ちょっと用があったから、

近所のコンビニに入ったんだよ。

 

要件をチャッチャと済ませて、

いつものごとく雑誌売り場のチェックをしていたんだけどさ、

もうどうにかならんかな?

 

エロ本のコーナーはさ、

ババア系のエロ本ばっかなの。

 

五十路とか六十路とか、

オエーなタイトルばっかりでさ、

そこに日本の少子化問題の根本があるような気がしてきた。

 

ババアのどこがいいんだよ!

 

 

って言うか、

最近の若い連中は、

エロ本なんか買わないのかもしれないね。

 

確かに、

Xビデオみたいな無料エロサイトが、

インターネット上にはゴロゴロあるから、

賢い若いのは、

エロ本なんかに金を使うのは片腹痛くて、

臍で茶を沸かすのかもしれないね。

 

でもさ、

熟女ブームが定着した感のある現在の日本で、

若いのも、

五十路や六十路のババアに性的な魅力を感じているとしたら、

国会で真剣に議論しなきゃいかんほど、

厄介な問題だと思うよ。

 

そりゃあロリコンがブームになるより、

法律はしっかり守られるかもしれないけど、

法律を守ることだけが正しい国ではないような気がするんだよね、

僕は。

 

結果として法律は守らなきゃいかんよ。

 

でも、

バレないようなやり方で法を無視するみたいな生き方も、

時には必要なことがあるんじゃないかしら?

 

若い連中ってさ、

やり方は気持ち悪いかもしれないし、
やられた方はたまらんかもしれないけど、
広瀬すずちゃんとか、
橋本環奈ちゃんの写真を集めて、
エッチなアイコラ写真を作っていた方が、
五十路や六十路のババアに性的欲求を覚えるより、
すご〜く健康的な気がするんだよなあ。
 
 
いや、
若い連中だけじゃないよ。
 
僕たちジジイだって、
法律は守らなきゃいかんから行動に移しちゃいかんけど、
若い女の子の魅力に圧倒されながらも、
 
「家族がいるんだから、間違っちゃいかん」
 
って、
日々自分に言い聞かせている奴の方が、
信じられると言うか、
嘘がない人生っぽく感じちゃうんだよね。
 
未成年の女の子には性的な興味を持たず、
その子が成人になったその日から、
ボジョレーヌーボーを解禁するように、
性的な興味を持つって言うのが法律だけど、
たった1日で、
性的興味を芽生えさせるって、
そんなマヌケな肉体や精神じゃないだろう、
人間って?
 
僕は法律で変態は決められないって言う持論を持っている。
 
究極の選択みたいになっちゃうけど、
皆さんも想像してほしい。
 
アラフォーや、
アラフィフぐらいの男がさ、
酒を飲んでて、
ほろ酔いで女の人とよろしくやりたいような気持ちの時にさ、
同時に未成年者の浜辺美波ちゃんと、
菅井きんさんに言い寄られるとするじゃん。
 
 
冷静にどっちにもなびかないのが一番だろうけど、
その日は酒の力も手伝って、
下半身がウリャウリャしちゃってるわけだ。
 
そうなると男はだらしない。
 
で、
その時に菅井さんを取るのが、
法律としては正しい選択だろうけど、
僕は菅井さんに行っちゃう奴の方が、
どこか精神的におかしい、
つまり変態性を感じちゃうんだよ。
 
