こんにちは、DaiKiです。

 

今回も、DaiKiが今、考えていることをまとめたアイデアノートの一部を「編集なしで」コピペします。

 

今回は、「心が傷つく」ことについて。「心が傷ついた」と感じる方は多いでしょう。傷つきやすい心、傷ついて治りにくい心は、僕の悩みでもあります。一方で、このような、「心」について深く考える文章を書くことに役立っている意味では、「傷つきやすい心」は僕の長所でもあります。

 

この文章を読んで、わかる、と「共感」してくれる方が一人でもいましたら、幸いです。共に生きましょう。相談がありましたら、公式LINE:@wne5376nまで。相談や悩みを個人的にしたい場合には、ご連絡ください。全力で向き合います。

 

〜〜〜

 

陰口を言われているのに気がついた。仲間はずれにされたと感じた。相手の気遣いのない言葉で心臓が不意に波打った。自分の身勝手な態度が無意識のうちに相手に不快な思いをさせていることに気がついた。計画通りに行動ができなかった。他者への期待が裏切られた。

 

私たちの心は、実にいろんな場面で傷つく。目に見えない、周りは気付かない中で、自分だけは心の傷に苦しんでいるのがわかる。傷つきやすい人がいる。そうではない人もいる。

 

心が傷つく、とはどういった状態を言うのだろう。

肉体的感覚としては、胃が重くなる、脳が重くなる、体が重くなる、心臓から出る血液が不整になる。突発的に、かつ長期的に。

精神的思考としては、他人の非を強調したくなる気持ちが大きく膨らむ。活動意欲が失われ、思考停止に陥る(落ち込む)。

 

以上のように、肉体と精神に上記のようなマイナスの影響が生じている状態を、「心が傷つく」という。

 

僕は、「傷つきやすい」人間である。比較的些細な出来事で傷つくし、傷ついた状態は長引きやすい人間だ。

 

「心が傷つく」ことの、日常生活におけるデメリットは大きい。

風邪をひいたら仕事を休まなければいけなくなる。それは、肉体的不調が生じるからである。また、風邪は他人に移す危険があるからである。

心が傷ついたら、肉体的不調のみならず、精神的不調も生じる。また、心が傷ついた人は、他人をいたわることが困難であるから、他の人の心を傷つけやすい。「心が傷つく」ことは、風邪を引く以上に、日常生活上のデメリットが大きいと言える。

こんにちは、DaiKiです。

 

ブログの更新が少ないにもかかわらず、大勢の方に読んでいただき、またたくさんの反響を受けることができ、大変ありがたいです。更新の励みになります。

 

大勢の方の反響があるのも、大勢の方が、このブログの目標である「いじめによる自殺ゼロ」共感していただけているためと思います。今後も精進します。

 

今回も、DaiKiがいま考えていることをまとめたアイデアノートの一部を、「ほぼ編集なしで」コピペします

ついついイライラしてしまいがちな方、必読です。また、怒られることが日常的な方も、参考になることがあると思います。ぜひ読んでみてください。

 

連絡は公式LINE:@wne5376nです。相談や悩みを個人的にしたい場合には、ご連絡ください。全力で向き合います。

 

 

【怒(おこ)る理由】

 

あなたは怒る。なぜ怒るか?「相手がおかしなことを言っているから」「間違った行動をしているから」「不快な態度を取っているから」「私をイライラさせるから」などなど。

 

答えは上記の通り様々で、表面的には、怒る理由はいろいろあるように見える。だが、本当にそうだろうか?怒る理由を掘り下げると、根本的原因は極めて単純であるのではないか。

 

怒る理由を考える前提として、怒る行為の持つ意味を検討する。怒る行為はコミュニケーションの一手段である。具体的には、①相手の言動に対する否定的評価を示す手段の一つである。しかし、怒る行為は、否定的評価を示すにとどまらない。②相手の言動や、思想の訂正を求める行為である。どのような訂正を求めているか。例えば教育の場面では、自分の思い通り、すなわち指導どおりの言動を求めるものである。そして、これが慢性化すると、怒る行為は③自分に対する絶対的服従を強いる手段となる。「自分を怒らせるような態度をとるな」という命令を、怒る行為、あるいは怒ることをほのめかす言動によって強制する。なお、絶対的服従を強いることは、無意識である場合が多い。

絶対的服従を強いる過程はこうである。特定の相手に対して怒る行為を繰り返している人は、いつしか相手に対して存在そのものによって恐怖を与えている。そして、怒る人は、恐怖を与えていることを自覚しながら、怒らずとも、感情の揺れを言動によって頻繁に示している。これは、恐怖を利用して、絶対的服従を強いていることに他ならない。

 

以上の通り、怒る行為は、①相手の言動に対する否定的評価をし、②訂正を求める行為であって、③相手を自分の思い通りにする(慢性的になれば絶対的服従を強いる)ものである。

 

では、この怒る行為を、なぜするのか?

