こんばんわ!

はじめまして。うちは、色んな記憶の整理をしたり、ゆるーく人格たちをまとめたりする役割のひとです☺️

ブログ始めたって知って、書きたくなったから書いてみますね。


さてさて、皆さんは、「病気に甘えてる」って言葉を聞いたことや、思ったこと、自分に対しての叱責として使ったことがありますでしょうか。

多分、そのどれかはあるんじゃないかなって思います。


うちらは、結構な頻度で、言われますね(笑)。

特に匿名でSNSとかで言われます。逆にリアルの知り合いとかから言われたことは無いです。

まあ、こんだけネットが普及し尽くした現代だから、しょうがない面もありますね。

きっと何かしら、悪印象を与えてしまった結果なんだなと、うちは割り切ることにしています。


ところで、「病気に甘えてる」って、具体的にはどういう状態を指すのか、自分なりに考えてみました。

多分、専門用語を借りれば、「疾病利得を享受するために、病気を言い訳にしている」、あるいは「疾病利得を得続けるために、病気を治そうとしたり、その他の努力を意識的/無意識的にしていない」状態なんじゃなかろうか、と。


疾病利得というのは、病気であるがゆえに与えられる利益のことです。

例えば、うちらは障がい者手帳をもっているので、美術館や映画が安くなります。

後、精神的なケアをカウンセラーさんがしてくれたり、日常生活で出来ないことがあれば、訪問看護さんに相談したりもできます。

でもやっぱり1番大きいのは、社会的弱者として、守られる立場になることでしょうね。


全体的に、障がいがあるゆえに、ハードルが下がるんです。まあ、それって結局本質的には、「病気ならきっと○○できないよね」っていう偏見だと思うんですけどね。

ちなみに、疾病利得自体は、どんな病気にも発生するって言われているらしいです。

幼いころに風邪をひいて、学校休んで、親がおかゆ作ってくれたりした……みたいのが、なんとなく分かりやすい例えかもしれません。


でもうちらは、病気を理由に何かから逃げたことは、人生で1度もありません。

人より何倍も飲み込みが遅いから、人より何倍も努力することで何とかカバーしてきました。

例えば、うちらは発達障害の影響で、教科書や参考書などの「印刷された活字」を記憶することができません。読書など、覚えなくていい場合には、活字を理解することは可能です。でもそれを脳内にとどめておくことは、生まれつき出来なかったです。


でも受験やテストでは、記憶ってめっちゃ大事じゃないですか。だから教科書を、まるまる自分で手書きでノートに写していました。世界史が1番大変でしたね。なんせ世界の歴史だから、量が多い😂

いやー、人類ってこんな長い歴史じゃなくて良いのに!とかクズみたいなこと思っちゃいましたよ。

そんな感じで試行錯誤しながら、なんとかベストを尽くしてきました。


現役時代は頑張ったけど全落ちして、1年浪人してなんとか第1志望に入れました。

1日15時間くらいは勉強してましたね。

でも受験はぶっちゃけ根性論では片せないです。試験は水ものなので、その時のコンディションや、何が出るかによって結果は変わりますし。あとは浪人が許される環境なのかによって、進路は変わりますよね。そうした点においては、親に心底感謝してます。大学にはどうしても行きたかったので。


学生時代っていう大きなくくりで見れば、小学生で犯罪被害にあっても学校は休みませんでしたし、中学でイジメられても休みませんでした。(まあ、親が休ませてくれなかったのがデカいです)。

1歳半〜大学卒業までは、ずっと勉学に励んでいました。


かといってそれが偉いのか、推奨されるべきことか、と言われれば、それは違います。

たまたま、うちらは努力せざるを得ない状況に置かれていたというだけの話です。勉強したくないと言ったら包丁を向けて殺すと脅されたり、テストの点が悪いと掃除機で痣になるまで殴ってきたり……まあ、「やるしかない」をやっただけなんです。

やるしか、生きる道がないから。よく「死ぬ気でやる」って言いますが、まさにそれです(笑)。

生きるための通過儀礼が、うちらにとっては勉強だったってだけの話ですね。


ずっとずっと走り続けて、怪我をしても走らざるを得なくて、ようやく卒業というゴールテープをきったら、疲れ果ててしまいました。

今は自分のペースで歩くように心がけています。無理をすることが必ずしも美徳ではないし、無理をして病状が悪化したら元も子もありません。


多分ですが、この「自分のペースで歩く」ことに対して、「病気に甘えてる」という意見が出てくるんじゃないかなと推測します。

今の社会で、自分のペースで頑張っていくことを許されているのは、たしかに希少だし、有り難いことですよね。

でも本来なら、障害や健常に関わらず、みんながある程度の「無理をしすぎない」が出来る社会だと良いのになあとしみじみ思います。


誰しもが、何かに頼ったり、甘えたりするほうが多分健康的です。それがままならないから、自分より楽そうにしてる、だらけてみえる、そういう人を攻撃してしまうのだと思います。

その人がなぜそうなってしまったか、そして本当に楽でだらけているのか、それはきっと誰にも分からないんです。


「病気に甘えてる」という言葉には、見えないSOSが隠れていると思います。社会自体が病んでいるんです。病気や障害のグレーゾーンで、毎日朝から晩まで頑張っている人達もたくさんいます。本当に、大変だと思います。障害をクローズにして働いてる方もたくさんいます。偉いし、すごい。うちらのアルバイトや文筆業は、そこそこオープンでやっているので、クローズの方はすごく神経を張り巡らせてお仕事されているんだろうな、と思います。


病気じゃなくても、パワハラやブラック気質の企業で働いていればどんどん摩耗してしまいます。限界をこえて、働いている人がたくさんいる。早朝の通勤ラッシュや、深夜までついているオフィスビルの灯りが、それを物語っています。


状況がそれを許さなくても、できる限りみんな自分を労わって、自分自身を1人の人間として尊重して欲しいなって思ってしまいます。もちろん、個人を尊重しすぎると社会経済が回らなくなるのは理解しています。

それでも、ほんのちょっとでいいから、一人一人が自分自身に優しくしてくれたら嬉しいです。パソコンだって、ずっと酷使したら熱をもってフリーズしてしまいます。人間なら尚更です。


なんか、偉そうに聞こえてしまったら申し訳ないです。

うちは、自分たちに対してだけじゃなく、ネットの誹謗中傷を見る度に、やるせなくなります。

そうやって憂さ晴らしをする人がいる一方で、誰にも不満や苦しみを伝えられずに、そっとこの世から居なくなってしまう人たちがいることを、知っているからです。


みんなが自分にも他人にも優しくできる世界が、いつか来たらいいなあと思います。

そのために、まずは自分を変えていきたいです。やっぱり経験上、根性論で自分を虐めてしまう時はまだまだあるので。


ゆっくり頑張っていきます!

読んでくれた方、ありがとうございました。長文・乱文ですみません。

では、またいつか!✨


まとめ役人格