仮に僕の友人が、
僕のところにやってきて、
 
「井上、オレ、菅井きんとやっちゃってさ、大変なことになっちゃったよ〜」
 
なんて、
脂下がって告白をしたら、
 
「うん、とりあえず、あまり良くないことだから、ピャーピャー喋らない方がいいよ」
 
ってアドバイスしちゃうもん。
 
こう言う情けないことを書いちゃうと、
女の人なんかは、
 
「本当に男ってだらしなくて、しょうもない生き物ね」
 
なんて思うかもしれないけど、
女の人たちだって一緒だよ。
 
女の人がさ、
例えば家でご主人と喧嘩をしたとするじゃん。
 
まあ、
ご主人のポケットからキャバクラの姉ちゃんの名刺が出てきたみたいな感じで、
ついつい女の人もカッと頭に血が上って、
 
「あの人がキャバクラの姉ちゃんといいことしてんなら、私だって浮気の一つや二つしちゃって、あの人の鼻を明かしてやるわ!」
 
みたいな感じになったとするじゃん。
 
その時、
同時に未成年の加藤清史郎君と、
小沢昭一さんにナンパされてごらん。
 
 
もう結論まで言うのは野暮って感じだよな。
 
おそらく、
多くの人が同じ感情を持っているはずだから、
法律を盾に、
若い子に憧れる人間を嫌悪するのはおかしい話だよなあ。
 
先日も四十半ばのタレントが、
未成年者の女の子を押し倒して問題になってたけど、
確かに、
罪は罪だけど、
蛇蝎のようにあのタレントを批判するのも、
なんか行きすぎな気がしないわけでもない。
 
誰の心の中にも似たような感情はあるはずだし、
行動に出たか出てないかだけの、
ほんのちょっとの差なんだよね。
 
むしろ、
憂慮すべきは、
エロ本コーナーにババアものしかないって、
異常な現実だよ。
 
そして、
若いのがあの手のエロ本のグラビアの、
五十路や六十路のババアに欲情していたとしたら、
 
「お前らには浜辺美波ちゃんがいるじゃねえか。オレたちはそこに行きたいんだけど、行けない大人の事情を抱えて日々悶々としているんだから、そっちに真っ向勝負をしなさいよ」
 
って涙ながらに説得すべきだよなあ。
 
確かに、
若いのをジジイやババアが好きになるのは勝手なら、
ヨボヨボババアに若いのが欲情するのも、
若い奴らの勝手かもしれない。
 
だけどさ、
今若い連中だって、
飯食って寝てたら、
いずれは僕らのようなジジイになっちゃうわけじゃん。
 
そうなるとさ、
周囲の知り合いは、
ジジイやババアばっかになっちゃって、
十代の人なんか、
親戚の子供以外いなくなっちゃうんだよ。
 
その時にようやく五十路や六十路のババアに欲情しても遅くないし、
それどころか、
ババアにしか欲情しちゃいかんと言う、
住み難い場所にしかいられなくなっちゃうんだもん。
 
またえらいもんで、
ちょっと前までは、
五十路のババアなんか、
オエーの対象でしかなかったけど、
僕も五十路になっちゃうとさ、
五十路の綺麗な女の人に、
 
「ああ、この人となら苦労したいな」
 
なんてな気になれちゃうわけだ。
 
それが自然の摂理でしょう?
 
ロック界、
いやポピュラーミュージック界最強の音楽作品に、
ビーチ・ボーイズが1966年に発表した『ペット・サウンズ』って作品があるけど、
その作品は、
若いイノセントな感性が、
年齢を重ねるごとに失われていく恐怖と葛藤がテーマで、
 
「結局それが大人って言うのか」
 
って虚無的な気持ちに、
リスナーを誘い、
人間の不変の真理を教えられるんだけど、
マジで、
若い頃の感性なんか、
あっちゅう間になくなっちゃうわけだよ。
 
 
もし、
五十路や六十路のババアに欲情するのが若い感性だったとしたら、
若い連中が、
今の僕ぐらいの年齢になったら、
200歳ぐらいのババアにしか欲情できなくなるかもしれないんだぜ。
 
そんなクソババアは、
世の中に存在しないわけよ。
 
となると、
50歳前後で、
己を満たすことができなくなるってわけで、
それって絶望的な人生じゃないの?
 
とにかく、
若い奴らは、
広瀬すずちゃんとか、
橋本環奈ちゃんの写真を使って、
エッチなアイコラでも作っていなさいっつうの!
 
しっかしコンビニなんかで、
雑誌チェックなんかするもんじゃねえな。
 
まるで政治家みたいに、
日本の将来を憂いちゃいそうになるもん。
 
くわばらくわばら。
 
 
BGMはハナ肇とクレイジー・キャッツで『実年行進曲』をどうぞ。