怒る人にとっては、怒る行為をするにあたり、表面的には大義名分を掲げている。それが「相手のためを思って(思いやり)」である。(中には、「自分にとって不快だから(自分の利益)」という理由で怒る人もいるが、これについての議論も結局のところ被るので割愛し、主として思いやりを根拠に怒ることの背景を検討していく。)

 

「思いやり」を根拠に、②言動の訂正を求める目的で、怒っている(と自ら考える)人が怒る、根本的理由は2つある。一つは、言動の訂正を求める最も良い(又は唯一の)手段が怒ることと考えていることである。もう一つは、言動の訂正を求める手段として、怒ることが最良(又は唯一の)手段ではないと理解しながらも、一時的・慢性的な精神的・肉体的理由により怒っている場合である。

 

一つ目から検討する。思いやりから言動の訂正を求める場面において、最良又は唯一の手段が怒るものと思っている場合である。本当に、最良又は唯一の手段だろうか。

この点については様々な考え方があると思われる。個人的には、怒る手段によって言動の訂正が実現する場面は限られるのに対し、怒る手段によって失われるもの(信頼関係、怒られる側の人格的評価等)が大きいと考える。したがって、怒る行為は原則的に劣った手段であると考える。

 

もっとも、例外的に怒ることが正しい場面は存在する。この点、怒る行為は強い意思を容易に与え、強い記憶定着に役立つ。そこで、怒る行為による信頼関係の破壊や、人格否定的印象を相手が感じない場合には、怒る行為は例外的に正当化されると考える。例えば、子供が親の目から離れて駅のホームでふざけていて、線路に落ちてしまったとする。危機一髪、電車が止まって子供は助かり、心配する親の元へ戻ってきた。「このバカっ!」と親は、半泣きになりながら、大泣きしている子供にビンタをして、怒る。この怒る行為を間違っていると感じる人は少ないだろう。親の心配と、駅のホームで遊んではならないというメッセージを、子供を能力的に下に見たり、人格を否定する印象を与えることなく効果的に伝えている。このように、怒ることが正当化される場面はある。

 

次に二つ目について。怒ることが劣ったコミュニケーション手段であるであることを自覚しながら、一時的・慢性的な精神的・肉体的理由により怒っている場合である。

 

一時的な理由とは、緊張や空腹により、怒りやすい状況下で、これを抑えることに失敗した(努力の有無を問わず)場合である。

 

慢性的な理由とは、他者を、その能力に応じて人格的価値を上下関係で見る習慣がある場合や、特定個人を目の敵にしている場合である。

ここで、他者の人格的価値を上下関係で見る者について付言しておく。自分が相手よりも価値のある人間だと思っている場合、怒る以外の手段を選択することを億劫がり、人は容易に怒る。これは反対に、自分よりも価値のある人間と思っている(例えば上司)人によって理不尽な態度をとられても、それに対して怒らずに、自らを卑下する態度を取っていることから明らかであろう。

 

なぜ、人を上下関係で見るのか。それは、人の価値を、一つ一つかけがえのない平等な命、すなわち「存在」ではなく、何ができるか、すなわち「行為」で見ているからである。

人の価値を「行為」で見るのは、ステレオタイプな功利主義的思考である。しかし、あなたはその立場に立たないだろう。行為により価値を生み出すことが一切なければ、人を殺していいのか?そんなことはないと考える。「行為」の価値だけにとどまらない価値を見出す規範意識が、あなたの中にある。

あなたの中には、人の価値を「存在」に見出す規範意識がある。しかし、競争社会で、目の前の価値を生み出すスキルアップに集中しすぎた結果、「存在」に対する価値を見出すのが困難になっているのだ。

 

競争社会に集中することに良い点はある。自分の能力を高めることに雑念がなくなり、効率的な活動を容易にすることがある。

 

しかし、競争社会でに集中することを、「存在」への価値を見出すことよりも優先した場合のデメリットも考えなければならない。事故や病気によって、あなたに「行為」の価値が失われる可能性は極めて高い。極めて脆い土台で生きる危険を意識するべきである。

 

このように、慢性的理由により怒る行為をやめられない人は、自分の生きる基盤となる価値観が、怒ることを当然とするものになっていることが原因である。

 

ここで、さらに一言付け加えておきたい話がある。それは、怒ることで、あなたは短期的にでも、辛い現実から逃げることが可能になっているという事実である。

怒る行為は、相手の言動等を訂正したり、相手を思い通りに操る手段である。あなたが怒る時、少なくとも表面的には、相手が変わることが「相手にとって」必要だと考えている(もっとも、大抵の場合は、相手が変わることは「あなたにとって」必要であるにすぎない。)。そして、あなたは相手が変わることに対して、責任を負う立場にいると考えている(その責任が本当にあるのかについても疑問はあるが。)。そして、その責任と向き合って真摯に相手を変えようと働き続けることは、極めて困難な、辛い作業である。この辛い作業から現実逃避する手段として、怒る行為は有益である。あなたが一時的・慢性的理由により怒る時、実はあなた自身が、相手を変えなければならない(とあなたが考える)責任から、短期的に現実逃避しているという事実を忘れてはならない。そして、この事実は、怒る行為があなたをある意味で救っていることを示す。

 

以上が、怒る理由である。

お久しぶりです。DaiKiです。

 

「いじめによる自殺0」を目指すこのブログですが、内容を吟味・練るために更新頻度が下がっています。

 

更新しない間に何をしているかというと、各種専門書を読みあさったり、考えをまとめるノートを書いています。アイディアノートというやつですかね。考えをより体系化(まとめ)して、いじめに関わる多くの人の助けになる内容を提供する準備をしています。

 

今回は以下にDaiKiのアイディアノートの一つを、「編集なしで」コピペします。

2500字強の長文ですが、現在、僕はほぼ毎日こういったノートを1つ以上書いています。

文章が稚拙だったり、です・ます調でなかったり、構成・説明が不十分であったり、内容も詰めきれてませんが、ぜひ読んでみてください。あなたの生き方の参考になることは間違いないです。

 

以下、いま、DaiKiが考えていることです。感想・ご意見いただけたら幸いです。

 

 

