男たるものなんて威張るつもりはない。

 

だけど最近は、

日本の将来云々を考えるより、

歴史を勉強する方が楽しいんだよね。

 

日本人の多くがさ、

三代遡ったら相当カッコ悪いことしていると思うんだ。

 

少なくとも、

僕は三代遡っちゃうと、

絶対に碌なことしてないはずだもん。

 

そうやって自分のルーツなんか調べちゃうと、

偉そうなこと言えなくなる人って多いと思うんだ。

 

そして、

情けないルーツを知ることが、

謙虚な態度に繋がると思うんだ、

僕は。

 

わざわざ三代遡らなくてもさ、

例えば乞食みたいに這いつくばって、

盗んだ芋で腹を満たしていたような奴が、

何かのきっかけで大金を掴んだと思ったら、

途端に上から目線で人を見下したりしちゃうとさ、

 

「どの口が言ってんだよ」

 

って面と向かって文句を言われないにしても、

軽蔑をされちゃうわけじゃん。

 

過去にこだわるのは良くないかもしれないけど、

過去と冷静に向き合うっていうのは、

人間が美しく生きていくためには重要だと思うんだ。

 

それにさ、

過去を見つめた方が、

未来のスタンスだって見えてくるんじゃないかな?

 

そんなこんなで、

最近久しぶりに小説を文庫本で読み始めたんだよ。

 

陳舜臣さんの『小説十八史略』って6巻からなる作品なんだけど、

やっぱ50を超えたら小説なんて読むもんじゃねえな。

 

 

もう老眼だとか霞目だとかで、

小さな字が読みにくくて、

1章分ぐらいを読むとどっと疲れちゃうのね。

 

どこぞの講談師あたりが、

陳舜臣全集みたいな語り物をやってくれたら、

それで聞くほうが全然楽チンだろうなあ。

 

本来『十八史略』って本は、

中国の子供向けの歴史本らしいんだけど、

そのタイトルを冠しながらも、

この『小説十八史略』は、

中国のそれとは一線を画す、

陳舜臣さんによる中国歴史小説と考えていいらしいんだよ。

 

本の内容にはイチイチ触れないけどさ、

これを読み始めて、

中国大陸には紀元前14世紀ぐらいから文字があったんだって、

改めて痛感しちゃったわけ。

 

現在その存在が証明されている中国最古の王朝殷。

 

その殷の国が作った甲骨文字が、

現在の漢字の字源と言われているわけじゃん。

 

 

その甲骨文字が殷の社会では、

紀元前14世紀ごろには、

すでに存在していたことが確認されているんだってさ。

 

その頃日本はっていうとさ、

もちろん文字はなかったわけじゃん。

 

だから、

日本のことが文字で登場する文献も、

日本より中国の方が先なんだもんね。

 

殷が文字を開発したであろう時代から17世紀後の、

紀元3世紀の『魏志倭人伝』で、

日本の話題、

例の邪馬台国の女王卑弥呼が文字資料として登場って有名だよね。

 

そこに書かれているいい加減な道程のおかげで、

邪馬台国の本家であるはずの日本が、

自国の文字資料がなかったばっかりに、

邪馬台国はどこだって今も右往左往している有様。

 

ブサイクな話だよ。

 

ってことは、

その時代も日本には文字らしきものは、

とりあえず現時点では確認されていないってことだよ。

 

『魏志倭人伝』がしたためられた時代から、

さらに2世紀が経過した5世紀に、

日本に漢字が伝来したと言われているわけじゃん。

 

日本に文字の文化が定着したのは、

ざっくりと乱暴に計算すると、

殷の時代から実に1900年ぐらい経過しているわけだ。

 

世紀にすると19世紀かかっているわけね。

 

さらに、

そこから万葉仮名とかがあって、

そして平仮名や片仮名へと日本の文字は変遷するわけでしょう。

 

そして、

それは全て漢字が字源になっているわけだよ。

 

言ってしまったら、

今に繋がる日本人の文字文化は、

中国からのパクリから成り立っているわけだもんね。

 

