2023年01月 研究記事5
キリストの愛が私たちを駆り立てる
2節
イエスが苦しんで死んだことについて読むと、悲しい気持ちになります。でも、イエスが地上で教えたことや行ったことについて考えると、温かい気持ちになります。
生きている我が子が排斥されたら完全無視しても心痛まないような信者たちが、会った事もないイエスのあれこれに思いを馳せられるのか不思議でならない皆さん、
&昨日の記念式お疲れ様でございます。
毎回秀逸なツッコミをされるみそかさんが書いておられますけど
適用が意味不明な事だらけでした。
5節
私たちもエホバとイエスがしてくれたことへの感謝を表すために、自分の時間やエネルギーやお金を使ってエホバへの奉仕を行うことができます。例えば、崇拝で使う建物の建設やメンテナンスに参加できます。
感謝を心の中で思い続けて、それにふさわしい生活を送るとかなら全然分かりますよ。
でもなんでお金を使って奉仕すんの?
エホバって一番お金要らないんじゃないの?
そんな事が感謝になる時点で、宗教の意義とは?です。
王国会館を維持するために協力することと、感謝じゃ全く別です。
こんな事を言いいながら真理だなんて茶番甚だしい。
9節
会衆の誰かと関係がうまくいっていないように感じるなら、記念式の前に自分の方から仲直りできるでしょうか。そうするなら、エホバとイエスへの愛を表すことができます。
なんでやねん。
会衆の誰かと関係が上手くいってないように感じたからと言って
記念式の前に仲直りしなければいけない理由が不明です。
しかもそれが愛を表すって意味が分かりません。
普通に良い関係を築けるようある程度努力することは普通の事で
愛を示すためにすべきことじゃありません。
あーちんど
14節
学校や職場で、自分がエホバの証人だということを知らせるのが怖いと感じるかもしれません。あるいは、人からどう思われるかを気にして、伝道者になることやバプテスマを受けることをためらうかもしれません。
完全に勘違いしてますね。
違いますよ、知られるのが怖いんじゃなくて恥ずかしいんですよ。
ここまでカルト性の明らかな宗教を真理DEATHって人に言うのが。
まぁだから言わないですけどね。
それにためらってんじゃなくて、そもそも辞める方法が排斥しかないような宗教に入信しようと考えすらしないですよ。
ていうかね、怖いと感じたりためらったりするような宗教を熱心にやらせんなと思うし、こういう話題が出てくること自体真理を標ぼうしているのに恥ずかしいことですよ。
人から後ろ指を指される原因が己らの蒔いた種が満開になってるだけなのに、それを人への恐れで片づける所がキングオブカルトなんです!
こんなためらうような気持ちの人がイエスの愛なんて迫ってくる訳ねーだろが!
17節
私たちは、4月4日火曜日の記念式に出席するのをとても楽しみにしています。記念式の時期に、イエスの生涯や死、またエホバとイエスが私たちのためにしてくださったことについて考えるのは良いことです。
毎回言ってるけどさ、今法事をするより真摯に向き合うべき問題は山積みだと思いますよ。
二世が声をあげていることは無視してみたり、背教だと言ってみたり、フェイクニュースだと完全に都合よく解釈して、振り返ることすらしないのに、古代のイエスの死と、見えない存在について考えて楽しみにする感覚が理解できません。
しかも人の法事が楽しいって非常識ですらありますけどね。
法事なのに完全に意味を取り違えた信者が着飾ってくるんでしょうね。別に好きにしたら良いけど、これらのどこにイエスの愛が迫るのを感じろと言うのでしょうか。
ああ存在不明の神さま
あなたの導きたもう選民たちは
現状は無視し法事に必死です
アーメンど