【自傷行為はいけないことか?】

落ち込んだ時、自分をあえて傷つける行為に及ぶ経験は、繊細な人の多くがすることだろう。やらなければならない仕事から逃げたり、人間関係を壊すような言動をとったり、大切な物を壊したり、身体をかきむしったり、自傷行為に道具を用いたり・・・

 

なぜこのような自傷行為に走るのか、正確な理由はわからない。現実逃避的手段として、遺伝子に埋め込まれているのかもしれない。猫も、極度のストレス下においては、身体を舐めすぎて肌荒れを起こすらしい。

理由としては、あるいは目的論的には、自傷行為によって他人に構ってもらって、他者から救いを求めていると言える。他人に構ってもらうことは、生まれた時から求めてきた原始的幸福である。原始的幸福が十分になれば、より高次の幸福を求めることができるようになるのだろうか。

(なお原因論的には、とにかくストレスの原因を探ることになるが、自傷行為を選択する理由を説明することはできない。)

 

ストレスから自傷行為に及ぶことについて、一つだけ確かなことはある。それは、自傷行為によってはストレスの抜本的解消ができないことだ。

しかし、ストレスの抜本的解消ができないからといって、自傷行為を完全に否定できるのか。一時的な解消もまた必要ではないか。

 

余談だが、この文章を読んでいる全ての人に理解してほしいことがある。それは、ストレスを感じる自分、ストレスの一時的な解消として自傷行為をする自分に、責める点はないということだ。

ストレスを感じて何が悪い?感じない人は鈍感か、恵まれた環境にいるだけだ。中には、ストレスの原因となり得るものを把握して、巧みに避けることができる人もいる。しかし、それは熟練の技であり、私たちがこれを一朝一夕にできないからといって、責められる筋合いは全くない。

そして、ストレスの解消方法に自傷行為を選ぶことに、なぜ他人から責められる必要があろう?自傷行為を選択するまでに、様々な葛藤を経験した私たちは、人よりも努力家だ。自傷行為をしなかったという結果が偉いのか?結果が全てか?そんな人生のどこに意味があるか。

自分で自分を許せない、責めたいと思うあなたは真面目な人だ。真面目な人が損をする世の中であってはならない。しかし、真面目に自分を責めて、あなたはどこへ向かいたいのか。筋を通して不幸のループから抜け出さないことを、望んでいるのか。それともやはり、不幸せな自分を構ってほしいのか。

 

本題に戻ろう。

自傷行為はストレスの一時的な解消方法として、今のあなたに必要である。しかし、未来永劫に必要か、と問われれば、それは違う。

そして、ストレスの抜本的解消ができない限り、自傷行為をやめることはできない。

 

ストレスの抜本的解消に必要なものは、大きく二つある。一つは、原因論的発想からくる、「ストレスの元を断つ」ことだ。勉強がストレスなら、勉強をやめれば良い。あなたの過去を遡り、あなたが本当にやるべきことだけをしていく。自分の人生の役割を知って、それに向けた活動を充実させれば、慢性的なストレスとは無縁になる。

もう一つは、目的論的発想からくる、「自分は幸せになると決心して、不断の努力をする」ことだ。どのように生きても、ストレスの原因は多かれ少なかれ出会う。その際に、例えば15秒深呼吸してストレスの元を深く考えず、別のことを考える作業をする(経験則上、深呼吸して何も考えないよう心を無にすれば、15秒後にはストレスの元以外の物事について、3つほど考えるようになっている。そちらに集中すればよい)。また、ストレスを発生させる自分の特定の行動習癖を把握して、それを避けるマイルールを作って厳格に履践する。

 

これら二つの方法論のうち、難しいのは目的論的アプローチだ。不断の努力の困難さは、想像を絶する。時に何度も、必ず失敗する。それでも、繰り返さねばならないのは人生の苦行だ。

目的論的アプローチが難しいのは、失敗が必然であるだけではない。心が沈んでいる時には、「これをやると決めたが、なぜやらなければならないのか・・・」と努力自体を否定したくなる。この、「努力の否定」が最も強い敵であり、多くの人は、繰り返す失敗の中で、遂には努力自体を否定して挫折する。「努力の否定」に負けるのである。

 

なぜ、「努力」をしなければならないのか。それは、ストレスの抜本的解消をするためであり、自傷行為を止めるためであり、「幸せになるため」である。

だが、「幸せになる」ことは必要なのか。幸せになることは私たちの義務なのか。

 

答えは、「幸せになることは義務ではない。しかし、あなたが自分の人生を一度見つめれば、幸せになることを求めることは必然である」となる。

 

義務付けられた物事に人は価値を感じない。「幸せになれ」と言われて、なれる人はいない。「幸せになること」を義務だと定義したら、その時は幸せがなくなる時だ。

 

だからと言って、人は自堕落に生きて良いのか。幸せにならずに、自傷行為を続けていいのか。

自傷行為をすれば、必ず心は苦しくなる。人生の辛苦を舐めることとなる。

辛い環境の中で自我が芽生える人がいる。「辛い環境から逃げたい」と思った人、自我が芽生えた人は、その逃げ口が「幸せになること」ただ一つであることに気づく。

 

そして、「幸せになる」ためには、不断の努力が必要となる。これは困難な、苦行である。

つまり、辛い環境で自我が芽生えた人には、二つの選択肢しかない。元の環境の中に居続けて辛い思いをするか、「幸せになる」ための苦行をするかである。どちらを取ってもすぐに「幸せになる」ことはできない。むしろ一時的な苦痛からの逃避が容易なのは、元の環境の中で自傷行為をすることだ。

 