そこで、

最近の日本人の中国批判だよ。

 

よくあるのが、

『パクリ国家中国』って奴ね。

 

 

確かに、

最近の中国の文化って、

特に日本のものをパクったものが多いとは思う。

 

でも、

過去と向き合うとさ、

そんな論法で中国を批判するのが、

非常に虚しくなっちゃうんだよね。

 

もちろん、

パクリを容認しろって言っているんじゃない。

 

でもさ、

日本は中国大陸の歴史に比べると、

新興国でもあるわけじゃん。

 

新興勢力の強さって、

歴史あるところが気づかない斬新さとか、

ゲリラ性だと思うんだ。

 

その最たるものがアメリカだよね。

 

アメリカって国にもし歴史があれば、

あの国には、

映画もロックも生まれなかったと思うもん。

 

その上日本人は、

よその国が考えないような斬新なアイデアを考え出す力が優れているわけだよ。

 

となると、

中国や韓国にパクられたと言って口汚く非難するより、

パクられたものよりも斬新で、

素晴らしいものを作ることに、

怒りのパワーを向けた方が建設的に感じるんだよね。

 

僕の師であり、

1980年代の東京のポップカルチャーの前衛を走った、

イラストレーターの故・上野よしみさんは、

ポップなキャラクターを生み出す天才だったけど、

トップ・イラストレーターだったから、

よく他のイラストレーターに絵をパクられていたんだよ。

 

それは当時学生だった僕が見ても、

露骨な盗作だったんだ。

 

そこである日頭にきた僕が、

上野さんに言ったことがあるんだよ。

 

「上野さん、◯◯ってイラストレーターが上野さんそっくりな絵を描いていましたよ。あんなの訴えて痛い目見せた方がいいんじゃないですか?」

 

ってね。

 

そうしたらさ、

上野さんの答えがカッコよかったんだ。

 

「いや、裁判とかしたらさ、時間はかかるし、金はかかる。おまけにオレは一人でやってるけど、オレの絵をパクった奴がもし大きな事務所に所属するイラストレーターだったら、お金の面で圧倒的に不利だから裁判でも負けるかもしれないんだよ。そんなことしている時間があったら、新しいタッチをオレ自身が考えた方がよっぽどいいもん」

 

痺れたよね。

 

そうして、

上野さんは実際に新しい絵の世界に、

常に向かっていたからね。

 

だから、

上野さんのイラストには、

他の真似をしたイラストにはない、

強烈な魅力があったんだよね。

 

 

かくいう僕も、

ラインのグループメールで入力したネタを、

友人に自分が考えたかのごとくブログで書かれたことがある。

 

確かに軽い僕の冗談かもしれないけど、

そういうのを仕事に活かしているのが僕だから、

とんでもなく図々しい行為なんだよ。

 

千鳥の大吾さんが、

あるテレビで、

 

「オレが飲み屋で話した話をテレビで自分のネタのように喋っていやがった。それはオレから金を盗むのと一緒やからな」

 

と語ったけど、

本当にそうなんだよね。

 

 

たださ、

その時の僕は友人がしたことだし、

僕のをそのまま使わなきゃ面白いことを考えられない心が貧しい奴だからって、

すごく可哀想に思えて、

どうせまたそういう輩が5億人集まっても考えつかないようなことを考えればいいしって、

イチイチ文句も言わなかったけどね。

 

それこそ上野さんに学んだことだよね。

 

だから、

中国に対するスタンスもそこじゃないかなあって思う。

 

文字をはじめとするいろんな日本の文化に、

多大な影響を与えたような文明国家が、

今となってはパクリ以外に何も生み出せないってことは、

批判するより憐れむべきだよね。

 

そうして中国がパクったものよりも、

さらにすごいことをやっちゃうことで、

日本人のすごさを証明した方が、

よっぽど世界中から尊敬されると思うんだよね。

 

日本人の閃きは本物なんだから。

 

 

BGMはチャイナ・クライシスで『ブラック・マン・レイ』をどうぞ。