こんばんは。主人格です。


急に暑くなり、身体に熱がこもっている感じがします。私が1番好きな季節は春なんですけど、本当に今年は春が一瞬でどこかへ行ってしまって、もうすっかり夏ですね。

唯一良かったのは、お花見に行けたことです。桜を見ないと、春の実感がなかなか湧かないので…

春風を頬で感じながら見上げる桜は、なんて形容したらいいか分からなくなるくらい、美しかったのを覚えています。




今日は、絵本作家を目指している私が、幼いころに大嫌いだった絵本についてお話します。

「でんでんむしのかなしみ」という、新美南吉さんの絵本です。この絵本は、皇后さまが感銘を受けられたということで、さらに有名になりました。

新美南吉さんといえば、「ごんぎつね」や、「手ぶくろを買いに」などなど、有名な名作をうみだしたすごい作家さんです。
実際、「でんでんむしのかなしみ」もかなりの傑作で、大人になった今でこそ素晴らしさが分かるようになりました。

でも、幼い私には何だか理不尽にしか思えなかったのです。

あるところに、でんでんむしがいて、彼は自分の殻のなかに、かなしみがつまっている事に気付きます。そしてもう生きてはいけないくらい、絶望してしまいます。
それを友達のでんでんむしに伝えて嘆いていると、その相手の殻にもかなしみはつまっていたのです。
さらに別の友達に話を聞いても、また相手にはかなしみがいっぱいつまっています。
とうとう彼は、みんなにはそれぞれにかなしみがつまっているのだ、と気付き、かなしみはこらえて生きていかなければならない、と決意して、嘆くのをやめたのでした。

私はこれを読んだとき、苦しくて涙が止まりませんでした。

当時、小学1年生だった私は、周りの友達が羨ましくて仕方ありませんでした。私の母はややヒステリックな人で、勉強が思うように出来なかったり、周りの子ができている事が上手く出来ないと、暴言を吐かれたり、手をあげられたりを、日常的にされていました。

また、物心ついた時から「東大にいきなさい」と厳しく全てを管理され、自分の将来の夢すらもつことが許されなかったのです。1歳半からずっと塾に通いつめ、家でも監視されながら勉強ばかりさせられて、子どもらしく過ごすことが出来ませんでした。

4歳のころには、子どもなりに意を決して、家出をこころみる程でした。それくらい苦しく、愛されたいと思っているのに、その欲求は満たされていません。しかし、家出する!と宣言したとき、「あんたみたいな出来の悪い子は要らない。どっか行って死んでしまえ」と言われ、泣きながら許しを乞うことしか出来なかったのです。

周りのお母さんたちは、私から見ると、わが子を愛しているように見えました。
幼稚園の七夕で、みんなそれぞれなりたい職業を書いたとき、「おはなやさん」「ケーキやさん」「およめさん」、はたまた「ウルトラマン」などと書かれた短冊を、周りのお母さんたちは微笑ましく見守り、わが子を抱きしめていました。

一方で私は「ようちえんの先生」と書いたのですが、その短冊は目の前で母が破いてゴミにしてしまいました。
「あなたは東大に行って外交官になるの。そんな低俗な仕事を書くんじゃない」。
そう怒られて、泣きながら「がいこうかん」と書き直したのを今でも覚えています。

そんな日々を送っていた私から見れば、周りの子は幸せに見え、「かなしみ」なんてつまっているようには見えませんでした。ましてや、「もう生きてはいけないくらいのかなしみ」なんて、以てのほかです。

そうした感覚は、結局20歳くらいまで続きました。その間も私は家庭環境だけでなく、犯罪に巻き込まれたり、イジメにあったり、精神疾患になったりして、益々自分は不幸だ、生きていけない、周りが羨ましくてにくい、という気持ちがつのっていたのです。

しかし、大人になってくると、視界は広くなります。
幸せそうに見えていた子も、私の知らないところでそれぞれの「かなしみ」を背負っていました。
例えばおじいちゃんの介護を子ども時代から手伝っていた子や、早くにお母さんを亡くしてしまった子、両親が不仲でいつも板挟みにあったり、離婚してしまった子、貧困な家庭で中学卒業と同時に毎日過酷な労働をしている子…たくさんの、「かなしみ」が、人の数だけあったのです。

それに気付いたのは、きっとたくさんの人と話して、自分のかなしみや苦しみを話したり、相手のかなしみや苦しみを聴いたりしたからかなって思います。「でんでんむし」と同じように、色んな友人に泣き言をいって、相手の辛さに触れ、それを繰り返すうちに「ああ、自分だけが不幸ではないんだ」と気付かされたのです。
みんな苦しくて、辛くて、それを飲み込んで生きているんだ、と。

今では、「でんでんむしのかなしみ」は、私が大好きな、そして自戒にしている絵本になりました。
自分が辛くていっぱいいっぱいの時、周りが羨ましく思えてしまう…そんなときに、思い出すようにしています。

それでもまだ、私は未熟な人間で、かなしみに押しつぶされて自死を考えてしまう事は多々あります。もしかしたら精神疾患の影響もあるかもしれません。
でも、やっぱり生きているうちは生きていくように、幸せなことを見つけながら、ゆっくり歩いて行けたらな、と思っています。

でんでんむしと同じくらい、ゆっくりゆっくり歩いて、天寿を全うするのが、今の目標です。