最後に、辛い環境で自我が芽生えた人に伝えたいことがある。「幸せになる」ための苦行に終わりはない。その道では、永遠に苦しむことになるといっても過言でない。しかし、「幸せになる」ための苦行の道では、苦行に見合っただけの、いやそれ以上の「幸せ」が与えられよう。それは、一日苦労した後の達成感であり、努力が報われる有形無形の報酬であり、日々成長する自分に対する健全な自信である。

 

あなたは、私は、どちらを求めるか。

こんにちは。DaiKi(ダイキ)です。

また最近はブログの更新が滞ってしまいました。僕自身の至らなさによるものです。僕の至らなさについて、今度記事を書いてみようと思います。僕の弱味を見せることにもなるのですが、弱味を見せることもまたブログに求められている気がします。

 

では、本題に移ります。今回は、「いじめられている人に一番必要なもの」についてのお話です。

 

いじめられている人に必要なものは、知識やアドバイスではない!

 

いじめられている人に一番必要なものは何か?これを答えることができる人がどれだけいるでしょうか。

 

いじめられている人を支えたい、という思いを持つ心優しい人は、意外と世の中には多いです。ですが、いじめられている人をどう支えれば良いか、という明確な答えを持っている人は、少ないのではないでしょうか?また、いじめられている人自身が、自分は何を求めているのか、わかっている人は、ほとんどいないのではないでしょうか?

 

僕も、明確な答えを出すことには時間がかかりました。自分がいじめられていた時に、何を求めていたかなんて考える余裕はありませんでした。また、いじめを解決する側に回ろうと決心した時も、はじめのうちは、何とか的確なアドバイスをあげたい、という思いが先走る事も多かったです。

 

ですが、いじめについて体系的に考え抜いた結果、「的確なアドバイスをすることが、一番大切ではないんだ」と気付いたのです。この答えは、実は無意識のうちに、いじめられている時代に求めているものでした。また、僕は偶然にも、「一番必要なもの」を得ることができていたので、いじめを解決することができたのです。

 

 

一番必要なものは「共感」

 

いじめられている人に一番必要なものは、「共感」です。

共感とは、大きく二つあります。

1つは、「①いじめられている人にとって、辛い気持ちを理解してくれる他者の存在」。

もう1つは、「②いじめられている人が、他者の辛い気持ちを理解する行為」になります。

 

2つの「共感」 その内容とは

 

解説します。まず、①「辛い気持ちを理解してくれる他者の存在」について。

いじめられている人は、自分が辛い気持ちを感じていると、周りが皆、敵に見えてしまいます。直接いじめをしている人だけでなく、傍観している人、助けてくれない大人も、自分の敵と考える。味方は誰もいないと考えてしまいます。そして、周りに味方がいない状況は、人生において最も辛いことです。

 

ここで、「辛い気持ちを理解してくれる他者」がいると、世界の見え方が変わります。世界中で味方がいない、という考えから、「周りには自分をわかってくれる味方がいる」という前向きな考えになっていきます。「周りには自分をわかってくれる味方がいる」という前向きな考えは、いじめを解決するために心を整える、相談する、行動する上で非常に大切な基盤になります。

 

次に、①「他者の辛い気持ちを理解する行為」について。

いじめられている人は、どうしても視野が狭くなります。自分の周りに起こる嫌なことしか見えなくなってしまいます。すると、辛い思いで心が一杯になってしまいかねません。

 

ここで、心が救われる最も大切なものは、「他者の辛い気持ちを理解する」ことになります。

「自分の他にも、自分と同じようにいじめで辛い思いをしている人がいる。その人たちも、幸せになろうと、頑張っているんだ」と理解することは、いじめられている人の視野を広げることになります。そして、視野が広がると、同じ辛い思いをしている他者にアドバイスできたり、自分の辛い状況に対し、客観視(一歩引いて冷静に見ること)ができるようになります。

「他者の辛い気持ちを理解する」ことは、自分の辛い思いを和らげ、いじめを解決する力になります。

 

 

僕はこうして、いじめを解決する力を得た

 

 

ここまでをまとめます。

いじめられている人にとって一番必要なものは、知識でもアドバイスでもない。「共感」です。

「共感」とは、

①「辛い気持ちを理解してくれる他者」がいること

②「辛い思いをしている他者の気持ちを理解する」こと

これらのどちらか、できれば両方を言います。

 

僕は偶然にも、いじめられている時に②「辛い思いをしている他者の気持ちを理解する」ことをしていました。その結果、自分の辛い思いで一杯にならず、辛い思いを忘れる時間を多く作ることができました。

 

僕はいじめられている時に何をしていたかというと、「読書」です。

 

僕は本を読むのが好きでした。いじめられている時期は、ギリギリまで学校を休んで、東野圭吾さんの本を全て読んでいました。

東野圭吾さんの本は、刑事系ミステリー系が多いです。犯罪者を見つける、謎を解き明かす、といった内容です。

東野圭吾さんの本を読むと、辛い思いを持った登場人物が出てきます。それらの登場人物の気持ちを考えながら読んでいました。つまり「辛い思いをしている登場人物の気持ちを理解」していたのです。すると、自分の辛い気持ちを忘れることができました。また、辛い思いをしながらも、精一杯自分の人生に向き合って頑張る登場人物から、心のエネルギーをもらうことができました。

 

こうして、嫌な思いをしていた時期は「読書」によって、登場人物に「共感」をして生き延びることができました。

 

 

いじめられているあなたが「共感」できる場所はココ↓

 

 

今、いじめられている人は、何よりもまず「共感」できる場所を見つけてください。

僕が最もお勧めできる場所は、

 

「いじめ書き込み寺」http://kodomo.mamoro.org

 

