしたからです。

24歳くらいの時、会社の健康診断で引っかかり、大学病院に検査入院することに。

当時、ゆき子さんという方が18歳で白血病を発症され若くして亡くなられたことを、たまたまテレビで見て知っていました。


その話は、後に和久井映見さん主演でドラマ化されています。

ですから、私も家族も口には出しませんでしたが、もしかしたら私は死ぬのでは?と頭の片隅で思っていました。

遥か彼方 昔の記憶なので、今はサラッと言えますが、その当時は本当に怖かったです。

でも、再検査、再々検査の結果、私は白血球ではなく血小板の異常で白血病に似た症状が出ていただけだということが分かりました。

退院できた時、私は1つの決心をしました。

それは、【一人暮らしをする!】です。

それまでは田舎で親の言う通り、地元の学校、地元での就職、そして地元の人と結婚するんだろうな…と、

親の敷いたレールの上を、あまり疑問も抱かず生きてきました。

周りの友達もみんなそんな感じでしたから。

でも、都会で一人暮らしをしたい。

例え経済的には苦しくても、お洒落に全然お金が回せなくても、お気に入りの車を手放すことになっても、

自分の稼いだお金で家賃を払い、公共料金を払い、食費をやりくりして自炊をし

全て自己責任において

自分1人の力で生きてみたい!

田舎の箱入り娘の、両親への初めての反抗。

それを、両親はすんなり許してくれました。

あんなに過保護(?)過干渉(?)だったのに😳

昔は、歌手のコンサートのチケットは、レコード店に並んで買っていました。

いい席を取るためには、みんな前の晩から徹夜をしてお店の前に並ぶのです。

当時私は、佐野元春さんのファンでした。

短大生の時です。

反対する母を言いくるめて、友達とレコード店の前で並んでいました。

夜9時ごろ夜食のドーナツを買って、初めての経験にワクワクしているところへ父登場!

私は、みんなの目の前で無理やり髪の毛を掴まれて連れ戻されたのですえーん

短大時代の私の門限は9時でした。

そんな厳しい父が、一人暮らしをすんなりと許してくれたのです。

きっと父も、死ぬかと思った娘が生きていられるだけでも御の字。

生きてる間は、好きなことをさせてやろうと思ったのでしょう。

そして私は大阪で仕事を見つけ、一人暮らしを始め、主人と出会ったのです。

主人の友人も白血病でした。

主人は、その友人のために骨髄バンクの登録を呼びかけるボランティアをやっていました。

そのご縁で親しくなったのです。

結婚してから、2人で東大病院まで、その友人のお見舞いに行ったこともあります。

けれどもその友人は27歳の若さで帰らぬ人に…。

私達は、生きているのではなく生かされているんだ。

そうつくづく思います。

一人の人が死んでしまうことによって、親や子供、親友や恋人が、どれほどの悲しみや苦しみを背負うことになるでしょう。

もし、私なんか、と思っている人が読者の方の中にいらしたら、それは間違いです。

あなたを愛している人が必ずいます。

あなたが生きているだけで、きっと誰かの幸せになっていたり、救いになっていたりします。

万が一、今はいないと思っても、あとで気づく日が必ずきます。

だから、今日を慈しみ、毎日を大切に生きていきましょう。

と、言いながら、私も普段は忘れて子供に文句ばかり言っているのですけどね😅💦

と、ちょっとヘビー目な話になってしまいましたが

ここ数日、新天皇、新皇后の御即位に伴い、御成婚の時の映像が流れ

あらためて雅子さまの美しさに感動し、仕事の合間に思い付きでイラストを描いてみたことから、こんな話になってしまいました。

一般参賀で手を振られる雅子さま、今も本当にお美しい!

こんな素晴らしい方が皇后さまで、日本人として誇りに思います。

雅子さまには、ご病気を乗り越えられ、これからの人生を益々輝かされますことを、心より願ってやみません。


それでは今日も最後までお付き合い下さり
ありがとうございました😊

今日で連休も終わりですね。

明日もいい日になりますように🍀