#11 「ありがとう」は祈りの言葉 を読んで

 

サブタイトルが 隠岐の離島に生きる幸齢者たち である。

 

隠岐の離島、地夫里島で看取りの家「なごみの里」を作って活動している看取り士の柴田久美子さんの話です。

地夫里島の大自然と幸齢者との交流の中でいのちの尊さを語った、心に響く話です。

 

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私はお年寄りのことを「高齢者」ではなく。「幸齢者」と書くことにしている。

それはお年寄りを看取るたびに、彼らは私に計り知れないほどの幸せを授けてくれるからである。

 

地夫里島に今も残る「最後は自宅で」という島民の思い。

 

しかし、本土では、島根県ですら90パーセントを超える人々が病院で死を迎えるという。

 

家族に反対を押し切り、自らの意思で病院に入院しない幸齢者たち。そんな島民の生きざまに私は心を打たれるのだ。

 

大自然は知らず知らずのうちに心を洗う。きっと彼らの心は日々の暮らしの中で磨かれていくのだろう。その雄々しさに言葉もない。人生の中で何が最も大切か。それをどんなときも見失わない生き方が、この島には確かにあった。

 

目に見える物だけに心を奪られることなく、先人たちのいのちに思いをはせるとき、私たちはすべてのものが愛に包まていると感じ取れるかもしれない。

人類が誕生した時から数えて、どれだけ多くのいのちの上に、この身があるのか。奇跡としか言いようがない今を生きながら、それに気づかないとしたら、なんとももったいない。この世に生がある限り、私は幸齢者にいのちがけで仕え、幸齢者の尊さを、そして、死の尊さを語りたいと願ってやまない。

 

いのちの本当の姿を見つめながら、「今、生きていること、生かされていることに感謝する」ことで私は愛に包まれ、迷うも消えていく。

 

「ありがとう」。この言葉には不思議な力があるような気がする。それまで心の中に抱いていた憎しみや悲しみを消し去り、すべてを許すような力が----。だから、逝く人々は皆、眩しいほど安らかな笑みを浮かべ、次の世界へ旅立っていくのかもしれない。私もまた逝く人々に「ありがとう」という言葉を唱える。お互いに感謝の思いで別れを告げるのだ。なんて素晴らしいことか。「ありがとう」こそ、私は最高の祈りの言葉だと信じている。

 

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この本に出会えたことに「ありがとう」と言いたい。

 

 

「ありがとう」ございました。