例の盗作騒動で、

先方の弁護士からお世話になっているT編集長の方へ、

2度目の回答書が送られてきた。

 

その回答書を添付ファイルで、

T編集長が僕のところへメールしてくれたんだけど、

読むともう笑っちゃうの。

 

最初の回答書の時は、

腸が煮えくり返るほど激怒した僕だったけど、

今回の回答書には声を出して笑っちゃったね。

 

もうガキの揚げ足取りの喧嘩状態なんだよ。

 

ほらよくあるじゃん。

 

「それいつ言った? 何年何月何日何時何分何秒?」

 

みたいなのが。

 

あれとほとんど一緒でさ、

弁護士って幼稚なんだなって、

哀れになっちゃってね。

 

そもそもさ、

某出版社がさ、

僕らの古い原稿を無断流用していることに気づいたT編集長がさ、

クレームの電話を入れた時に、

 

「すんませ〜ん。もうしないんで許してね」

 

って謝罪して、

セカンド使用料を支払えば、

とっとと片付いていた話なんだよ。

 

ところが対応した編集長だか、

経営者だかが、

謝罪なしで弁護士同士で話し合えみたいなことを言っちゃうから、

マヌケなことになってるわけでね。

 

医者とか人間の命を預かるような仕事なら、

完璧に結果を出すって重要なことだろうけど、

ほとんどの人間の営みって、

相手を思いやる感情みたいなものを、

どう気遣うかで、

ほぼ片がつく話だと思うんだよ。

 

大岡越前の大岡裁きの方が、

絶対に、

今の白黒ハッキリみたいな法律より、

ずっと庶民を幸福にする力があると思うもん。

 

 

なんか最近の風潮って、

どんなことにも白黒つけようとして、

やたらと論破して、

相手より優位に立とうとしたがるじゃん。

 

謝らせるんだけど、

絶対に謝罪しないみたいな感じでさ。

 

それも悪いわけじゃないんだろうけど、

そういう論客もどきが多いから、

まともな政治家が育たなかったりすると思うんだ。

 

歴史ドキュメンタリー番組とか観ていると、

交渉上手な人って、

絶対に10対0を目指さないよね。

 

6対4とか、

下手すりゃ5.1対4.9ぐらいの勝敗で、

お互いが納得できる着地点を見つけようとするよね。

 

結局そこから考えると、

交渉とかいうのは、

古い言葉だけどウィンウィンな関係になるように、

相手の感情に気配りすることなんじゃないのかね?

 

そこでさ、

アマチュアボクシング界の例の山根明会長だけどさ、

あの人はおかしいよな。

 

もうゲラッゲラ笑っちゃう。

 

 

事実は知らんけど、

今やマスコミだけではなく、

多くの国民に反感を抱かせているって言うのに、

いまだに強面を通そうとしているじゃん。

 

山根会長の気持ちとしては、

 

「オレはやましいことなんぞ何もない。だから普段と同じ平常心で」

 

ってところだろうし、

その気持ちはわからん話じゃない。

 

でも、

これだけ反感を買っちゃったらさ、

そこを逆手に取って、

一方的にマスコミや国民からフルボッコにされている、

かわいそうなジジイって雰囲気を醸し出す演出でもすればいいのにね。

 

つい最近もポリープ除去手術で入院していたらしいから、

それを利用して、

 

「どうも術後の経過が良くなくって……」

 

なんて感じで、

車椅子に乗って点滴と一緒に記者会見に応じたりしたら、

 

「だいぶ弱ってるみてえだし、あんまりいじめるのも良くないよ」

 

みたいな感情になっちゃう人も、

結構いるはずなんだよね。

 

ところが、

相変わらず新加勢大周ならぬ、

新梶原一騎先生みたいなんだもんね。

 

 

だいたいさ、

ニュースなんか読むとさ、

とてもじゃないけど、

アマチュア・ボクシングに精通しているとは思えないような記者が、

文章書いたりしているから、

演出次第ではひっくり返りそうなんだけどね、

この一件って。

 

なぜアマチュア・ボクシングに精通していない記者が書いているかって思ったのか、

例を挙げると、

疑惑の奈良判定とかさ。

 

僕自身その試合を観ていないから、

語る資格はないのかもしれないけど、

一般論として、

ダウンを2回奪ったのに、

ダウンした方が判定で勝っちゃったみたいな記事を読んで言っているんだけど、

アマチュア・ボクシングって、

プロと違って、

ダウン・ポイントはそんなに露骨に高くないんだよ。

 

