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ありがとうございます。

母と私🤱🏻
 
東日本大震災から12年。

大切な人や家族を失った方々の
悲しみは計り知ることができません。

昨年出会った心に染みる言葉。
 
どうしようもないほどの胸の痛みは
《相手を思ってきた深さに比例している》
ということ。

愛してきた、
大切に想ってきたと言うことの証。

最愛の人と出会い、
幸せな時間を過ごせたということ。

いつかは分からないけれど
別れの時はやってくる。
その時まで
『今の自分と大切な人とを、
一瞬一瞬を、大事に大事に、誠実に
生きること』
 
母がくれたこの言葉を胸に、
自分や家族を守るための備えは万全にして、
安心も心配もせず、
誠心誠意、日々を生きていこうと思います。

 そして、

東日本大震災については
毎年このblogに書いていいますが、
多くの方が見てくださるようになった
今年もまた書かせていただきたいと思います。
  
私の実家は岩手県の内陸部なのですが、
当時は母が単身赴任で宮古市の下に位置する
山田町という海沿いの町に暮らしていて
被災しました。
 
3月11日から3日間、
母とは連絡が取れなかったため、
ニュースで死亡者の欄に母の名前が無いかずっと見ていました。
 
どうにかして母の安否が知りたかった。
 
出来る限りのことをしました。
 
半ば諦めかけていた3日後、
弟から、「姉貴!母さん生きてた!」
という連絡が来て、
それから間もなく母と電話で話せた時のこと…
言葉に出来ないくらいの感謝と安堵の気持ちを、一生忘れることは出来ないと思います。
 
幸いなことに職場が高台にあった為
命は助かりましたが、
町は全壊し、住んでいた家も無くなりました。
 
 
震災から半年経った山田町の様子を母に聞いた時のことと、
震災から三年経った時の状況を聞いた時のことをblogに書いているのですが、
やはり報道されないような、その土地の人にしかわからないことが沢山ありますね…
私だけでは無く出来るだけ多くの方に知って欲しいと思ったので
過去記事に書きました。
 

 
 
以前、母が話してくれたことで
とても胸に響いたこと
 
『東日本大震災は規模が大きくて、
犠牲者も大きくて、
信じられないような出来事だったから、
特別のこととして、今もこうして支援も厚いけど、

個人レベルで考えた時に、
同じように、不慮の災害や事故で、
大切なものを失った人々は沢山いるし、
この先、自分がその立場にならない保障は無い。

そうした時に、やはり、
まず、自分や身近な人を守ってください。
 1日1日を大切に。
備えを万全に。

東日本大震災を特化しないで。と思うのです。
東日本大震災で被災した人と同じように、
同じような境遇の人達にも支援をしてください。
と思うのです。
 
 
思ったんだけど、
あの時、世界中の多くの人達が、
被害を受けた人々のもとに心を馳せたように、
節目節目に、リセットされて、
多くの人々が、他の人々の為に、
心を馳せて繋がるということは、
とても良いことだと思いました。

あとはね、いつも思うことなんだけど、
誰も、他人事じゃなしに、
自分が当事者になった時のことを、
本気で考えてください。』
 
そして、
以前のブログにも書いた母の言葉
 
『今の自分を、

一瞬一瞬を、大事に大事に、誠実に

生きること』
 
この言葉を胸に
自分や家族を守るための備えは万全にして、
安心も心配もせず、
誠心誠意、日々を生きていこうと思います。

亡くなられた方々のご冥福を
心からお祈りします。
 
そして、愛する人達と共に生きる
愛に溢れた毎日を過ごせることに
心から感謝します。


 
 

♡PINKY♡
 



 
 
 
 
 
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