この掲示板です。ここは、辛い思いをしながらも、精一杯頑張る人がたくさんいます。ぜひ掲示板を読んで、アドバイスをしたり、自分の辛い思いを書いてみてください。

 

また、僕は、もっと使いやすいインターネットの集合所(オンラインサロン)を作りたいと思っています。賛同してくれる方は、一緒にオンラインサロンを作りましょう。ご連絡は、連絡は公式LINE:@wne5376nまで。

 

最後に。

ツイッター始めました。これから近況等書き込みますので、フォローお願いします。

https://twitter.com/ijimezero2022?lang=ja

 

感想コメントも待ってます。返信が遅れてしまいすみません。

 

みなさんこんにちは、DaiKiです。今回は、いじめを解決する方法、「心を変える」の2つ目、「幸せになれると確信する」という内容についてお話しします。この記事だけでも、大変ためになる内容です。ですが、興味のある方は1つ目の記事

いじめられっ子必見! いじめの解決方法「3段階」について語ります

からお読みください。

 

今回は、みなさんに「幸せ」について、色々考えてもらいます。

 

人生の目的は?一つには幸せになること

 

人生の目的について、あなたは考えたことはありますか? あなたが生きている意味、「何のために生きてるの?」ということです。生きる意味について考えることはとても難しいことで、答えは出ないことです。ですが、生きる意味について、多くの人が納得のいく、正しい答えの一つに、「人生の目的は、幸せになること」という答えがあります。

「何のために生きてるの?」と聞かれたら、「自分が幸せになるために生きている」と答えることができます。

 

そう答えると、次に「じゃあ、あなたにとっての幸せって、何?」と問われることでしょう。

 

そもそも。幸せとは、なんでしょう。幸せは、自分の好きなことをすると、感じられますよね。運動をする、本を読む、ゲームをする、ゴロゴロする、美味しいものを食べる、お出かけする、人と話す等々。

 

……では、好きなことをすることだけが、幸せでしょうか? 面倒くさいなーと思っていても、人に役立つこと(例えば掃除)をして、「ありがとう」と言われると、幸せな気分になりますよね。すると、面倒だった掃除も、好きなことに変わってくるかもしれません。

 

また、好きなことをすれば、常に幸せでしょうか? 学校のテストが直前に迫っているのに、好きな漫画をゴロゴロしながら読み続ける。親からは「勉強しなさい!」と怒られている。こんな状況、僕も経験したことがありますが(笑)、決して幸せではないですよね。

 

幸せとは、ただ、「なんとなく好きだな〜」と思っていることをすることではありません。

幸せとは、好きなことをして、かつ自分が心底充実した気持ちになれることを言います。つまり、幸せとは、「好きなことをして、心と体が喜ぶこと」を言います。

 

幸せになれると確信する

 

「幸せ」がどういうことなのか、少し分かった気がしてきましたね。

話は元に戻って、いじめを解決するために、心を変える必要があります。そして、「幸せになれると確信する」ことが必要です。

「幸せになれると確信する」とは、どういうことかわかりましたか? 「確信する」というのがどういうことかは、前回説明しました。常識としてずっと考える、ということでしたね。

つまり、「幸せになれると確信する」とは、自分は常に、好きなことをして心と体が喜ぶ状態になることができるんだ、と無意識でもずっと考えていることを言います。

 

今あなたがいじめを受けていて、そのために好きなことができない。好きなことができず、幸せになれない状態があるとします。

ここで、「幸せになれると確信」している、すなわち幸せになれる、幸せになりたい、という気持ちが常にあるのであれば、いじめられている状態が続いてほしくないという気持ちが出てきます。

 

悪口を言われて心が痛い。

 

一方的に暴力を振るわれて心と体が痛い。

 

非行に付き合わされて、自分の人生がめちゃくちゃになるという不安。

 

このような辛いことに対して、「自分は幸せになれる、幸せになりたい」という強い思いは、いじめを解決するモチベーションになります。

 

好きなことを見つける

 

今日は話が長くなってます。本当はもっと話したいことがたくさんあるのですが……これでも抑えてます(笑)。

今までの話をまとめると、「人生の目的は、幸せになること。幸せとは、好きなことをして、心と体が喜ぶこと。幸せになれると確信すれば、いじめを解決したいと思う心が出来上がる」ということでした。

 

「自分にとっての幸せ」は何ですか? パッと答えられる人にとって、「幸せになれると確信する」ことは、そんなに難しくありません。「自分にとっての幸せ」、すなわち、他の誰でもないたった一人の自分であるところのあなたが、好きなことは何でしょう? いじめを受けて、悩み苦しんでばかりの生活だと、自分の好きなことすら忘れてしまいます。

 

ここで、好きなことを考えるためのコツをお話しします。まずは、下のURLをみてください。外部サイトですが、安全なので心配せぬよう。

http://urx.red/FrRo (新しい趣味探し!>ジャンル別趣味一覧)

 

ここには、いろんな趣味の世界が書いてあります。

「よしみんな、これから君の好きなことを選べ!」と言うわけではありません。

実はあなたは、ここに載っている趣味のうち、多くのものを体験したことがあります。例えば、一番上にある「旅行」であれば、修学旅行。家族旅行もあるかもしれません。

次の「アウトドア」では、これも修学旅行等で海や山に行ったことがあるでしょう。その次の「スポーツ」も、体育の授業で色々やってますよね。

 

あなたには、この趣味一覧表を見て、じっくり時間をかけて思い出して欲しい。

 