プロのボクシングはどれだけダメージを与えたかで、

勝敗を決めるんだけど、

アマチュア・ボクシングは、

どれだけ正確にパンチを当てたかってところで、

勝敗を分けるんだよ。

 

だから、

ヘッドギアなんかを装着して、

パンチが効かないような、

大きなグローブで試合をするわけ。

 

 

アメリカ・プロ・ボクシングの多くのエリート選手と同じく、

あのマイク・タイソンも、

オリンピックで金メダルを取って、

華々しくプロ転向という計画があったんだよ。

 

でもさ、

ロス五輪の予選決勝で、

相手選手を2度ダウンさせたんだけど、

判定でタイソンは負けちゃったの。

 

その時の映像は、

おそらくYouTubeなんかで観られると思うけど、

判定で相手の手が上がった時、

タイソンは不満げにしていたんだけど、

アマチュア・ボクシングってそういうものなんだよ。

 

そこでタイソンのスタッフは、

 

「奴はプロ向きだ。アマには向いていない」

 

ってんで、

急遽計画を変更して、

プロに転向させてから、

あの快進撃だったわけよ。

 

 

もちろん、

試合を観ると、

 

「その判定はないだろう?」

 

ってなるのかもしれないけど、

試合を観ていない人が、

あの山根明会長の悪行の記事だけを読んで、

疑惑の判定を鵜呑みにするのは、

あんまり良くないと思うんだよね。

 

ってことは、

僕が山根会長を擁護しているかって思われるのも困るんだよね。

 

僕はただ、

この期に及んでもまだ、

強面を続ける山根会長の、

絶望的な演出術に、

どうしたもんかと異を唱えているわけだよ。

 

アメリカの法廷ドラマに、

『BULL/ブル法廷を操る男』っていうのがあるんだよ。

 

 

主人公のドクター・ブルは、

弁護士でも検事でもなく、

心理学者なんだけど、

陪審員の心を動かすためには、

あらゆる演出が必要だって言うんだよね。

 

もちろん、

被告人が無罪であると言う大きな前提は必要なんだけど、

髪型や服装なども、

裁判を有利に運ぶポイントだって信念の人なの。

 

つまり、

裁判も演出の要素が必要だってんだよ。

 

僕はその発想って、

絶対に間違っていないと思うの。

 

人が人を裁くわけじゃん。

 

ましてや陪審員なんて一般人は、

絶対に感情で善悪を決めるところがあるはずだもんね。

 

だから、

いかに国民にアピールするかってことが、

山根会長には最も必要なところなんだよ。

 

自民党と対立している時、

社会党の土井さんや、

村山富市さんなんてえのは、

 

「自衛隊は違憲だ!」

 

って声高に叫んでいたと記憶しているけどさ、

社会党がまさかの自民党と連立を組んで、

1万年に1度ぐらいの珍事で、

その社会党の村山さんが内閣総理大臣になっちゃうと、

当の村山さんが、

自衛隊のパレードに敬礼を送ってしまったわけよ。

 

あれだって、

普通に考えたら、

 

「フザケンナ、この二枚舌!」

 

ってなもんだけどさ、

村山さんのあの町工場の腕貫つけてる経理の役立たずみたいな情けない顔を見ちゃうとさ、

文句を言うとさ、

当然のことを言った方が、

いじめているような錯覚にとらわれちゃって、

 

「弱い者いじめは良くないよ」

 

って、

グッと言葉を飲んじゃうじゃん。

 

山根会長もそう言うポジションを目指さないとね。

 

そうすりゃ、

あんまり文句を言う人も出てこなかったかもね。

 

そう言う意味じゃ、

村山富市さんの方が、

山根会長なんかより、

役者がずっとずっと上だよね。

 

歌舞伎で言えば、

座頭と稲荷町ぐらいの差ってえのかな。

 

なんかマスコミ情報では、

そろそろ山根会長も辞任しそうな雰囲気だけど、

せめて少しは、

日本人の判官贔屓気質を刺激するような、

見事なセルフプロデュースを見せてほしいもんだよなあ。

 

 

BGMは左卜全とひまわりキティーズで『老人と子供のポルカ』をどうぞ。

 

 

自由ってこう言うことなのかもしれない。

 

よく見せようなんて、

下品な感情が1ミリもないもんね。