「いつ、どこで、どんなことをやったのか。そこで自分はどう思ったのか。周りは何をやって、自分は何をやったか。みんなは何と言っていたか。それに対して、自分はどう考えたか。何に楽しみを感じたか。何が辛いと思ったか。」等々。

色々考えているうちに、自分の好きなこと、心と体が喜ぶことが見えてきます。

 

また、普段でも、周りの人がやっていること、テレビで写っていることで自分がしたことのないことを聞いたとします。その時に、「それについてやってみたいと思ったか。それはなぜか。」などと考えているうちに、自分の特徴(いいところ)や、自分の好きなことが見えてきます。

 

考えて、考えて、好きなこと、心と体が喜ぶことが見えてきたら、それを再びやってみましょう。

 

ちなみに、もしここで何も考えないと、どうなるでしょうか。自分の好きなことがわからないと、あなたは自分は何がしたいのか、何もわからないままで生きていくことになります。そして、他人に押し付けられた、これやれあれやれ、という人生を歩まなくてはいけなくなります。他人に押し付けられた人生は、果たして幸せでしょうか。それもあわせて考えてみてください。

 

自分は幸せになることができない、と考えるあなたへ

 

「幸せになれると確信しろって言われても、今までほとんど幸せなんて感じていない。周りもいじめてきて、わたしが幸せになる邪魔をしてくる。自分は幸せになんてなれっこないよ。」

 

こう考える人もいるでしょう。

まず、「自分は生まれてから一度も幸せと思ったことがない。心と体が喜ぶ状態って、なんですか?」という人がもしこのブログを見たら、今すぐ僕に連絡をください(LINEは、@wne5376nです。)

 

それ以外の人。必ずあなたは幸せになれます。

「憲法」って、知っていますよね。日本という国の基本ルールを定める法。国家があなたに人権、という権利を保障する法。

その憲法では、13条で、すべての人に「幸福追求権」という権利が保障されています。幸福追求権とは、文字通り、幸せを追い求めることができる権利。

つまり、あなたは、国から、幸せになる権利が認められているのです。日本という大きな国と、あなたの周りのいじめっ子。どちらが偉いですか?

周りにどう思われようと、関係ありません。どんなに邪魔をされても、あなたは幸せになれます。

 

幸せになろう!

 

幸せになる方法として、まずは自分の幸せとは何か考えましょう。

自分の幸せがわかったら、それを実行し続けましょう。実行する道の上で、邪魔や障害があると思ったら、それを乗り越えるしかないです。そして、その道は、自分で決めた道なのだから、邪魔や障害もまた、自分で選んだものです。

難しいですが、邪魔されているのではなく、邪魔も自分が選んだ道と考えて、主体的に乗り越えていきましょう。邪魔を乗り越えなければいけない義務、という考え方はではありません。邪魔や障害を乗り越えて幸せになりたい、という前向きな希望を常に胸に抱えて行きましょう。

 

そして、いじめを解決する、というのも、自分が幸せになるために、自分が選んだ道です。自分の幸せ、心と体が喜ぶことは何か、常日頃から考え続けてください。そうすれば、幸せになりたい、という強い気持ちが生まれ、必ずいじめを解決することができるようになります。

前回お話しした、「いじめ解決の3段階」を具体的に見ていきます。

 

そしてすみません、3段階の1番目、心を変えるの具体的中身を、「①自分には価値があると確信する、②自分は幸せになれると確信する、③自分はいじめを解決できると確信する」に変更します。

 

更新頻度なのですが、自分の能力不足で、更新が滞ってました。ですが、なるべく多く更新できるよう頑張ります。

 

自分には価値があると確信する

 

「自分には価値があると確信する」ことが、いじめを解決する最初の一歩です。

自分に価値があると確信するとは、どういう状態を言うのでしょうか。

「価値がある人」とは、生きていると、周りを幸せにする人を言います。こういった人は、生きているべき人、生きていていい人と言えます。

そして、「確信する」とは、24時間、いっときも休まず、そう思い続けることを言います。自分の中で、意識するとしないとを問わず、物事を常識として考えている、というイメージ。

すなわち、「自分には価値があると確信する」とは、自分が生きていていい人だと、無意識でもずっと考えることを言います。

 

自分は生きていていい人間なのか?

 

自分に価値があると確信するために、自分の価値をしっかり考えておく必要があります。まずは、必ず自分のいいところを書き出してみましょう。最初は全然浮かばないかもしれません。ですが、慣れてくるといくつも書くことができます。自分で考えるだけでなく、気のおける人に、「自分のいいところってどこ?」と聞くこともいいでしょう。

また、皆さんは、生きていることそれ自体が、人を幸せにしています。誰を幸せにしているのか。それは、身近な人で両親であったり、先生であったり。僕もそうです。皆さんが生きて、この文章を読んで考えたり、行動してくれると、文章を考えて書いたかいがあった、と幸せな気持ちになります。自分の価値を書く際には、「生きていること」と書いてみてください。ほら、「いいところが一つもない」なんてことは、ないでしょう?

 

「自分には価値があると確信する」と、いじめを解決できる!

 

暴力的、精神的ないじめを受けていると、その扱いがあまりにもひどいものであるから、中には、自分は価値のない人間であるといった錯覚を感じてしまう人もいるでしょう。

そう考えると、「価値のない自分だから、いじめられても仕方がないものなんだ」と、いじめを解決する心が失われてしまいます。

ですが、「自分には、価値があると確信する」と、いじめによって自分の価値が否定されている現在の状態がおかしい、許せないものであると思うことになります。あなたの、「いじめはおかしい、許せない」という思いが、いじめを解決するための土台になります。ですので、「自分には、価値があると確信する」ことは、いじめ解決に必要なのです。

 

誰からも価値のある人と思われている人はいない

 

そうはいっても、「考えてみたけど、自分には何もいいところがない」と考えてしまうあなた。

そもそも、価値があるか、いいところがあるか、というのは、考え方次第なのです。どんなに優れた、イチローやヒカキンや、素晴らしい人でも、インターネットでは必ず悪口を言われています。悪口を言っている人にとっては、価値がない、と思われているようです。

その人に価値があると考えるか、価値がないと考えるか。これはどちらもできます。自分には価値がないと考えることは、気持ちも落ち込んでしまい、無意味なことです。ですので、自分には価値がある、と考えてしまいましょう。

 

言い換えの勧め

 

ちなみに、人には必ずいいところがあります。悪いところをいいところに言い換えることができるのです。これをリフレーミング(reframing:re(再び)frame(型を作る))と言います。難しそうですが、とても簡単です。

例えば、「自分は気が弱い」ところが、悪いところと考えているとしましょう。ですが、「気が弱い」というのは言い換えると、「慎重」であったり、「自分より周りを大切にする」といった、いいところになります。これがリフレーミングです。

http://urx3.nu/Fo0C

http://urx3.nu/Fo0D

この辺りのリフレーミング辞典を参考に、悪いところをいいところに言い換えて書き出してみてください。

 

久しぶりになりましたが、今回はこの辺で終わりにします。

いいところを書き出して、それを毎日何回も見返してください。いじめを解決する第一歩です。

 

ブログの感想・ご意見や、いじめの相談もお待ちしてます。

LINE公式IDは、@wne5376n です。こちらへの連絡も待ってます。

今日は体調不良のため更新を休みます。すみません。

 

今回は、いじめられっ子ができる、いじめをなくす、たった一つの方法について話します。

いじめをなくす方法について、具体的に考えたことのある人はあまり多くないでしょう。また、考えようとしても、具体的な方法を思いつく人は、ほとんどいないのでは……?

 

見つからないいじめ解決方法

 

2017年8月2日現在、「いじめ 解決 方法」とgoogleで検索すると、トップ3の記事はこれらでした。

 

http://ur0.pw/F5jT 「スウェーデンの『いじめをなくす方法』をもっと早く知りたかった。」

 

http://mamoro.org/solution 「いじめを子供から守ろうネットワーク」

 

http://ur0.pw/F5pj 「いじめ撃退法(子ども編)」

 

これらのサイトには、いろんなことが書いてあります。大人に向けた、いじめをなくす方法として「子どもと話してみる」であったり。また、子どもに向けたいじめの解決方法として、「いじめを訴えよう」であったり。

 

……読んでみて僕は思います。「この記事があることで、いじめられっ子は、いじめが解決できるの?」

 

確かに、記事の中には正しいことが書いてあることが多いです。

ですが、例えば、大人に向けたいじめを解決する方法が書いてあっても、いじめられっ子がそれを読んでも意味はありません。もちろん大人に向けた情報も大事ですが。

またいじめられっ子に向けられた、いじめの解決方法が書いてあることもあります。でも、それを読んで、いじめられっ子は本当に動けるの? 疑問に思います。

 

いじめを解決する方法を示すものは、今の社会で簡単には見つからないんです。

 

すると、いじめられっ子は、「いじめは、解決できないんだ」「いじめを受けるのは、自分に価値がないからだ」と考えてしまいます。

 

僕がいじめられっ子で、偶然、上にある記事を読んでも、動けないと思います。そして、動けない自分を責めて、より落ち込んでしまいます。

 

 

 

僕も、小学校、中学校といじめを受けていました。小学校の時には、こたつの中に一人で入らされ、四隅から蹴られたこともあります。友達グループの一人に理由もわからず嫌われて、殴られ、次の日から数ヶ月もグループ全員に無視され続けたこともありました。当時の卒業アルバムを今の友人に見せると、「別人みたいな顔。今のイメージからは想像できないほど暗い顔。」と言われたりします。

いじめを受けていた時期、自分はどうしようもない無力な人間だ、と感じながら過ごしていました。

 

ですが、今はいじめを受けていません。幸せに生きています。それはなぜか?いじめが、解決したからです。

いじめを解決する方法は、あるんです。

 

いじめを解決する方法は、ある。

 

本当か、と思うかもしれません。「みんなから嫌われている、誰からも相手にされない自分は、何もできない。いじめを解決することなんで、きっとできない。」

 

そんなことはありません。いじめに苦しんでいるあなたに、今、こう伝えたい。

「僕は、あなたは、皆幸せになることができる。幸せになりたい、と望むことができる。そして、望むことは何でもできる。もちろん、いじめを解決することもできる。」 

 

 

僕は、いじめを、受ける側もする側も経験してきました。いじめをしたことは10年経った今も後悔しています。そして、僕の人生はいじめを受けた側の方が圧倒的に多かった。

 

そんな僕だから、経験をもとに考えに考えて、いじめを解決する方法を話せるようになったのです。

 

「いじめの解決方法3段階」! その中身はコレだ

 

その内容が、「いじめの解決方法3段階」です。

 

その3つは、①心を変える②相談する③態度を変えるです。

 

 

心を変えるとは、①いじめから脱したい、そのためには努力をすることを決心する、②自分はいじめから脱することができると確信する(自分は価値のある人間だと確信する)、③自分の人生は自己責任であることを自覚することです。

 

 

相談するとは、心を変えたい、と思った時に、信頼できる人に自分の心の思いと、自分のした行動を、毎日話すことです。

 

 

態度を変えるとは、行動を変えること、自分のコミュニティ(居場所)を見つけることです。

 

 

この「①心を変える②相談する③態度を変える」といういじめの解決方法3段階を学び、行動すれば、必ずいじめを解決できると断言します。

 

 

この3段階は、いじめを解決するだけでなく、あなたが幸せに生きるための力強い道具にもなります。

 

実は、世の中で、幸せに生きている人の多くは、無意識のうちにこの「3段階」を利用して、いじめ以外の問題も解決しています。

 

僕が考えてまとめたこの3段階を、このブログで書いていきます。あなたは、ぜひ、この3段階が完成していくのを見ていってください。

 

これから、「いじめの解決方法3段階」の内容や、いじめとは何か、いじめの原因は何かをより深く書いていきます。8月までに一通り書く予定です。そして、何度も何度も、その内容を繰り返し書くことで、いじめ解決方法3段階をより完璧なものにしていきます。

 

いじめによる自殺がなくなった世界

 

これから、「いじめの解決方法3段階」の内容や、いじめとは何か、いじめの原因は何かをより深く書いていきます。8月までに一通り書く予定です。そして、何度も何度も、その内容を繰り返し書くことで、いじめ解決方法3段階をより完璧なものにしていきます。

 

また、このブログでは、「いじめがなくなる方法」を書いています。

このブログの内容が世間一般の常識になることはそう遠くのことではありません。数年後には、すべての小学校、中学校で教えられる内容になります。

いわばここは、いじめについての、未来の常識が書かれたブログ。未来からのメッセージです。

何度でも言います。

あなたはいじめを解決でき、幸せになれます。

このブログでは、「DaiKiが毎日、「いじめ」をテーマにした、全てのいじめに関わっている人へ役立つ内容を、文章形式で上げていきます。:

 

自己紹介・ブログ開設への思い

 

僕、DaiKiは、現在、ある大学院生の24歳です。大学院生、ということから、

「なるほど、大学院での学びの内容を活かしたブログなんだな」と思うかもしれません。

ですが、僕の大学院でのの専攻(専門に学んでいること)は、教育とは全く関係しません。実際のところ、僕は法律を学んでいます。刑事系(刑法:罪と罰を定める法律など)に強く興味を持っています。

 

そうだとすると、

「なぜ、いじめのブログ?」と思うかもしれませんね。

 

 

このブログを開設した、理由は後ほど詳しく述べますが、簡単に言うと、

 

今の世の中にはいじめを受けた全ての人が、心の支えになる場所・必要な知識を提供するコンテンツが存在しないことに対する不満・憤り」

 

を感じていることが、僕がこのブログを開設する理由です。

 

そして、このブログでは、「いじめ」をテーマした、全てのいじめに関わっている人へ役立つ内容を書いていきます。

いじめに関わっている人は、たくさんの立場の方がいますよね。いじめを受けている本人(このブログでは、わかりやすさを重視して「いじめられっ子」と呼びます)、いじめを見ているクラスメイト。いじめをしている人。いじめっ子・いじめられっ子の家族やクラスの担任。

 

 

そういった方々に対して、ためになる知識を描いてある本やサイトは、実は探せばあります。

ですが、①おかしな内容のことが書いてあったり、②専門的すぎたり、③読んでもどうすればいいかわからない内容であったりすることがほとんどです。また、いじめに関わる全ての人へ、お勧めできる本やサイトは。残念ながら今のところありません。

そこで、このブログは、いじめに関わる全ての人にとって役に立つ初めてのコンテンツ(内容)として、情報を書いていきます。

 

DaiKiの活動方法

 

このブログでは、当然ですが文章形式で情報を書いていきます。

一方で、動画形式でも、たくさんに活動をしていきます。

使い分けとして、文章の方は、より知識がまとまりやすい方法で書いていきます。

一方で動画の方では、より見やすく、小学生からでもとっかかりやすい内容を上げていきます。

動画はブログに貼り付けていきます。ぜひそちらも見てください。

 

読んでくれる方々へ

 

僕は、これから「いじめ」という、とても「気をつかう」内容に対し、じっくり取り組んで行くことになります。そうすると、

「いじめについてよくわからん奴が話しているけれど、信用ならないな」と感じる人もいると思います。

特に、いじめと深く関わったことのある方ほど、「いじめ」というテーマについて話す人に対し、不信感を抱くのではないでしょうか。

 

いじめについて話す人に不信感を抱くこと、それは僕も同じです。

 

ですので、これから、僕の考えるいじめに関する役立つ情報について、

 

お願いします。コメントを書いてください。

 

 

感想や意見をお願いします。読んで気分が悪くなったとか、内容がおかしいんじゃないかとか。ネガティブな内容も書いてください。

ここに書く内容は、僕がいろいろなことを見聞きして、考えてまとめたものです。はじめから完璧な内容にはなりえません。

 

いじめに関する役立つ情報を、より良いものにしていくために、読んでくださる方々のコメントが欲しいです。コメントを読んで、より、信頼のできるブログ、信頼のできる内容にしていきます。

 

また、信頼のできるブログにするため、DaiKiの考えや、今までの生き方を、良いことも悪いこともすべてひっくるめて晒していきます(悪いことの方が多いですが……)。こんな人が書いているんだなぁと知ってもらい、信頼してもらいたいからです。

 

終わりに

 

自分一人で「2022年までにいじめによる自殺者0人」は達成できません。皆さんのコメントが必要です。ぜひ、協力してください。

ブログも、最初のうちは見にくいですが、見やすく工夫します。ぜひ見続けてください。

以上ブログ紹介でした!